SW3(前編)

SWリプレイ小説Vol.3(前編)

運命の胎動


             ソード・ワールドシナリオ集
               「猫だけが知っている『変化の彫像』」より

ある春のよく晴れた日の午後のことである。
1人の少女がベルダインへと続く道、”自由人達の街道”をゆっくりと歩いていた。
よくよく見れば耳が尖っているので、彼女が人間ではなくエルフと呼ばれる種族の者であることが分かったであろう。
いや耳だけではない。
華奢な体つきでそしてまるで人形のような美しさ、その容貌のすべてが彼女がエルフであると告げていた。
ハードレザー・アーマーを身に纏い、腰にレイピアを吊るし颯爽と歩く姿は、その容貌とは違いかなり場慣れした雰囲気を見せていた。
 この一帯は何処までも田園地帯が続く場所で、ロマールの都市レイドと西部諸国(テン・チルドレン)のベルダインの間にあたっていた。
 彼女の目には多くの風の下位精霊、シルフの姿が映っていた。
風乙女達は彼女の脇を戯れながらすり抜け、心地よい風を与えて消えていった。
穏やかな視線をそのシルフが消えた方向に向けながら、彼女は今晩の宿について考え始めていた。
まだ日は高いので、夕方までにはベルダインに着く自信が彼女にはあった。
だがその町に目的があるわけではなかった。
ただ風の向くまま気の向くまま、足を運んできたらこんな所に来てしまったわけである。
− 町か‥‥、仲間がいるといいけどな‥‥。
 彼女のいう仲間とはもちろん人間ではない。
彼女は人間に幻想を抱いているわけではなかった。
いったい今まで幾度人間のせいで危機に面した事だろう。
もっともその多くが人間のいう”貞操の危機”、という奴であったが。
ただ”村”を飛び出てよりの彼女の経験から言って、人間の大多数は信用のおけない下等な生物であるが、ほんの一握りほど信頼に値する人間もいると悟っていた。
− 人間‥‥か‥‥。
 ”村”を出るときはどれほど人間という種族に幻想を持っていたのだろう。
それを思うと自然に笑みがこぼれてきた。
彼女はふと自分より40歳年上の女性のことを思い浮かべていた。
思えば彼女が今人間界などにいるのも、その女性が原因といってもいいくらいなのだ。
親しかった彼女にさえ黙って村を飛び出した一人の女性‥‥。
 彼女の目の前に小さな村が見えてきた。
この世界では典型的な農村であろう。
いったいこの村で何人がエルフというものを見たことあるのだろうか。
恐ろしげに窓から覗く子どもの顔がその答えを物語っていた。
彼女は変わらぬ歩調で村を抜けた。
この道の続くベルダインで何が彼女を待つのであろうか。
それは神のみぞ知ることであろう。
もっともエルフは人間のように神を信じているのではなく、神を知っているのであるが。

 一人の男がぶつぶつと呟きながらベルダインへと続く道を歩いていた。
「あーあ、何か楽して金儲けの出来る話はないかなぁ。」
 男は道中ずっとそんなことを言ってはため息をついていた。
男の風貌は黒いローブをまとい、その下からは薄汚れたソフトレザー・アーマーがのぞいていた。
そして驚くべき事にその風貌と手に持つスタッフからして、彼はどうやら魔術師と呼ばれる部類の人間らしかった。
見かけには魔術師特有、というか固定観念の堅苦しさと偏屈さがなかった。
何処となく人のよいパン屋の二代目といった感じである。
だがどこかその瞳には抜け目なさが感じられた。
「ザーンでもろくな仕事もなかったし、ろくな奴もいなかったもんな。」
 男は天を仰ぎながらそう呟いた。
その言葉の内容からして男はどうやら冒険者らしかった。
魔術師で一人旅というのは珍しいのではないだろうか。
「まあいいや、ベルダインではいいことがあるだろう。おもしろいこともな。」
 根が楽天的なのか人生に不安というものを感じていないようであった。
やがて彼はこの呟きのとおり、万人のうちいったい何人が遭遇することができようかというような事を経験するが、この言葉がまさかそれを暗示していようとは思いもしなかったであろう。
男は数時間ほど後にもう一人別の男が通る道を、同じ方向に歩いていった。

 一人の男が”岩の街”ザーンからベルダインへと向かう海岸沿いの街道を急いでいた。
均整のとれた身体をハードレザー・アーマーに包み、一本の剣を腰に吊っているだけの、本当に質素な姿である。
長年使っているのか、剣、鎧共々くたびれているようであった。
男の行動を見て、彼が都市で生まれ育ったなどと思う人間はそうはいないであろう。
それもそのはずである。
彼は遥かな西の方にすむ蛮族の出身であるのだから。
急いでいるのも何か用があるからではなく、生来のものなのだ。
 彼が蛮族の出身であるとは先に述べたが、その彼の生まれ育った村には”賢者”と呼ばれる者がいた。
”賢者”とは彼らの部族の何百年かの歴史と知恵を受け継いでいる者で、およそ10ある部族の村の誰からも尊敬されていた。
”賢者”は彼に色々なことを教えてくれた。
狩りの仕方、傷の治し方、部族の歴史、そして世界。
自分の回りの僅かな世界しか知らぬ彼にとって、巨大なフォーセリアという世界は魅力的であった。
そして冒険者と呼ばれる者達がいると知ったとき、自分も冒険者になろうと決めた。
そして彼は僅かな自分の荷物も持ちて、旅に出たのである。
 彼はこれまでに多くの事を見た。
そして新たな発見を求めてベルダインという町へと向かっているのであった。

