「Ω−SURFACE Stories」

1.尾行だって楽じゃない

 ぐたーっ。
 こんなことではいけない。
 いけないのだが体が動かない。
 ついでに頭も回らないので、崎田総はそのままベッドの上で泥になっていた。
 回らない頭に浮かぶのはただひたすら後悔。
(あのタイプのアンドロイドの尾行は絶対二度と俺はやらんぞ!)
 着替える気力など全くない。従ってヨレヨレクタクタの外出着のまま、総は死んだように横になっていた。眠くはなる。だから眠りもするが、何度目がさめても、疲労感は一向に、彼と別れる素振りすら見せなかった。
 もはや家に帰り着いてから何時間、いや何日たったかさえ見当もつかない。が、それはすぐに総の耳が知ることになった。

ぴんぽぉーんっっ

「うぇ?!」

ぴんぽぴんぽぴんぴんぴんぴん……ぽーんっっ!

「ま さ か」

 総は回らない頭の中で呆然とつぶやいた。
「梨沢君かぁ……」
 もはやあきらめに似た口調で、それだけが口からこぼれる。
 総がすべてを観念して泥モードを決め込んだとき、かすかな金属音に続いて、彼の暮らすロンデルベルクマンション506号室の扉が勢いよく開いた。
「所長っ!朝ですよ朝っ!」
 扉が開いたのと同じくらいの勢いで入ってきたのは総より幾分年下の――二十歳そこそこの若い女性であった。ぐるりと室内を見回し、とりあえず有視界内に総の姿がないことを確認して、その女性は扉をぴったり閉ざした寝室に向き直り、息を吸い込んだ。
「始業時間ですっ!起きなさい所長!秘書にたたき起こされる探偵がどこにいますかっ!」
 多分どこにでもいそうなものだが……彼女、梨沢亜記美には少なくとも覚えがないらしい。
 ともあれ、この毎朝毎度の来襲によって、総は、実際には自分がベッドに倒れ込んでからさして時間がたっていなかったことに気づかされたのである。
 それを裏付ける時計は彼の頭上で、西暦2678年5月20日08時32分を示していた。

「梨沢君」
 どうにか起きあがってきた総は山ほど言うことのありそうな亜記美に向かってよろよろと手を突き出し、
「朝飯頼む。小言はそのあとで」
 一瞬迷うような素振りを見せて、亜記美はため息をついて、言った。
「はいはい。簡単なの作りますから、それまでには起きててくださいよ」
「ん」
 再びよろよろと寝室へ向かう総を見ながら亜記美はとりあえず頭の中で献立をこしらえた。探偵事務所と総の自宅を兼ねたこの部屋には、接客用の茶や酒は豊富だが食い物はろくなものがない。とたとたとキッチンへ向かい、冷蔵庫をひょいと開いてうなり声一つ。見事にものがない。
「スクランブルエッグとトーストだな、これじゃ」
 卵はどういうわけかたっぷりあった。パンも何とかかびずに転がっている。調味料は……なかったら自分の部屋から持ってこよう、しょうがない。
 稼ぎがないわけではない。別段その稼ぎが右から左へ消えて行くわけでもなく、彼女の給料もそれなりによいし、総の、そしてこの探偵事務所「Ω−SURFACE」自体の資産も結構なものだ。だいたい、宇宙旅行がせいぜい庶民の高嶺の花、くらいになったご時世とはいえ、個人所有で中型航宙船を持っている探偵事務所なんて、それこそ「どこにありますかっ」だ。……それでこのお寒い食糧事情というのは、なんのことはない、部屋の主のずぼらさの証明である。
 亜記美がぱたぱたくるくる朝食を――一人分――作ってテーブルに並べ、寝室のドアをノックすると、ぬぼっと総が顔を出した。
「すまん。やっぱり足はやめる」
 やはり心底疲れた口調であったが……わずかな時間の間に、総の顔には見違えるほどの生気が戻っていた。
「だから言ったじゃないですか。ケツァルコアトルか、レリアにやらせないと無理ですって」
 亜記美は腰に手を当てて、年下の少年でもしかるように総をにらんだ。
「ケツァルコアトルの電磁ステルス探査が効くとは思えなかった。それにレリアったって、実際やるのは君だろう?フィードバックで君自身にダメージが及んだら本気で梨沢さんに殺されるぜ、俺ぁ」
 言いながらさっさとテーブルにつき、とりあえずコーヒーをすすって、慌ててカップを置く。どうやら熱すぎたようだ。
「へー、所長でも父さんが怖いんですか?」
 意外そうに聞く亜記美に総はばたばた手を振った。
「梨沢財閥のご令嬢がそーゆーこと言うかね。今だって体面上は、俺は君のボディーガードであって、つまり書類の上では俺が君に雇われてるんだからな」
「くすくす……あたしはあきらめられてるんですってば。体面だけですよ、父さんがあたしの心配してるのは。体が弱いくせに、堅気でない仕事ばっかりしてるんですもの。ま、あたしはよく言っても梨沢の異端児ですから」
「その体面で、世の中人の一人二人は死ぬんだって……もういいや。レリア、君がポゼスしないで動かせるなら、貸してもらえないか?やっぱケツァルコアトルはまずい」
「……ま、いいです。アタッチメントはNタイプでいいですね?」
「いや。Cタイプにしといてくれ。どうもやばそうだ、この話は」

