和解勧告に当たっての所見

一 はじめに
二 本件の特質について
三 被告らの責任について
四 和解による解決の提唱

和 解 案 ( 第 一 次 )



平成七年一〇月六日


       和解勧告に当たっての所見
                     東京地方裁判所民事第一五部



一 はじめに
  当裁判所は、後記のような本件事案の特質に鑑み、和解による早期かつ全面
 的解決を図ることが関係当事者の利益なかんずくHIV感染被害者である原告
 らの早期救済の見地からして極めて望ましいと考えるものであり、そのための
 第一次和解案を提示するに当たり、その目的に必要な限度において本件につい
 ての所見を示すこととしたい。関係当事者が裁判所の意のあるところを十分理
 解されて、和解による解決に向けて真摯かつ積極的な努力を尽くされることを
 切望するものである。


二 本件の特質について
 1 本件は、もともと先天的な疾病である血友病に罹患していた原告らが、現
  時点では血友病のほとんど唯一の治療方法とされている補充療法の中でも、
  血友病患者に大きい福音をもたらしたとして高く評価されていた非加熱濃縮
  製剤の投与を、医師の勧めに従い、ひたすら有効な薬剤と信じて、継続的に
  受けるうち、たまたま米国由来の原料血漿の中に含まれていたエイズウイル
  ス(HIV)に感染し、その過半が不幸にも重篤なエイズを発症し、本件口
  頭弁論終結時までに既に二十人が死亡するに至っているのである。しかも、
  医師による感染告知が遅れたために、告知が適時に行われていればあるいは
  避けることができた配偶者等への二次感染が不幸にも生じてしまった例も一、
  二にとどまらない。
 2 HIVに感染し、少なくとも数年間の無症候性キャリア期を経てエイズを
  発症すると、持続性全身性のリンパ節腫脹、長期にわたる持続的発熱や下痢、
  全身性倦怠感、体重減少等の臨床症状が出現し、さらに細胞性免疫が高度に
  障害されると、正常人にはそもそも感染が成立しないか、仮にしたとしても
  良好な経過をとって自然に治癒するような病原微生物による日和見感染やカ
  ポジ肉腫等の悪性腫瘍が発生し、ついには死亡するに至るものであって、死
  亡に至るまでの病態は極めて悲惨である。しかも、現時点では、エイズに対
  する根治的な治療薬は開発されておらず、わずかに発症予防薬の投与により
  発症を一時的に阻止することができているにすぎない。その上、社会一般に
  エイズについての無理解と強い偏見が根強く存在するために、HIV感染者
  あるいは血友病患者であるというだけで極めて不当な社会的差別にさらされ
  る現実があり、HIV感染者の診療さえも拒否された例が少なくない。当裁
  判所が、本件の審理に当たり、当事者及び関係者の理解と協力の下に、原告
  らの氏名・住所等原告らを特定できる資料を訴訟記録から窺えないよう配慮
  したり、公開の法廷における供述を希望する原告や親族の尋問に際しては、
  衝立をもって傍聴席との間を遮り、供述者の容貌等が傍聴人にさらされるこ
  とがないような措置をとり、さらに、公開の法廷での供述を肯んじない原告
  や親族については、当事者双方の同意を得て、庁舎内において受命裁判官に
  よる取調べを行うなどの極めて異例の措置をとったことは、右のような社会
  的偏見や差別から原告ら及び関係者の利益を守るとともに、原告らの裁判を
  受ける権利を全うさせようとする意図に出たものにほかならない。
 3 我が国における血友病患者の濃縮製剤によるHIV感染者は約一八〇〇名
  とも二〇〇〇名ともいわれており、確認された最初のエイズ発症例が出てか
  ら十余年を経て、発症者の数は年を追って増え、一九九四年一二月末現在で、
  確認された発症者が四八五名、そのうちの死亡者は三一六名に達したとされ
  ている。
 4 当裁判所は、そもそも自らには何らの責任のない先天的疾病である血友病
  の患者である原告らが、医師の勧めに従い、ひたすら有効な薬剤であると信
  じて投与を受けた非加熱濃縮製剤にたまたま混入していたHIVに感染した
  ために、何らの落ち度もないのに、前記のように悲惨というほかないような
  死に至る苦痛を甘受せざるを得ないことは、社会的、人道的に決して容認で
  きるものではないと考える。