 レティシア、モン=ブランという2人の仲間が死んでから2週間が過ぎていた。
フォウリー、シュトラウス、ロッキッキーの3人は、どうにか彼らの死から立ち直ろうとしていた。
ようやく笑みがこぼれるようになった。
広くなった部屋に入っても悲しみが襲わなくなった。
レティシアとブラン、二人のことを話せるようになった。
彼女らを冷徹であるなどというのはお門違いであろう。
彼女らは二人を忘れたのではないのだから。
だがまだ仕事が出来るほど振り切れたわけではなかった。
デビアスもやれやれと思いながら、そのことについてはとやかく言わなかった。
 ある日の夜の事である。
いつもの丸テーブルで食事をし、いつもの様にそのまま酒を飲み始めた。
テーブルの上にいくつもの空コップが置かれ、3人はいい加減酔い始めていた。
そんな中不意にシュトラウスが口を開いた。
「実はあなた方に知って貰いたいことがあるのです。」
 シュトラウスの顔はかなり真っ赤であるが、口調はいつもと変わらなかった。
「何?」
 シュトラウスの3倍は飲んでいるはずなのだが、フォウリーの顔はほんのり紅みがさしているといった所だ。
同じ様な様子のロッキッキーは何もいわず視線をただ彼に向けた。
「実はあなた方に私の本当の名前を知っていただきたいのです。」
 シュトラウスの表情は真剣その物であった。
いつもなら冗談に紛らわしてしまいそうな話であるが、二人ともそのような気分になれなかった。
否、シュトラウスの表情が彼らのその様な感情を封じ込めたのだ。
「本当の名前?」
 フォウリーはそう呟いたが、記憶層は口調に反してその単語を検索していた。
「あの信頼した者にしか教えないというあれ?」
 彼女はそう言ってシュトラウスを見返した。
それを聞いてロッキッキーも真剣な表情を彼に向けた。
「はい、といってもそんな真剣な話ではありません。ただ私があなた達を信頼するというか、まあ早い話『シュトラウス』という名前に飽きたわけでして。」
 ”シュトラウス”はそう言って笑みを見せた。
− 確か真の名前って、オランの風習じゃなかったわよね。
 フォウリーはちょっと考えてから心の中で苦笑した。
”シュトラウス”はオランの出身である。
オラン市民が真の名前なんか付けるとは聞いたことがなかった。
恐らく彼がどこかで聞いて何となくそうしたのか、両親のどちらか、あるいは両方の出身地での風習であろう。
「O.K.聞かせて貰おうじゃねぇか。」
 手に持っていたカップのエール酒を一気に空けた後、ロッキッキーはそう言った。
そういえば彼の名の方もエレミアでの通り名であるらしいが、今の所”真の名”を公開する気は無さそうである。
フォウリーも頷いてロッキッキーに追従した。
「はい。私の本当の名はザンといいます。」
 ”シュトラウス”はそう言った。
ロッキッキーとフォウリーはもっとおもしろい名を期待していたのだが、どうやら期待し損という奴であった。
「ザンか、短くていいわな。」
 ロッキッキーはそう率直な感想を述べた。
「そうね、呼びやすいわね。」
 フォウリーの感想もそんなものであった。
シュトラウス、いやザンは苦笑するしかないであろう。
 とその時酒場の扉、宿屋の扉というべきか、ともかく扉が開かれて、一人店の中に入ってきた。
自然と酒場で飲んでいた者達の視線がそちらへと向いた。
入ってきたのが女性であったので何人かが口笛を吹いてはやし立てたが、彼女の方は日常茶飯事という様子で無視していた。
− エルフ!
 彼女の耳を見て3人はもしやレティシアか、と思ったが、残念ながらそうではなかった。
3人はそれぞれが同じ事を考えたことを察し、それぞれに苦笑を浮かべた。
 一方そのエルフの少女は宿屋の主人らしき男、言うまでもなくデビアスである、を認めると近くに行って話しかけた。
「あのさ、何日か泊まりたいんだけどさ、部屋開いてる?」
 気さくとでもいうのか、およそエルフとは思えないような口調にデビアスの方は少し戸惑ったようだ。
「いや、ごめんよ。部屋は空いてないんだ。もう少し行ったところに”風の集う宿”っていう宿があるからな、そっちに行ってみるといい。」
 デビアスはそう言って簡単にその宿の場所を説明した。
「そう、ありがと。邪魔したね。」
 彼女は不平も言わずに一言そう言うと宿から出ていった。
お尻の付近に伸びてくる酔った男達の手をかわしながら。
 フォウリーは彼女を見送った後、一度頬を叩いた。
「さあ、もう部屋まで戻りましょうか。」
 反対意見が出なかったので、彼女は勘定をするためにウェイトレス、名前をレスというが、彼女を呼んだ。
レスはすぐさま飛んできて、つけていた帳面を見ながら手早く計算した。
「全部で54ガメルになります。」
 だいたいの金額を予測していた彼らはその開きに思わず絶句してしまった。
「何かの間違いじゃない?たしか昨日は40ガメルぐらいだったはずよ。」
 沈黙の後フォウリーはそう彼女へと尋ねた。
「あ、あの今日から酒代が上がってるんです。」
 レスは酒に関するフォウリーの怖さを知っているから、半分泣きそうになりながらそう答えた。
「どうして?」
 まだ納得いかないようにフォウリーはさらに詰問した。
「あの、それは‥‥。」
「10日ほど前からガルガライズ方面で商隊が襲われるようになっちまってな、まあ酒全体の値段が上昇しているのよ。」
 レスの後ろからデビアスがそう言った。
「もっと詳しく話してくれる?」
 酒が関係しているのでフォウリーは興味を持ったようだ。
せっかく立ったのにもう一度座りなおしてしまった。
「ああいいとも。」
 デビアスは待っていましたとばかりに頷いた。
「何でも10日ほど前から、この町の南に3日ほど行ったところの街道沿いに猿の群が現れるようになってな、酒や食料を運ぶ商隊を襲うようになったのよ。まあ、所詮は猿だからな、盗まれる量はさほどでもねぇんだが、いかんせん被害数が多くてな、商隊としては護衛をつけざるを得なくなったり、海から運んだりしなければならなくなった訳だ。まあ当然手間賃が多くかかるから、酒の元値が上がっててな、こっちとしても酒代を上げざるを得なくなったのよ。まあ今は酒ぐらいだからそれほどでもないが、へたすりゃ食料の方も上がりかねんな。」
 デビアスはそう一気にしゃべった。
「ちょっと待ってよ。それはあくまでガルガライズの話じゃないの?」
 フォウリーは話の矛盾に気がついた。
「しわ寄せがきてると思ってくれ。それに便乗もな。」
 デビアスはここにいない奴等を冷笑するようにそう言った。
「それにしてもよ、たかだか猿にかよ。よっぽど間抜けなんだな。」
 ロッキッキーは空のカップをもてあそびながらそう言った。
「いや最近では山賊達も便乗して横行し始めたりしていてな、へたすりゃガルガライズとの流通が止まりかねん状況だ。」
 デビアスの表情は真剣であった。
「誰か手は打たないのですか。」
 いままで黙って聞いていたザンがそうデビアスに尋ねた。
そこまでの被害が出ているのなら、何かしらの動きがなければなければ不自然である。
「あるさ、近々猿退治がな。どうだ?お前たちも参加しないか?」
 デビアスはテーブルの上に半分寄り掛かった格好でそう言った。
そろそろ仕事をしてもらわねば困るといった感じであろうか。
「猿退治?まあいいけどさ、3人じゃちょっとね。」
 フォウリーはどちらでもいいようだ。
ただ人数に少し不安があるのであろう。
「そうさな、お前たちが受けてくれるんなら、後2、3人はつけるように言っとくわ。」
 デビアスもそう思ったのか、人数の件についてはどうにかしてくれそうである。
「幾らぐらいくれるんだ?」
 ロッキッキーはそう尋ねた。
「500っていってたな。」
 デビアスは右手を広げてロッキッキーにそう答えた。
「うん、悪くねぇ。」
 ロッキッキーは満足げに頷いた。
「分かったわ。その依頼受けましょう。」
 フォウリーはそう言って頷いた。
そこまでしてくれるデビアスに悪いと思ったのか、それともそろそろ懐が寂しくなってきたからか。
「よし。じゃあ先方に連絡しておくよ。明日の朝、町の東にある街門でペレインという名の商人を捜してくれ。」
 デビアスはそう言うと席を立った。
「分かったわ。」
 フォウリーらも次々に立ち上がった。
「じゃ明日の朝頼んだぞ。」
 デビアスはもう一度確認するようにそう言って、またカウンターの方に歩いていった。
フォウリーらも部屋に帰ろうとして、まだテーブルの脇に立ったままのレスに気がついた。
「あ、そうそう、はい54ガメル。」
 彼女らはそう言って金を渡し、部屋へと戻っていった。

