――本生譚(ジャータカ)――

 ヒュオォォォ……
 吹くことをはばかるような、一陣の風が江戸の市中を吹き抜けて行く。
 風が舞い上げた埃が、一時、怖々と窓から外を覗き見る人々の目から、馬に乗った……否乗せられた人間の姿を隠した。しかしその一時が過ぎた後、そいつのふてぶてしい面構えは、寧ろ一層鮮やかに人々の目に映じた。
 そいつは死に赴こうとしているにも関わらず、異様なまでに生気に満ちた目でハッタと真ん前を見据えていた。だがそこに何があるわけでもない。してみると、この目も、ふてぶてしい面も、虚勢に過ぎぬのやも知れぬ。
 そいつは若い男だった。少年と言う言葉がしっくりくる、恐らく数えで十七、八と言ったところだろう。両手は背中でしっかりと縛られ、その縄は馬に並ぶ役人がこれもしっかりと握っている。その役人の耳には、家々の中からぼそぼそと、人々のささやき交わす声が届いていた。
(あの年で、恐ろしい事じゃ)
(殺した人数は十指に余るとか)
(身代わりの術を使うたと聞くぞ)
(わたいも聞いたよぉ。姿をころころ変えて行方をくらますのだと)
(それが、何で捕まりよったのかのう)
(何でも、渡世人姿で寺に忍び込んだ所を、御用になったそうじゃ)
(けっ、仏罰じゃ仏罰じゃ。有り難い事よ)
(それでも、仲間の名は一人として口を割らなんだと)
 それらの声は肝心の、その男の耳には届いてはいない。引き回しの馬にも勿論馬の耳に念仏で、馬はいななきもせず黙々と進む。やがて馬は市中を出て、刑場の門をくぐった。竹矢来に鈴生りになった野次馬たちの見守る中、男は不相応とばかりに引きずり下ろされ、跪かされた。冷たい目で、役人が男を見下ろす。
「飛騨の龍三(たつぞう)だな?」
「……おう」
 顔つき同様ふてぶてしい返答に、顔をゆがめた役人は、いきなりその男の顎に蹴りを入れた。
「うごっ!!」
「老若男女を問わず、分かっておるだけで十五人の人間を殺めた上、その血にまみれた体を仏前にさらし、あまつさえ寺宝を盗まんとするとは……貴様こそ犬畜生にも劣るというものよ」
(そうじゃねえ……!)
 歯が折れ、顎の骨も折れたのか、その叫びは声にはならなかった。役人の指図で、男は手際よく、十字架に結わえ付けられて行く。流れるように、死刑執行人が槍を持ち、十字架の両脇に立った。
(へっ、ドジ踏んじまったんだ、今更地獄も怖かあねえさ。けどよ……俺ぁ、あの寺にぁ、盗みに入ったんじゃぁ、絶対にねぇ……!)
 声にならぬ声を上げようとする少年強盗殺人犯・飛騨の龍三の喉の前で、槍の刃先が涼しい音を立てて交差する。
「やれい!」
 役人の号令一下、二本の槍の穂先が龍三の体を貫いた。

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