岡上景能の墓
●岡上景能(おかのぼりかげよし)
岡上景能は、祖父景純の代から上野国の幕府直轄地の代官をつとめる関東18代官の一家であった。
景能が代官に新任したのは寛文元年(1661)である。さらに足尾銅山奉行もつとめ、産出銅を
運搬する銅山(あかがね)街道を整備し、中心の宿として大原宿(藪塚本町)を設置。それと併行して
渡良瀬川から岡上用水を開削して宿用水とし、笠懸野の開発を計画した。
全長15kmの岡上用水は、大原本町など8ヵ村、藪塚新田など16新田を開発したという。
景能はまた信仰に厚く、国端(こくすい)寺、全性寺、長建寺、大原寺の4寺と神明宮、赤城神社などの
5社を建立した。その善政は住民から慈父の如く慕われたが、余りの名声にこれをねたむ者の冤罪を受けて
悲運の自刃をとげた。影能の墓(上写真)は岩宿の国端寺にあり、藪塚本町には影能を祀った岡登霊神社がある。