 何事もなくベルダインの街で3人は朝を迎えた。
軽い朝食を取ってフォウリーらは東の門を目指した。
東の門の前は小さな広場になっており、そこに一つの馬車と幾人かの人がいた。
「貴方がペレインさん?」
 フォウリーは幌馬車の所にいた商人風の男に声をかけた。
「はい。貴方達がデビアスさんから紹介があった冒険者ですか?」
 ペレインは手を止めてフォウリーらの方を向いた。
年の頃は30半ばほどであろうか、小さな店の主人のような感じだ。
「ええ、そうよ。」
「ぜひ猿たちを退治してください。期待していますよ。」
 彼は素直にそう願っているようであった。
「で、何人か来ているはずなんだけど。」
 フォウリーはそうペレインへと尋ねた。
「えーと、一人はもう来ているのですが、もう一人はまだですね。」
 ペレインは荷物つみを手伝っている男を示しながらそう言った。
「二人‥‥か。」
 もう一人はどんな奴なのか、ロッキッキーはかなり興味を持っているようである。
「とりあえず挨拶ぐらいはしましょう。」
 ザンはそう促した。
「そうね。」
 フォウリーは頷き、彼らはペレインが示した男へと近づいた。
 男はフォウリーらに気づき、手を止めて彼らの到着を待った。
「貴方が私たちと一緒に仕事を手伝ってくれるんでしょ?」
 フォウリーは男の顔を見ながらそう言った。
よく言えば野生味溢れる表情であるが、要するに粗野な顔をしていた。
「ああ。そうだ。」
 多少訛りのある言葉で男はそう言った。
「そう。あ、私の名前はフォウリー・アシャンティー。フォウリーでいいわ。」
 フォウリーは気がついたようにそう言った。
「リュウ。」
 男はそう名乗った。
表情に似合わずいい声だ。
それともその表情は彼が人になれていないせいだろうか。
「そう。よろしくねリュウ。」
 彼女はその辺は深く考えないことにしたようだ。
「俺はロッキッキーてんだ。よろしくな。」
 彼女の横からロッキッキーがそう言って手を出してきた。
「よろしく。」
 リュウは手を取った。
「私はザンです。よろしく。」
 反対側からザンがそう言った。
リュウは一瞬戸惑ったような表情を見せるが、本当に一瞬のことであった。
「よろしく。」
 リュウはぎこちない笑みを浮かべてそう言った。
「所で貴方、もう一人くるはずなんだけどどんな奴なのか知らない?」
 フォウリーはそう尋ねた。
「‥‥森の妖精だ。」
 リュウが聞き慣れぬ言葉を使ったので、それがエルフと気がつくのに少し時間を要した。
「エルフ‥‥ね。」
 それはいまだ感傷を引きずる言葉であった。
「みなさーん。もう一人の方が来ましたよ。」
 馬車の先頭の方でペレインがそう叫んでいるのが聞こえた。
「はい、今行きます。」
 あわててザンがそう答えた。
「リュウも行きましょう。」
 フォウリーに対しリュウは頷いた。
こうしてリュウを加えた彼らはペレインの所の戻るのであった。