三 被告らの責任について
 1 医療品の製造販売業者には安全な医薬品を消費者に供給すべき義務があり、
  薬事法上、病原微生物により汚染され、又は汚染されているおそれがある医
  薬品を販売したり、販売の目的で製造し若しくは輸入してはならないものと
  されている(第五六条第五号)。
 2 次に、厚生大臣は、昭和五四年法律第五六号による改正前の薬事法の下に
  おいても、医薬品の安全性を確保し、不良医薬品による国民の生命、健康に
  対する侵害を防止すべき職責があったというべきであるが(最高裁判所第二
  小法廷平成七年六月二三日判決参照)、右改正後の薬事法においては、サリ
  ドマイド、キノホルム等の医薬品の副作用被害の続発を契機として医薬品の
  安全性確保が緊急の課題とされたことを背景に、薬事法の目的が医薬品等の
  「品質、有効性及び安全性の確保」にあることが明記されるとともに(第一
  条)、医薬品等の製造承認に当たり審理すべき項目として「副作用」が明記
  され(第一四条第二項)、さらに、医薬品等による保健衛生上の危害の発生
  又は拡大を防止するため必要があると認められるときは、医薬品等の製造業
  者、販売業者等に対し医薬品等の販売又は授与の一時停止その他保健衛生上
  の危害の発生又は拡大を防止するための応急の措置を探るべきことを命ずる
  ことができる旨の緊急命令の制度(第六九条の二)等も新設されたのである
  から、医薬品の安全性確保は、厚生大臣が行う薬務行政において最大の考慮
  を払うべき事柄の一つとなったものと解することができる。したがって、厚
  生大臣は、医薬品安全性を確保について与えられた権限を最大限に行使して、
  病原微生物により汚染され、もしくは汚染されているおそれがある医薬品が
  製造、販売されることがないよう(第五六条第六号参照)措置したり、医薬
  品の副作用や不良医薬品から国民の生命、健康を守るべき責務があるという
  べきである。
 3 しかるところ、被告製薬会社が輸入もしくは製造販売する血漿分画製剤に
  ついては、多人数のプール血漿を原料として精製されるものであり、しかも
  米国における有償血液(売血)を主な原料製漿の供給源としていたところか
  ら、ウイルス等の不純物が混入する危険性のあることが指摘されており、現
  にその投与を受けた血友病患者に製剤中に混入していた肝炎ウイルスによる
  とみられる肝炎罹患者が続出していたところ、一九八二年七月頃以降、米国
  において、他に基礎疾患がなく、麻薬常用等の既往もない血友病A患者に後
  にエイズ(AIDS)と呼ばれる臨床症状を示す症例が発生していることが
  公衆衛生局(PHS)、国立防疫センター(CDC)等の米国政府機関の調
  査によって明らかになり、その報告症例数が次第に増加するとともに、その
  原因が血液又は血液製剤を介して伝播されるウイルスである可能性がかなり
  高いと判断され、しかも、報告された症例数自体は比較的少ないものの、潜
  伏期間が長いこととの関係で、多数の潜在的患者がいるものと推測される一
  方、エイズが致死率の異常に高い疾病であることが明らかになっており、一
  九八三年初頭以降、ハイリスクドナーの排除等エイズから血友病患者を守る
  ための方策に関する勧告が米国政府機関から相次いで出されるに至っていた
  のである。そして、厚生省の当時の主管課である生物製剤課の課長は、一九
  八三年初め頃からエイズと血友病に関する情報の収集に努めており、米国に
  おける右のような事情を知っていたと認められる。また、同年六、七月には、
  エイズの疑いがある供血者から採取された血漿を原料とする製剤につき被告
  バクスターによって自主的回収の措置が採られた事実が同会社からの報告に
  よって判明しており、同課長は、右の頃には、エイズの原因が血液又は血液
