#1 涙、引き受けます

「で、それをどう記事にするつもりなわけ?」
 碧河(あおかわ)高校3年・新聞部部長、長柄聡子(ながら さとこ)は卓上に身を乗り出した。釣られて他の部員全員が思わず上体をのけぞらす。
「い、いえ、ですから、今の段階では記事に出来るかどうかは分からないと言うことなんですけど……」
 のけぞった内の一人が冷や汗まみれで言い訳する。それを遮って、
「南条(なんじょう)君」
 聡子は眼鏡の縁をきらめかせた。意図的にそんなことが出来るのかどうかは謎だが、彼女の眼鏡はいつも、計ったようなタイミングで光を放つ。南条と呼ばれた冷や汗の男子生徒の体が思わず硬直した。
「はいっ」
「今週号の締め切りはいつだったかしら?」
「明後日……だったと思いますけど……違います?」
「良くできました。じゃあ聞くけど、南条君、あなたは今の時点で記事に出来るかどうかも分からない事件を、明後日の締め切りまでに、形にしてなおかつデスク会で採用かボツかを決めることが出来る、とそう言いたいのね?」
「はぁ、そうできれば最高なんですけどね……」
 南条氏は冷や汗をなおも流し続けながら頭をかく。聡子の頭のどこかでぷつりと言う音がしたのを、同席したほとんどの部員が聞いた。
「……ぬぁんじょぉぉたつおぉぉぉっ!!!!」
「は、はひっ、なんすかぶちょおっ!!!!」
 ついつい言葉がひらがなになってしまう。が当の二名は気にもしていなかった。正確には気にしている余裕がなかった。
「明日中に記事仕上げてこぉいっ!!!!」
「わっかりましたぁっ!!!!」
 返答する方はほとんど悲鳴である。聡子は荒い息を整え、コホンと咳などついて眼鏡を直すと、打って変わった落ち着いた口調で、
「できなかったら、今月いっぱい編集から外すから、そのつもりでね。分かった?龍・雄・くん♪」
「……はい」
 碧河高校2年・南条龍雄はこの世の終わりのような顔をしてそう答えた。
「じゃ今日の編集会議の議題は以上ね。あとなんかある?」
 聡子はぐるりと室内を見回した。例によって二人のやりとりに全ての気をそがれた体である。
(うーむ……また、少しやり過ぎたわね、これは)
 ふと、溜め息など落として、
「では本日の編集会議を終わります。全員解散……及川(おいかわ)さん、時間外使用許可取ってくれた?」
 やはり2年で副部長の及川美郷(みさと)がスカートのポケットから紙を取り出して、
「はーい、取っときましたぁ」
 掲げるのを見て、聡子は一応付け加えた。
「時間何時までになってる?」
「えっとぉ……8時です」
「いいわねー、7時半には片づけて、8時には完全撤退ですからねー!!」
 教室の中に残っている連中に言って、聡子自身は帰り支度を始めた。
「あれ部長、もう帰っちゃうんすか?」
 2年の松方伊織(まつかた いおり)が不思議そうな顔で聞く。
「うん。龍……南条くん、遅くなるだろうから、母さんに言っとかないと」
「よく分かりますねー。龍の奴、いつから部長ん家に居候してんです?」
「『事故』以来だから、かれこれ6年にもなるわね……」
 聡子の目が一瞬遠くを見たが、すぐに戻って来た。
「だめだなー。未だに『事故』のことになると冷静なジャーナリストになれないもんなぁ……さ、帰ろっと。及川さん、あとよろしくねー」
「はーい」
(返事はいいのよね、いつも)
 こっそり心中呟くと、聡子は部室を出た。
 龍雄の姿は既になかった。