 そこにはペレインと並んで一人のエルフの女性がいた。
いや、感じ的には少女という言葉の方がしっくりくるであろう。
年齢はおそらくこの街で一番上にも関わらず、である。
彼女の顔をみたフォウリー、ロッキッキー、ザンの3人は記憶層を刺激された。
そして夕べ見たエルフであることに気づくのにそれほど時間もかからなかった。
「初めまして。エルフィーネ=ベルフ=シルフィードだよ。よろしくね。」
 遅れたとかそういう考えは全くないのであろう。
彼女はそう言って軽く頭を下げた。
「よろしく‥‥。」
 フォウリー達は先ほどと同じ様にエルフィーネに対して名乗っていった。
もっとも彼女はあまり興味なさそうに聞いていたが。
「ところでさ、荷物の中身は何なの?」
 フォウリー達の自己紹介が終わったとみるや、エルフィーネはそうペレインへと尋ねた。
「えーとですね、樽の中はただの水ですし、箱の中は砂が詰まっているだけですよ。お一つ差し上げましょうか?」
 最後は冗談のつもりだったのであろうが、あまりいいできとはいえなかった。
「考えとくね。」
 まったくつまらなそうに彼女はそう言った。
ロッキッキーも同じ様な表情をしたのをフォウリーは見逃さなかった。
「所でペレインさん。誰が私たちと同行してくれるのですか?」
 エルフィーネより幾分ましな質問をザンは口にした。
「はい、ガトーという御者が一人あなた達に同行します。
1人だけですので万が一の時はよろしくお願いします。」
 彼はそう言った後、頭を下げた。
「ま、しょうがないわね。
それよりもそろそろ荷の積み込みも終わったみたいだし、出発しましょうか?」
 フォウリーはそう提案した。
「そうですか。ではおきをつけて。」
 ペレインはそう言って再度頭を下げた。
そして彼らはもう一度馬車の荷を確認した後で、ペレインの見送りを受け街の東門を抜けていった。
だが彼らの中で誰一人、いや門に残ったペレインでさえ気づかなかった。
一人の男が彼らの馬車を追うように門を抜けたのを‥‥。

 ベルダインからガルガライズへの道は、彼らの進む旧市街からの道と新市街の道とが合流したところからまだしばらく東に向かっていた。
そして東に延びるレイドに続く道、”自由人たちの街道”と南に延びるガルガライズに続く道に分岐するのである。
 ベルダインを出発した一台の馬車と6人の人間は分岐点を南の道へと進んだ。
彼らの他には往来する者もなく、道は少し寂れた雰囲気を持っていた。
「誰も歩いていないのね。」
 馬車の後ろで歩きながらエルフィーネはそう呟いた。
「そうね‥‥。」
 その隣を歩いているフォウリーはそう呟いた。
だがいい加減彼女は疲れ始めていた。
なにせ彼女の隣を歩いているエルフときたら人見知りというものをしないらしく、なんやかんやと話しかけてくるのでまいりはじめているのであった。
まったくエルフにしては珍しいといえよう。
− 実は口から先はグラスランナーじゃないの?
 彼女はそんな風に皮肉を言いたい気分になってきていた。
「それでね‥‥。」
「ねぇ、私やっぱり先頭に行くわ。一応リーダーですしね。」
 話しかけてきたエルフィーネにフォウリーはそう言うと、どんどん前へと歩いていってしまった。
「‥‥そう。」
 彼女は空転した話題を記憶の片隅に押し込めるとつまらなそうな表情をした。
だが今の所ほかの者に話しかける気は全くなかった。
フォウリーに話しかけていたのは同性ゆえの気軽さという奴であったのだ。
彼女は辺りの風景と、そして精霊達を見ながら馬車にあわせて歩いていった。
 一方エルフィーネから逃れたフォウリーは先頭のロッキッキーの所へと歩いていった。
「あん?どうしたんだ、疲れた顔して。」
 隣へと並んだフォウリーにロッキッキーはそう話しかけた。
「エルフィーネってレティシア以上にうるさいわ。こうなるとレティシアが大人に見えるわね。」
 フォウリーは苦笑を漏らしながらそう言った。
「まじかよ?!やべぇな、俺って結構ああいうのに捕まるらしいからな。」
 ロッキッキーは冗談とも本気ともとれる表情でそう呟いた。
レティシアの時の彼を見ているフォウリーは本気の色合いが濃いと思ったが。
「そうなってくれると私の方が助かるな。」
 フォウリーは結構真剣な表情でそう言った。
「冗談だろ?何で俺がお前の代わりに生け贄になんなきゃいけねぇんだよ。」
 ロッキッキーはそう言って大きく首を横に振った。
だが結局彼は捕まるのであるが、それはまだ先の話である。
「ちぇっ、惜しいなー。」
 フォウリーはそう言って指を鳴らした。
が、あまりいい音はしなかった。
 商隊はそのままきわめて平和的な雰囲気の中で一日を終えた。