 そもそもは二日前の依頼だった。
「さる筋からの紹介で……」
 そういって控えめに名刺を差し出した男はどこから見ても堅気のサラリーマンだった。実際にそうであるにせよ、彼の交際範囲が堅気の範疇で収まるとは、総には思えなかった。
「こちらならばこういった話を聞いていただけると聞きまして」
「どういった話か、伺ってみないことには何とも言えませんがね……名刺がなくて申し訳ありません。探偵事務所Ω−SURFACE所長、崎田総です」
 総はテーブルにひじを着きながら、受け取る手もなく卓上に置かれた名刺を見た。名前なら誰でも知っているような大銀行の名前と、総務第四課課長の肩書き、そして「馬淵謙作」の名前。おそらくトラブル処理係と言うところか。
「アンドロイドがらみのお話です……お分かりですか?」
 馬淵はそう言って、汗もかいていない額を無意識に拭った。
「第6世代以降のものですか。なるほど。それなら大抵のところは嫌がるでしょうね。うちが多少、その手の話を請け負ったことがあるのも確かです」
 そこへ、紅茶を運んできた姿を見て、馬淵はわずかに体を緊張させた。総が苦笑する。
「噂をすれば、ですか……うちの秘書のですよ。第7世代、主目的は医療ですが、このとおり家事もやってくれます。レリアといいます」
 第7世代アンドロイド・レリアは軽く黙礼して、皿を持って台所に消えた。
「驚きました……第7世代は初めて見たもので。まだ市場にあまり出回っていませんが、これではまた世評の分裂を生むでしょうな。第6世代以上に人間らしい」
「第6世代のトラブル……客と喧嘩でもしましたか」
 総の言葉に、馬淵はすっと目を細めた。
「諜報行為……です」

「社で使ってるアンドロイドの一体の挙動が不審だ、ってことでしたよね」
 亜記美は自分で紅茶をカップに注ぎ、右頬に人差し指なぞあてて首をかしげた。
「アンドロイドとはいえ第6世代クラスになると人間並みの生活をする奴もいる……そいつも登録局から、拡張行動許可が下りてて、自宅、つってもアパートだが、そこと仕事場を往復してるはずなんだがな。時間、情報量、ともに記録に不審な点が出てきた。しかしそいつを追跡するには、そこらの探偵のトレーシングでは難しい……で、ここの出番となったわけだ」
 総は言葉を切ってコーヒーをゆっくりとすすった。
「話聞いた限りじゃ、ケツァルコアトルの能力でもつらそうだったし、こうなったら自分の足でと思ったんだが……いやはや、過密スケジュール対応タイプだとは思わなかった。エネルギー補充及び休息なしで20時間稼働可能、んなやつを尾行しようとしてたんだからな、今更ながら自分に感心するよ、全く」
「でもケツァルコアトルじゃ、ほんとにダメなんですか?」
 亜記美は首を傾げたままそう言った。
「物質的に小回りの利く探査システムはいいのを積んでないんだ。あいつの本領は、ネットワークに侵入して好きな場所をクラックすることにある。要するに電子的探査だ。この手の探査は、デカブツには向かないよ」
「……まぁ、航宙船がアンドロイド一体尾行するわけにもいきませんしね」
「で、どうやらおぼろげに覚えてる範囲でだがな。実はそのアンドロイド、何もしなかったんだ」
「何も?」
 なおも首を傾げたまま、亜記美がおうむ返しに返す。
「ああ。見事に何も。馬淵から聞いてた通りのスケジュールで動いてたよ。……いや、正確には俺が把握できた範囲では、だが。……だからまあ、その……ともかくだな、どうも妙だ。ただの企業間諜報活動とも思えん」
「公的司法機関……ですか?」
「それで済めばまだいいがな。暴力団がからんでるかもしれん、というより、こいつらがまとめてごちゃごちゃ絡んでるんじゃないかって気がする。だからレリアにCタイプアタッチメント――近接戦闘用装備をつけといてくれって訳だ」
「ポゼスなしで、っていうのもそれですか」
 右頬に当てていた指を外して、亜記美が尋ねるのに、総はうなずいた。
「ああ。君がポゼスしてレリアのシステムを乗っ取ればレリアではできないような芸ができるのは確かだが、レリアに万一のことがあった場合、君の意識が自我固定を失うおそれがある。元々レリアは君が発作を起こして危険なとき、意識体を移植して保護するために作られた、ただの医療用アンドロイドだ。そいつを君がいじくり回して汎用アンドロイドに仕立ててあるだけなんだから、過剰な期待はできん」
 総はそこで言葉を切って立ち上がった。
「レリアにCアタッチメントを装着して本日1000より目標を追跡させる。バックアップはケツァルコアトルが行う。俺はいっぺん馬淵の銀行と馬淵自身、それから司法機関の動向をあらためて探ってみる。君はレリアがいないんだから、なるべく安静にしていてくれ。そうだな、レリアの監視システムを見ていてくれるか」
「了解しました」

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