 聡子が帰宅してみると、案の定龍雄の靴はなかった。
「ただいまー。タッちゃんまだ帰ってないでしょー?」
 靴を脱ぎながら台所の方に向かって呼びかける。
「お帰りー。何、またハッパ掛けたの?」
 母・雪江(ゆきえ)の声が返ってくる。
「ま、そんなとこね。多分遅くなると思うわ」
「かわいそうな従弟にプレッシャー掛けちゃダメよー」
「血族経営なんてろくな事ないんだから。そーゆーけじめは付けないとね」
「何でもいいけど、あんたもいい加減進路のこと考えなさいよ。何やるにしても、高校の新聞部で世の中渡って行くわけには行かないのよ」
「はいはい」
 聡子は言われたとおりいい加減に聞き流した。もっともこの母の台詞が、世間一般のように「=勉強しろ」でない分ましなのだろう、とは思うのだが。
「じゃあ、タッちゃんの分はとっとかなきゃいけないのね?」
「多分ね。こないだは9時過ぎても帰ってこなかったから……」
「でも、この年ならその位普通と言えば普通でしょう」
 聡子は思わず上半身を前にのめらせた。
「物わかりのいい保護者よねー……」
 一応聞こえないようにそう言うと、
「お風呂湧いてる?」
「あと少しね。先着替えといで」
「ふあぁい」
 あと少しなら居間で待っていても良かったのだが、聡子は階上の自室へ向かった。先に鞄を置いて来ようと思ったのだ。階段を上ってふと見ると、自室の手前の龍雄の部屋のドアが開いているのが見えた。
「戸締まりくらいちゃんとしなさいって……」
 ドアノブに掛けた手を、聡子はふと、引いた。ドアが開かれ、暗い室内がぼんやりと見える。ぱっと見えた印象では、思ったより、片づいているようだ。が、パタパタという音に窓を見ると、不用心にも窓が開け放たれていた。カーテンが風に踊っている。
「男の城って言うんだったら、守りくらい固めなさいよ、ったく」
 遠慮なしに部屋に入ると、窓を閉めて鍵を掛ける。そのまま、極力部屋の中は見ないようにして、聡子は廊下へ出て後ろ手にドアを閉めた。2年前、いつもの調子で龍雄の部屋へ入って、『読書中』なのを見て以来、滅多に龍雄の部屋に入ったことはない。今だって、龍雄がいると知っていれば入ることは出来なかっただろう。
 その時ふと、聡子は妙なことに気付いた。
(あれ……さっき帰ってきたとき、窓なんて開いてたかしら?)
 あれだけカーテンがはためいていれば、外からでも気付いたはずだが……。
(ま、気が付かなかっただけでしょ。窓から出入りするよーなタマじゃないやね)
 それで納得した聡子はそのまま隣の自室に入った。鞄はベッドの上にぽいと放り出し、そのまま机に向かう。椅子に掛けて、ぼんやり頬杖なぞ突いてみる。
「まったく、いつの間にかいっちょまえに夜歩きなんか覚えちゃって……」
 従弟の現在と、小さかった頃のことを思い比べて、聡子は微かに微笑んだ。
「もう6年。ここへ来たばっかの時はほんっと不愛想だったけどなー。ま、あんな事故の後じゃしょうがないけど……」
 思いついたように、横ちょのワープロの電源を入れる。メニュー画面から文書新規作成を選んで、そのままカーソルが点滅するのを聡子はぼーっと見つめていた。
「記事ができてないのはあたしも似たようなもんか」
 季節外れの幽霊話。龍雄が持ってきたのはそんな話題だった。まだ梅雨に入ってもいないというのに、少し気が早いネタだ。それだけに出来がよほど良くなければ問答無用でボツにせざるを得ない。龍雄自身の文才ということを言えば、当たり外れの多いのが特徴で、つまりは過剰な期待は禁物と言うことであった。
「人のこと気にしてないで、自分の原稿書かなきゃ」
 聡子はしゃきっと上体を起こしてワープロを手前に持ってきた。今週号の聡子の担当は持ち回りの社説ならぬ「部説」だけだった。とりあえずネタは決まっている。資料も要る物は9割方集めた。龍雄ではないがそろそろ取りかからないとまずい。
 カココ、とタイトルを放り込んで、それにどういう装飾を付けようかと一瞬手を止め、それはレイアウトの段階の話と一人で突っ込んで舌を出したとき、階下から声が飛んできた。
「聡子ー、お風呂湧いたわよー」
 ふぅ、と聡子はため息を付いてワープロを省電力モードに落とした。なんとなく今日はゆっくり浸かる気分ではない。さっさと上がって来るなら、わざわざ電源を切ってまた入れるより、この方が手間が省ける。
「なんか今日は頭が回ってくれないわね……シャワーでも浴びて、一発気合い入れますか」
 聡子は呟いて椅子を立ち、のびをして、タンスから寝間着を引っぱり出すと浴室へ向かった。

 彼女は泣いていた。
 けれども誰にもその泣き声は聞こえなかった。
 替わりに聞こえていたのは、
 骨を食む、硬い音だった。
 それでも、
 それは彼女に表し得る、たった一つの泣き声だった。

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