 翌日一行はテントをたたむと再び南へと歩き始めた。
今日は先頭をリュウとフォウリーが歩き、その後に馬車がきて、そしてザン、ロッキッキー、エルフィーネがその後ろを歩いていた。
いまだ猿の襲撃を無く2日目ということをあって、そろそろ彼らの緊張も切れてきそうな頃合であった。
 太陽がもうそろそろ南天しようかという時間帯になった頃、不意に一行の耳を聞き慣れた獣の咆哮が横切った。
フォウリーは咆哮が発せられたであろう方を向いて小さく呟いた。
「狼か‥‥。」
 もちろん危機感などは持っていない。
よしんば狼風情が襲ってきても返り討ちにできる自信があるからだ。
「テリトリーに入ったのか?」
 リュウもフォウリーと同じ方向を見ながらそう呟いた。
「まさか。街道よ。」
 フォウリーはそう言って首を振った。
そのときまた狼の咆哮が彼らをよぎった。
「‥‥近づいてるな。」
 馬車から不安げな表情でガトーがそう言った。
「狼くらいなら襲われても大丈夫です。
ただ馬が狂乱に陥らないようにしてください。」
 フォウリーはそうガトーを元気づけると共に最低限の指示を出した。
「わ、分かった。」
 ガトーはそう答えて手綱をぎゅっと握りしめた。
だが口調ほどには態度はあわててはいなかった。
何度か狼にあった経験があるのだろうか、それとも冒険者らを信頼しているのだろうか。
 そんなおりまた狼の声が聞こえた。
そしてそれは姿が見えなくても、すぐ近くから発せられたのが十分分かるほどはっきりとしていた。
「止まって!」
 フォウリーは短くガトーにそう言うとすぐさま武器を構えた。
隣のリュウはすでに剣を抜いていた。
なかなかに素早い反応だ。
− 慣れてるわね。
 新しき仲間の反応を満足に思いつつ彼女は視線を前へと向けた。
彼女らの前方の草が揺れたかとおもうと、狼が6匹街道にその姿を見せた。
「ひゃあ!」
 ガトーは情けない声を上げて馬車の上で縮こまってしまった。
だが手綱はしっかりと握られていた。
− 珍しいわね、街道の人間を襲おうなんて。よっぽど飢えているのかしら。
 フォウリーはそう考えたが、別に狼が可哀想だとは思わなかった。
ただどうせなら私たちを襲わなくてもとは思ったようだが。
 狼達はどの点で自分たちが優位に立っているか分かっていたようだ。
6匹の狼は左右に展開しフォウリーとそしてリュウに3匹ずつ襲いかかった。
だが所詮雑魚であった。
瞬く間に3匹が殺され、かなわないと見た一匹がほとんど無防備の後ろの3人へとその矛先を変えたのである。
「しまった!」
 フォウリーはそう叫んだがまだ手が空いているわけではなかった。
リュウも同様である。
彼らはとりあえず仲間の善戦に期待し、目の前の敵を倒すことを考えることにした。
 一方いきなり狼に襲いかかられたロッキッキー、ザン、エルフィーネの3人であるが、さすがに狼狽の色は隠せなかった。
しかしやはり一番始めに正気に戻ったのはエルフィーネであった。
彼女はすかさず男二人の後ろに回り込んだのである。
そして狼は襲いかかってきた。
2対1とはいえそう簡単には勝負は決せなかった。
ザンなど避けるのが精一杯であるし、ロッキッキーの攻撃はあたってもかすり傷しか追わせられなかった。
もちろんエルフィーネなどは観戦している始末である。
 膠着状態が続くかと思われたそんな時、不意に一人の男が彼らへと話しかけてきた。
「助っ人するぜ。」
 本人は格好良く決めたつもりであろうが、3人は一瞬唖然としてしまった。
エルフィーネなどは春だからとか思ったようである。
だが突然現れた男の力を借りて、どうにか彼らは狼を倒すことに成功した。
3対1でやっとというのが少し情けないところであったが。
「ありがとう、助かりましたよ。」
 ザンは一息ついた後にその男へとそう礼を言った。
「いや何、気にしないでくれ。」
 男は片手を軽く振ってそう答えた。
「所で貴方は誰?」
 エルフィーネは不信感をあらわにした表情でそう言った。
もっとも彼女の方もあまり素性が分からないので、そんな事をいえたものではないのだが。
「俺はルーズってんだ。まあこんななりしてるから分かると思うけど一応ソーサラーなんだよ。」
 ルーズと名乗った男はそう一気にしゃべりまくった。
− そこまでは聞いていないわ。
 エルフィーネはそういいたげな視線を彼へと向けた。
「何にせよ助かったぜ、ルーズとやら。まさか狼があの二人を抜けてくるなんてな。」
 ロッキッキーはそう言っていまだ戦いの終わらぬフォウリーとリュウを示した。
「助太刀はしないのか?」
 ルーズはそうロッキッキーへと尋ねた。
「あん?大丈夫だって。リュウはわからんが、狼なんかフォウリーの敵じゃねぇって。」
 彼はそう言って心配ないというように手を振った。
「ふーん。」
 あまり理解できないがするほどのことでもないと思ったのであろう、そう興味無さそうに呟いただけであった。
 一方そのフォウリーとリュウの二人の方はようやく残りの狼を切り捨てた所である。
少し息を乱しながら、それでもリーダーとしての責務を忘れずに仲間の安否を気遣うべく後ろを振り向いた。
だが談笑している彼らを見て大きく肩を落とした。
「‥‥まあそんな所ね。」
 あまり期待してはいなかったが、どうせなら手伝ってくれてもいいのにと考えたようだ。
と、そのフォウリーをリュウがつついた。
「何?」
 顔だけを向けてそう尋ねた。
「‥‥1人多い。」
 リュウはそう言って、先ほどまではいなかったローブをまとった男を示した。
「あら?本当‥‥何者かしら‥‥。」
 フォウリーの頭の中で警報が鳴り響いた。
猿の群に便乗している山賊の手下ではないか、とも考えられる。
「行きましょう。」
 顔を見合わせた後フォウリーはそう言った。
リュウはただ黙って頷いてだけであった。
2人は剣を抜いたまま、仲間のもとへと走っていった。
 険しい表情の2人を、エルフィーネ、ロッキッキー、ザンそしてルーズの4人は笑顔で迎えた。
特にロッキッキーとルーズは考え方が似ているのだろうかすっかり意気投合していた。
まるで10年来の知己のようであった。
「みんな無事だった?」
 聞くのも馬鹿らしいと思いつつフォウリーはそう口にした。
「平気だよ。
狼なんてわけないよ。」
 全く戦闘に参加していないエルフィーネがあたかも当事者のように口にした。
「そう‥‥、所で貴方は?」
 もちろんフォウリーはそんなことを知る由もない。
それよりも彼女の神経は見知らぬ男へと向いていた。
「俺はルーズっていうんだ。これでもソーサラーなんだぞ。」
 子供じみているというか、そんな行動でルーズはそう答えた。
「狼との戦いに参戦してくれまして。」
 横からザンがそう説明した。
「偶然‥‥にしちゃ出来すぎてるわね。貴方いったい何者?」
 彼女は頭からルーズを信用していなかった。
もっともこれぐらい用心深くなければ冒険者などやっていられないが。
「実は朝から君たちをつけていたんだよね。」
 あっけらかんとした口調でルーズはそう呟いた。
「何故?」
 つけていたと聞いてフォウリーの視線がさらに険しくなる。
「昨日酒場でこの事を聞いて面白そうだと思ったけど、そこで参加するより君たちが危なくなったときに助けに入った方がお礼が多く貰えるかな、なんて思ったんだな。」
 しかし彼は彼女の視線などものともせず、先ほどと変わらぬ口調でそう言った。
それを聞いてフォウリーは無言で肩を落としてしまった。
「どうしたんだ?」
 馬車の後ろの方で喚いている彼らを不審に思ったのか、ガトーがひょっこり顔を見せた。
そしてルーズを見てびっくりしたようだ。
「こいつは?」
 不安げな表情でガトーはフォウリーに説明を求めた。
フォウリーは苦々しげな表情を見せながらもルーズのことを話した。
途中本人が何度か訂正と補充のために口をはさんだが。
 ガトーは話の間ずっと頷いていたが、ルーズの口から報酬の言葉が出ると困ったような表情になった。
「え?出ないの?」
 大きく目を開けてルーズはそう叫んだ。
「とは言わんが何分急なことだからな、儂の一存では‥‥。」
 ガトーは申し訳なさそうにそう呟いた。
「そこを何とか。」
 ルーズはなおも食い下がった。
彼の方もザン達を助けたことが無駄になってしまうので必死である。
「だから儂の一存ではちょっとな‥‥。」
 ガトーは本当に困っているようだ。
「そうねぇ、商人って裕福になるほどけちになるしねぇ。」
 猿退治を計画した側の商人の事を考えながらフォウリーはそう呟いた。
「博愛精神に富んだボランティアにされてしまうかもしれませんね。」
 ザンはルーズを見ながらそう言った。
「そんなぁ、何とかお願いしますよ。」
 ルーズの方は半分泣きそうになっていた。
「はあ、分かった。帰ったら何とか交渉してみよう。」
 人が良いのかガトーはルーズの泣き落としに負けてしまった。
「本当に?やったー。」
 ルーズは踊りだしそうな勢いで喜び始めた。
「そのかわり最後までちゃんといてもらうぞ。」
 ガトーは彼が逃げないように釘をさしておくのも忘れなかった。
「分かってますって。」
 ルーズは嬉々とした表情で頷いた。
こうしておとりの馬車を守る護衛は6人になったのであった。