  製剤を介して伝播されるウイルスであるとの疑いを強めていたし、厚生省に
  設置されたエイズの実態把握に関する研究班でも、エイズはウイルス感染症
  である可能性が高いことを前提として議論が行われており、同年七月一八日
  の右研究班の第二回会合では、同課長から、エイズ対策として、加熱血液製
  剤を国内における臨床試験等の手続を省略して緊急輸入してもよい旨の提案
  がなされた形跡がある。さらに、同年八月末頃には、右研究班における検討
  ではエイズと断定できないとされていた帝京大の症例がCDCのスピラ博士
  によってエイズと判断され、国内においても既にエイズに罹患した血友病患
  者が出ていたことが判明したのである。当時、厳密な科学的見地からはエイ
  ズの病因が確定しておらず、エイズウイルスも未だ同定されていない段階で
  はあったけれども、米国政府機関等の調査研究の結果とこれに基づく諸々の
  知見に照らすと、こと血友病患者のエイズに関する限り、血液又は血液製剤
  を介して伝播されるウイルスによるものとみるのが科学者の常識的見解にな
  りつつあったというべきである。
 4 被告製薬会社は、安全な代替製剤の確保についての見通しが困難な立場に
  あったとはいえ、右のような状況下において、その後も、加熱製剤の製造承
  認(第VIII因子製剤は一九八五年七月、第IX因子製剤は同年一二月)を得て
  その販売を開始するまで、非加熱濃縮製剤の販売を継続し、一部では、加熱
  製剤の販売開始後も、非加熱製剤の回収が十分に行われず、その投与が継続
  された。
   また、右のような状況の下においては、厚生大臣は、血液製剤を介して伝
  播されるウイルスにより国内の血友病患者がエイズに罹患する危険があるこ
  とを認識し得たというべきであり、しかも、一旦エイズに罹患した場合致死
  率が極めて高いことが判明していたのであるから、国内の血友病患者のエイ
  ズ感染を防止するため、例えば、右のような危険があることについて関係機
  関や血友病患者等への十分な情報提供、国内の献血血液による高度濃縮製剤
  若しくはクリオ製剤の自給又は加熱製剤の輸入・製造承認の促進などの代替
  血液製剤確保のための緊急措置、前記緊急命令の権限を行使しての米国由来
  の原料血漿による非加熱製剤の販売の一時停止などの措置をとることが期待
  されたというべきである。しかし、当時の厚生省当局は、血液製剤の製造・
  販売業者に対し、「エイズのハイリスク者から採血したものでない」旨の証
  明書を製剤及び原料血漿に添付するよう指示するとともに、加熱製剤の承認
  申請の取扱いについての説明会を特別に開催し、臨床試験症例数を必要最小
  限とする等の措置をとったけれども、血液製剤を介して伝播されるウイルス
  により国内の血友病患者がエイズに罹患する危険性やエイズの重篤性につい
  ての認識が十分でなく(このことは血友病の治療に当たっていた多くの医療
  関係者等についても同様にいえることであるが、他方において、右の危険性
  にいち早く気づいて第VIII因子製剤の投与を受けるのをやめた血友病患者や
  クリオ製剤に切り替えた医療関係者があったことも注目されるべきであろう)、
  前記のような有効な方策を講ずることがなかったのであり、かかる対策の遅
  れが我が国における血友病患者のエイズ感染という悲惨な被害拡大につなが
  ったことは否定し難いところというべきである。
 5 このように考えると、前記二のような事態については、被告製薬会社が第
  一次的な救済責任を負うべきであるが(ちなみに、外国の製薬会社の製造に
  係る血液製剤を日本国内において販売した被告製薬会社が右外国会社と共に
  責任を負うべきはもちろんである)被告国もまた、被告製薬会社と共に、原
  告らが被った前記のような甚大な感染被害を早急に救済すべき責任を果たす
  べきである。


