どうして..

イエスは何故十字架にかかったのか...クリスチャン達からこの問題に明快な答えを得たことがない
洗礼者ヨハネの惨い死に方...熱心党を中心とした反ローマ勢力の勢力拡大...そして政党の象徴的リーダーとしてのイエス...イエスを王にして反ヘロデ・反ローマの革命を起こそうとする急進的なグループ...それらテロリスト達をやっきになって摘発する官憲...そういう民衆や熱心党員達を意識改革させ、脱律法主義・親ローマ政策を打ち出すイエス...これらの舞台条件が錯綜する中で歴史的なイエス逮捕処刑がおこった

ヘロデ王やローマの代官から見ると、この過激な地下組織を、洗礼者ヨハネ以後だれが指揮しているかが重大な問題であろう

イスカリオテ・ユダを中心にした急進グループは、イエスと対立しただろう
マタイ福音書によれば、イスカリオテ・ユダは銀30枚で買収されて、イエスを裏切り後に後悔の念から首吊り自殺したとされているが、ルカの書いた使徒言行録ではその金で土地を買いその土地に崖から落ちて死んだ事になっている。
金銭に弱いユダ像は富を放棄して神に仕える事を求めた教団からの要請により、マタイ福音書をもとにスケープゴートとして作り出された可能性が大きい。
使徒言行録でユダがその金で土地を購入している事に触れている事に着目したい、当時の不動産取得制度については全く分からないが、何かの目的(農業?放牧?教会建設)があって買い求めたものであろう。他殺を暗示させる内容である

イエスは既に確認したように、取税人や罪人や女性(遊女まで含めて)、らい病患者の様な社会の最下層の人達と多く接触し教えを広めていた。
これはユダヤ教の律法を基にした政治支配体制にとって、その根幹が揺るがされることになり兼ねない。
イエスグループのこの行動は、政府側から見ればそれまで何度かおこっている熱心党による民衆の蜂起ととられたのであろう
これは熱心党としても不都合な事で、熱心党の中でイエス・グループがユダヤ神殿を襲撃しそれを機会に民衆の暴動が起こるかも知れない状況にたいし、熱心党主流派(ユダ)とローマ代官やユダヤ教司祭が手を組みイエス・グループの抹殺を試みた

ヨハネ福音書では、イエスグループが実力行動(神殿襲撃、不法占拠)をおこした様が描かれており、鎮圧の為に神殿警備の軍隊の出動が描かれているが、他の福音書ではそれほど克明には描かれていない。
大司祭はなぜイエス逮捕の為に銀30枚も用意したのだろうか、イエス一人を逮捕すればイエスグループの実力行動が鎮圧し、民衆暴動を事前に押さえられると判断したのだろうか
ペテロや他の弟子達は、(恐らくガリラヤへ)逃げていく...官憲はイエスグループを追跡した様だ...ペテロは追手に捕まり、女性の証言でイエスの仲間とされ、警察からナマリがイエスと同じであると詮議される(イエスはガリラヤなまりで喋っていたらしい)が断じて知らぬと言い通して逃げた、恐らく他の弟子達もからがら逃げ通したのだろう
そうすると先の銀30枚はイエス一人の為の懸賞金ではなくイエスグループ全体に対しての物である...
つまりイエスグループを指導者とする数百人の実力行動を鎮圧するために、少なくともその指導者を逮捕する為に銀30枚の懸賞金を用意し、結果としてイエスを含む数人を逮捕したのだろう。 官検は結局そのまま逮捕に踏み切り、政府への反逆罪として裁いたのだろう
享年おそらく38歳位

しばらくしてほとぼりが冷めた頃に、ペテロやヨハネやイエスの弟のヤコブが再びエルサレムに集まり活動を始めている。
この後の弟子達の行動は「ペテロの足跡」を参照して下さい。

イエスの死後、彼が予見したとおり急進的な熱心党の活動は民衆を含めて益々強力になり、ローマとの対立が抜き差しならない状態になり、遂にシリア駐留のローマの大軍が出動して殲滅作戦に出る
ユダヤ民族は約1900年間にわたってユダヤの地を捨てることになる。

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