 商隊がよく襲われるという森の入り口についたのは、ベルダインを出発してから3日目の夕方であった。
いや森というよりはジャングルといった方が正確かもしれなかった。
 とりあえず彼らは入り口の手前で立ち止まった。
このまま進むのかどうかを決めねばならないからだ。
ガトーの話によるとこのジャングルを抜けるのには、街道を進んで6時間ほどかかるということであった。
今からジャングルの中に入れば、半分ほど進んだ所で完全に日が沈むであろう。
木々の葉が日光を遮るので、実際はもっと早く暗闇に包まれるであろうが。
「さて、どうしましょうか?」
 馬車の横に円を組むように集まった一行に対し、フォウリーはそう切り出した。
「やっぱりここで一晩キャンプして、朝になったらいけばいいんじゃない?べつに急いでいるわけでもないしさ。」
 エルフィーネはまるで自分の意見が決定されたものであるかのようにそう言った。
「そうですなぁ、儂としても今回はおとりですし、また馬の負担を軽くするためにはこの辺で一泊した方がいいと思いますが。」
 ガトーがエルフィーネに追随した。
「‥‥夜の森は危険だ。」
 リュウも頷くようにそう言った。
どうやら他の者もここに停泊するのに賛成のようだ。
「‥‥そうね。それに結構疲れがたまっているからね。無理する必要もないか。」
 フォウリーは最後の所だけを呟くように言った。
「よし!そうと決まれば男どもはテントを張って!!私とエルフィーネは食事の支度をするわ。」
 彼女はすくっと立ち上がるとそう指示を出した。
「食える物が出来るのかよ。」
 ロッキッキーがすぐそうちゃちをいれる。
笑いが他の者にも伝播した。
「出・来・ま・す!まあ高尚すぎて庶民には分からない味になるでしょうけど。」
 フォウリーはそう言って勝ち誇ったように笑んだ。
「はいはい。まあがんばってくれや。」
 ロッキッキーはそう言うと立ち上がった。
他の者も立ち上がる。
そして野営の準備が始められた。
 食事はまあまあの味の物が出来たようだ。
もっとも空腹は最高の味付けともいうから、それでそう感じたのかもしれなかった。
テントは二つ立てられ、馬車は馬ごと近くの木に結わえられた。
 とりあえずいつものように交代で見張りに立つことになったが、これには出来るだけ本人の意思が取り入れられた。
といってもエルフィーネが自身の身の安全のために騒いだだけであったが。
 まずはじめにフォウリー、リュウ、エルフィーネが夜半まで、次にロッキッキー、ザン、ルーズが夜明けまでということになった。
後半に戦士系がいないのが少し気になる所だが、まあ何もないであろうからとこの様に決まったのだ。
「何かあったら起こしてください。」
 ザンらはそう言うとテントの中へと入っていった。
「さて、何もおこらなきゃいいけど。」
 フォウリーはそう言って完全武装のまま馬車の近くに立った。
リュウは反対側の街道の方である。
エルフィーネは一人テントに程近い場所の焚き火の前に座り込んだ。
フォウリーとリュウの連絡役と、いざというとき他の者をたたき起こすのである。
彼女の耳にはすでに寝入ったのか、3つのいびきと寝息が聞こえてきていた。
「幸せそうね。」
 彼女は炎を見つめながらぽつりとそう呟いた。
時はまるで大河の流れのようにゆっくりと流れていった。

