女性達と

イエスと女性との対話はたくさん記録されている。ヨハネの教団には女性がいなかったのに対しイエスのグループにはたくさんの女性がいた様だ...
マタイ26−7「 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた」
この文章には驚いた、ユダヤの習慣では客を迎えて持たれる食事は男性のみが連なっているはずであるから、その場に女性がいる事じたい異例なことであろう、さらに日雇いの年収分程の香油イエスに捧げるのは、狂気の沙汰である。
周りの人たちが驚いたのも無理はない。

9−20「すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた」
9−22「イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った」
この文章に当時の人は驚いたであろう...ユダヤ民族が血を嫌う事は有名である、出血の続く女を当時は不潔としてだれも相手にしなかったであろう、イエスは何のためらいもなく治療したのである

最近発見されたピリポ福音書(エジプトのナグ・ハマディで発見されたグノーシス派の書物と思われる)に「主は(マグダラ)マリアをどの弟子よりも愛した。彼は彼女の口にしばしば接吻した。彼の弟子たちが彼女のもとにきて、(彼女を)非難した。....」とある。

マタイ21−31「よく聞きなさい。取税人や遊女は、....」の引例はマタイだけであるが、イエスはユダヤ教で最もさげすまされた女性達とも接触している状況が想定される。

この後は有名な姦淫の女を許した物語であるがヨハネ8−1から11の話であるが、この文章から当時の男尊女卑の姿がうかがえる「あなた達の中で罪を犯したことがない者...」の罪とは、文意から言って姦通の事ではないだろうか、連行してきた男達は一度や二度は売春宿や浮気で姦通をしているにも拘わらず処罰される事がないのに、女の場合は弁明の余地なくただちに処刑される事の不条理さを指摘しているのではないだろうか、ただこの部位はヨハネ福音書にしかなく、当時の一般社会なり教団で行われていた不条理な慣習の是正を求めて、ヨハネ福音書を編集している人達がイエスの物語として挿入したものであろう。

いずれにしてもイエスは当時としては画期的にフェミニストであった事は間違えない

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