四 和解による解決の提唱
 1 以上のように、被告らには原告らのHIV感染について重大な責任がある
  といわざるを得ず、それによって原告らが被った物心両面にわたる甚大な被
  害について深甚な反省の意が表されて然るべきであると考えられるけれども、
  裁判所の確定判決によらない限り原告らが現に被り、また将来被り続けるで
  あろう甚大な被害が救済されないという事態は何としても避けられなければ
  ならないことであるし、被告国としても、法的責任の存否の争いを超えて、
  広く社会的・人道的見地に立って、被告製薬会社と共同して被害の早期、円
  満かつ適切な救済を図るとともに、エイズに対する研究をさらに進めて、こ
  れを根治できる治療薬の早期開発及び治療体制の整備拡充に向けて衆知を結
  集し、さらに、本件のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させること
  がないよう最善の努力を重ねることをあらためて誓約することこそが強く要
  請されるというべきであり、かくすることこそが広く国民の支持と共感を得
  るゆえんであると確信するところである。
 2 我が国と同様血友病患者に高度濃縮製剤によるエイズ被害者を出した諸外
  国においても、被害者数や法律制度を含めた国情の違いこそあるものの、そ
  れぞれの政府の主導の下に、被害者救済制度を設けるに至っており、それは
  概ね以上のような思想に基づいているものと推測される。我が国においても、
  一九八九年一月以降、財団法人友愛福祉財団が、厚生省の指導の下に、被告
  製薬会社を含む医薬品製造会社等の出資(寄付金)により、血液製剤による
  HIV感染者等のための救済事業を、医薬品副作用被害救済・研究振興基金
  (現在は医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構)に事務を委託して実施
  しているほか、国の調査研究事業として、エイズ発症予防のための健康管理
  費用が免疫不全の状況に応じて支給されているが、右友愛福祉財団による給
  付内容及び右健康管理費用の支給額は年を追って増額されており、前記諸外
  国の救済制度における給付内容と比較しても、遜色がないか、むしろ上回る
  ものとなっている。しかし、右友愛福祉財団による救済事業については、そ
  の性格が曖昧であることや給付金の財源が専ら民間(医薬品メーカー)から
  の寄付金によって賄われていて、国は事務委託費の一部を補助しているにす
  ぎないことなどについて批判があり、その存続についての法的保障がないこ
  とも指摘されている。
 3 以上の諸事情を総合勘案し、なかんずく、現在の医学的知見の下において
  は、HIVに感染した場合、少なくとも数年間の無症候性キャリア期を経て
  発症し、一旦発症した場合には死亡に至る可能性が極めて高いとされている
  エイズの重篤な病態と、そのためHIVに感染した段階から否応なく死に直
  面させられ、恐怖と絶望の淵に立たされた被害者や最愛の家族をエイズによ
  って奪われた遺族の心情に深く思いを致すとき、本件については、一刻も早
  く和解によって原告らHIV感染者の早期かつ全面的救済を図ることがぜひ
  とも必要であり、しかし、その和解はすべての感染被害者を一律かつ平等に
  救済する内容のものでなければならないと確信する次第である。
   そこで、ここにそのための第一次和解案を提示することとするが、原告ら、
  被告国及び被告製薬会社を含むすべての関係者が裁判所の意のあるところを
  十分理解されて、和解による解決に向けて真摯かつ積極的な努力を尽くされ
  ることをあらためて切望するとともに、被告らを含む関係者がエイズに対す
  る研究をさらに推進して、これを根治できる治療薬の早期開発に向けて衆知
  を結集することにより、一人でも多くの感染被害者がエイズという死の病か
  ら救われる日が一日も早く到来することを念願し、併せて、本件のような医
  薬品による悲惨な被害を二度と再び発生させることがないよう、被告らを含
  む関係者が渾身の努力を重ねられることを衷心より希望する次第である。
   なお、和解案については、統一的な解決を図る見地から、同種訴訟が係属
  する大阪地方裁判所第一八民事部と協議の上、これを取りまとめたことを付
  言する。


            和 解 案 ( 第 一 次 ) 一1 被告らは、連帯して、本件原告を含む既提訴者(以下「原告ら」という。)   全員に対し、一律に、損害を填補する趣旨の和解金として、HIV感染者   (エイズ発症者、死亡者を含む。)一人につき、それぞれ四五〇〇万円を支   払う。  2 本件和解金についての被告らの負担割合は、被告製薬会社を六、被告国を   四とする。  3 原告らが本和解成立時までに財団法人友愛福祉財団から受領した給付金の   うち、次の金員の五割に相当する金額を、それぞれの受領する和解金の額か   ら控除する。   (一) 特別手当   (二) 遺族見舞金   (三) 遺族一時金  4 本和解は一応第七次までの既提訴者を対象とするが、本件非加熱濃縮製剤   の使用によるHIV感染(二次・三次感染者についてはその感染原因)の証   明をまって本和解の対象とする。  5 いわゆる未提訴者の取扱いについては、なお協議する。  6 弁護士費用等を含む本件訴訟の費用の負担については、なお協議する。 二 前項1の和解一時金による救済を補完するものとしてのいわゆる恒久的対策  については、なお協議する。

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Nov. 6, 1996