 テントで眠る3人のいびきがいよいよ本格化した頃、それは突然に起こった。
それとはもちろん襲撃、である。
いや、その兆候は彼らがジャングルの入り口についたときからあったのだが、誰も気づかなかっただけなのだ。
 猿達はまず闇にまぎれてこっそりと馬車に近づいてきた。
一匹が縛られていた縄を解き、もう一匹が馬車の近くまでたどり着いたとき、木の上に潜んでいた猿達が一斉に大きくて堅い木の実や石、木片や腐った果物をフォウリーとエルフィーネに投げつけてきたのだ。
「なっ、何?」
 2人は当然突然のことに戸惑った。
その隙をつき猿が荷馬車に飛び乗り、手綱を取って馬車を走らせたのだ。
「馬車!」
 変を感じてこちら側へ走ってきたリュウの声にフォウリーが我に返った。
「しまった。」
 彼女はそう叫ぶなり馬車を追い始めた。
リュウの方はなす術もなく、ただ飛んでくる物をかわすのみであった。
エルフィーネの方は何とか飛んでくる物をかわすと、即座にテントの中に転がり込んだ。
当然この騒ぎで起きていることを期待したのだが、どうやら彼女の考えは甘かったようだ。
3人ともまだ熟睡していたのである。
「呆れた‥‥。」
 彼女はそう呟いたがそれは彼らの睡眠を肯定するものではなかった。
「やっぱり必要なのは魔術師よね。」
 一人頷きながら彼女はまずザンの脇に立った。
だが残念ながら彼女の思考には優しく起こすという物はなかった。
彼女は手のひらに息を吹きかけると、いきなりザンの頬を張り叩いたのである。
案の定ザンは飛び起きた。
「ほら起きて!猿の襲撃よ!」
 訳の分からぬような表情で自分を見るザンにエルフィーネがそう言うと、彼は頷き杖を持ち頬を撫でながらテントから出ていった。
口の中でもっと優しく起こしてくれてもいいのに、と呟きながら。
 ザンを見送ったあとエルフィーネは今度はルーズの脇に立った。
そしてザンと同じように頬をひっぱたいた。
だが今度はうまく当たらなかったようだ。
ルーズは2、3度唸るように声を上げ、また規則正しい寝息をかき始めた。
「‥‥面の皮の厚い奴。」
 エルフィーネはそう呟くと彼をもう起こそうともせず、テントの中から様子を伺うことにした。
 ザンがテントから出たときには、もうほとんど猿の攻撃は止んでいた。
大方馬車の収奪がうまくいったので引き上げているのだろう。
ここから見ても森の中には何匹も見受けられなかった。
リュウの方も出てきたザンに対し肩をすくめるだけにとどまった。
「これではしょうがありませんね。私はもう少し休ませて貰いますよ。」
 ザンはそう言うと大きく伸びをしながらテントの中に潜り込んだ。
テントの入り口の所にいたエルフィーネをもう安全だからと追い出し、彼はまたゆっくりと夢の中に落ちていった。

 一方猿に乗っ取られた馬車を追って、フォウリーはジャングル内の街道を疾駆していた。
御者台に乗っている猿の方も慣れているのか、かなりうまい手綱さばきを見せていた。
もっとも馬の方が本調子じゃないので、速度はフォウリーよりも若干早い程度であった。
− 全く‥‥、こんな所で馬車と競争させられるなんて思わなかったわ。
 フォウリーは流れるような汗を拭うこともできず一心不乱に走っていた。
と、彼女の目の前を何かが横切った。
よく見ると一匹の猿が馬車に飛び乗ったのだ。
− 大きい‥‥。ボス猿かしら?
 フォウリーはふとそんなことを考えた。
ようやく馬の方も調子が出てきたのか、いったんは追いつくかと思われたフォウリーをどんどんと引き離し始めた。
− 駄目‥‥かしら?
 だんだんと遠ざかる荷馬車を見ながらフォウリーはそう思い始めていた。
そんなとき不意に前方に幾つかの人影が飛び出した。
暗い月明かりに浮かび上がった影だけでは、人数が4人だということと武器を持っているらしいということしか分からなかった。
人影はそれぞれに武器を振りかざして馬車の行く手を遮ろうとした。
こうなると所詮は猿である。
2匹の猿は大慌てで馬車から飛び降りて森の中に消えていった。
4つの人影は無人になった馬車になんとかとりついた。
その間にフォウリーは距離を詰めていたので、人影が盗賊風の出で立ちの男であると分かった。
男たちは派手な音を立てて向かってくるフォウリーの姿を見ると、大慌てで馬車に乗り込み逃げ去ろうとした。
− 逃がすもんですか!
 一瞬フォウリーのが速かった。
彼女は走りだそうとした馬車にどんと飛び乗ったのである。
男たちは戸惑ったようだが、相手が一人であることと女であることで相手の実力を測り違えたようだ。
多少は邪な考えがあったかもしれなかったが。
 だがその代償は高くついた。
足場の悪い馬車の上とはいえ、相手の方が数的に勝っているとはいえ、なんらフォウリーにはハンデにならなかった。
瞬く間に一人が肉塊と化した。
わずか数瞬前まで人間だった”物”は馬車から落ちて嫌な音を奏でた。
その音でとたんに男たちの戦闘意欲は薄れていった。
彼らはフォウリーに降伏を願い出た。
鬼でも悪魔でもないフォウリーは、もちろんその申し出を快く受け入れた。
 とりあえず馬車を止め反転させると、フォウリーは降伏した3人を連れて野営地へと戻るのであった。

 馬車を取り戻し3人の男を捕虜にしてフォウリーは野営地へと凱旋した。
待っていたのはリュウとエルフィーネ、それに騒ぎが収まった後にテントから出てきたガトーの3人である。
 ガトーは馬車が盗まれたと聞いてひどく落胆した。
大きな声で騒ぎこそしなかったものの、これだから冒険者などは‥‥、などと呟きだす始末であった。
リュウは黙して何も言わないのでもっぱらエルフィーネが、自己弁護のためであろうが口を動かした。
始めのうちはまだ私たちも努力はしたとかそんな感じのものだったが、ガトーのはっきりしない態度に次第にエスカレートしていった。
「あのね、そんなにぶつぶつ言うくらいだったら自分で止めればよかったでしょ!何よ!後から出てきて結果に文句を言うなんて!これだから人間て嫌なのよ。」
 彼女が怒ってもあまり迫力はないのだが、それを補ってあまりあるほど饒舌でしかも感情的なのだ。
とにかく相手に反論を許しさえしないのだ。
ガトーは反論を封じられて口を金魚のように動かしながら、ただ青ざめてエルフィーネを見ていた。
そんな彼を気の毒に思ったのか、リュウががっと彼女の肩を押さえた。
「もうそれくらいにしておけ。」
 リュウはぐっと肩をつかんだままそう呟いた。
彼女は肩をつかんだリュウに対し何か言おうとするが思い直し、彼の手を払うとたき火の前に座り込んだ。
ガトーはほっとした表情で大きく息を吐いた。
− それにしても‥‥。
 ガトーはかなり意外そうな表情でエルフの少女を見た。
彼の知っているエルフとはこんな感情的で、自分勝手ではなかった。
さてどちらが本当の姿なのであろうか。
 それからしばらく沈黙が続き、辺りはザンらの寝息と薪の弾ける音、風にざわめく木々の葉の音に支配された。
そしてその中に次第に馬の嘶く声、人の声、そして馬車の車輪の音が混ざってきた。
リュウが森へと続く街道の方へ視線を向けた。
彼の草原で鍛えられた目はエルフやドワーフほどではないにしても、暗闇の中で物を見ることが出来るのだ。
その彼の目にぼんやりと人影と馬車の影が入ってきた。
人影が一人でないことに気づき、彼の体中に緊張が走った。
知らず知らずのうちに武器の柄に手が伸びていた。
「誰?」
 いつのまにか後ろにエルフィーネが来ていた。
「わからん‥‥。お前のがよく見えるだろ?」
 リュウはそう答えた後、気がついたように彼女へと言った。
「まあね。でも人間より少しましな程度よ。」
 エルフィーネは目を凝らしながらそう言った。
彼女の目にはリュウより多少はっきりとその影が見えていた。
「馬車でしょ‥‥それから人影が4つ‥‥、一人はフォウリーね、間違いないわ。」
 彼女はリュウに後ろからそう言った。
「捕まったのか?」
「さあ?なんなら光の精霊の力を借りて明るくしてもよくてよ。」
 エルフィーネは悪戯っぽく笑いながらそう言った。
「‥‥遠慮する。」
 リュウは何か嫌な予感を感じてそう言った。
 人影は止まる気配も見せずゆっくりと近づいてきた。
やがて月明かりの下でも状況が把握出来るまでの距離になった。
どうやらフォウリーが男三人を引き連れて歩いてきているのだ。
もちろんそこまでの距離だから向こうからもこちら側が見えたようだ。
「リュウ、エルフィーネ、こっちに来て少し手伝って。」
 呼ばれた2人は顔を見合わせた。
どうやら罠でも無さそうである。
一応念のため剣を抜きやすい位置に移動させて、エルフィーネとリュウはフォウリーのもとへと走っていった。
 もちろん罠などではなかった。
捕虜の男たちはフォウリーに言われたリュウの手によって縛られ、たき火の近くに一固まりに座らされた。
「さて、まずあなた達のことを聞かせて貰いましょうか、山賊さん。」
 フォウリーは3人のうち1人を選び、にっこりと微笑んでそう尋ねた。
「分かっていると思うけど、嘘をついたりなんかしたらこれよ。」
 彼女は笑んだまま剣の柄を叩いた。
「お、俺達は猿のうわさを聞いて一稼ぎできると思ってここに来ただけだ。」
 男はおびえた目を彼女に向けながらそう答えた。
「猿の獲物をかすめようなんて‥‥。呆れて物も言えないわ。」
 男らに非好意的な視線を向けつつエルフィーネはそうはき捨てるように言った。
「‥‥ほかに仲間は?」
 リュウもあまり好意的ではないようだ。
じろりと自分の目の前の山賊を睨んだ。
「い、いねぇ。俺達だけだ。」
 男は首がちぎれんばかりに横に振った。
「じゃあ次は猿について教えてくれる?」
 フォウリーはあくまで優しげにそう言った。
だが山賊達の目にはさぞ不気味に映っていることであろう。
「ああ奴等か。奴等はいつも東の方の小さな山からやってくるようだ。」
 男の1人はそう言った後、同意を求めるように仲間を見回した。
「ボス猿は恐ろしく利口だから注意した方がいい。」
 また別の者が続けてそう言った。
− 少なくともあなた達よりわね。
 エルフィーネは男たちのへつらうような顔を見ながらそう考えた。
「群は20から30匹の猿がいるようだ。」
 少ししてまた別の男がそう言った。
が、それきり山賊は有益なことを言わなくなった。
どうやらそれくらいしか知らないようである。
いずれも無いよりまし、という程度の情報なのが少し気に入らないところだが、そんなことも言っていられないだろう。
「所でさ、こいつらどうするの?まさか連れていくなんて言わないよね?」
 エルフィーネは山賊らを指さしながらフォウリーへと尋ねた。
「そうねぇ‥‥、やっぱりベルダインかガルガライズの警備兵に突き出したほうがいいかしらね。」
 フォウリーは少し考えた後でそう呟いた。
「そ、それだけは勘弁してくれ。こ、殺されちまうよ。」
 山賊らは情けない声でフォウリーらの慈悲を請おうとするが、もちろん成功するはずもなかった。
「自業自得よ、諦めて。」
 フォウリーの言葉はひどく素気なく、冷徹に聞こえた。
それで諦めたのか山賊達はがっくりと頭を垂れた。
「その前に見ぐるみ剥いでみるか。」
 リュウは突然そんなことを言って山賊らの見ぐるみを剥ぎ始めた。
『ビーデス(野蛮な)。
』  エルフィーネは聞き慣れぬ言葉をはき捨てた。
フォウリーにはその意味は分からなかったが、いい意味の言葉でないことは理解できた。
非難されたリュウであるが、それだけの価値があるものも見つけることは出来なかった。
「さて、もう少しで交代だからね。さっさと持ち場に戻りましょう。」
 それを見たフォウリーはそう言った。
確かに色々あったのでもう少しでザンらとの交代の時間であった。
彼らは先ほどと同じ位置に立ち、時間がもっと速く過ぎることを願った。

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