6人の10日分程度の食料を買い込んだ彼らは、ザラスタの町を離れダーヴィスの教えてくれた古文書の通り、始めは”黒き獣”を目指して街道を進んでいた。
”黒き獣”のことは、ジルが知っていた。
ザラスタの港から街道に沿って丸2日ほど南に歩いたところにある、ラグトス村の近くにある奇岩の事である。
ラグトスの村でしばしの休息をした彼らは、村人に”黒き獣”の正確な場所を聞き、何事もなくたどり着いたのであった。
”黒き獣”は、ラグトスの村から2時間ほど西南西に行ったところにあった。
「これがそうなの?」
エルフィーネの意外そうな声も納得できるほどの代物でしかなかった。
この奇岩は高さ5mほどで、言われてみれば四足獣の形をしているというぐらいにしかすぎなかった。
「これは自然物じゃなぁ。」
しばらく6人は呆然とこの奇岩を眺めていたが、不意にジルがそう呟いた。
もっともそんな事が分かっても、他の5人にはさして関係の無い事であったが。
眺めていても埒が開かないと思ったのか、それとも退屈したのか不意にロッキッキーが口を開いた。
「上に何かあるかも知れねえからよ、ちょっくら登ってくらぁ。」
彼は言うが早いかさっさと岩を登り始めた。
彼にとってこれぐらいの高さの岩登りなど、どうって事無かったようだ。
ルーズらの見守る中、彼はすいすいと岩を登りきってしまった。
「なにかあるかーーーい?」
岩の上のロッキッキーにルーズが叫んだ。
「何にもねえわ。」
彼は一度肩を竦めると、またすいすいと岩を降りてきた。
「これが頭かな。」
ソアラがそう言って岩の一端に立った。
確かにそう見えなくはない、ただしそう見ようと努力すればであるが。
「そうじゃな。」
そのソアラにジルが頷く。
「確か古文書に書かれていたのは、”黒き獣が見つめる先”でしたよね?」
そら覚えなのかザンは、そうエルフィーネに確認した。
「そうだよ。」
たいして考えもせずにエルフィーネはそう頷いた。
「と言う事はこの向こう‥か?」
ルーズはそう言って額の所に手をかざし、その方向を見る。
が、森が見えるだけで別段変わったものが見えるわけではなかった。
ただ森の遥か向こうに険しい山脈が聳えているのもわかった。
「じゃ、行くべよ。」
ロッキッキーは頭の後ろで両手を組みながら、そっけなく呟いた。
「西南西の方向ですね。」
彼らは”黒き獣”を後にし、木々鬱蒼と生い茂る森の中へと歩みを進めていった。
”黒き獣”より西南西への道は、深い森の中を進むことに他ならなかった。
二日間の行進であってそれほどの森ではなかったが、ソアラの野生的感が無ければこうもたやすく森は抜けられなかったであろう。
あくまでもたやすく、であるが。
森の中を進む彼らの目に、異様な木々が映り始めていた。
彼らの進行方向に、弓なりに反った木が映り始めたのである。
「あれが”弓樫”じゃな。」
ジルがそっけなくそう言った。
おそらく古人がそう名付けたのであろうが、弓を知っている者ならばそう名付けたくなるような木である事は確かだ。
木のてっぺんと根元に強い縄を張れば、今すぐにでも巨大なバリスタが作れそうである。
「これがそうですか‥‥。」
さして感動もせずにザンがそう呟いた。
残念な事に、彼らは旅行者ではなく冒険者なのである。
この弓樫も、虹の谷への道しるべの一つにしかすぎないのだ。
「”三本の弓”ってことは”三本の弓樫”ってことかな?」
いかにも分かりきった事を、分かりきった口調で言ったのはエルフィーネである。
「そうだな、じゃ、手分けして探すか?」
ロッキッキーの提案通り6人はバラバラになって、3本の弓樫を求めて森の中をさまよい歩いた。
だが、3本並んだ弓樫など、この辺りのどこにも見あたらなかった。
始めにいた所に戻った6人は、それぞれに顔を見合わせて首を横に振った。
「他の場所なのかな?」
ソアラが弱気な事を呟く。
「そんなはずはありませんよ。
確かにここのはずです。」
ザンが首を振ってソアラの言葉を否定する。
「のぉ、少し気になったんじゃが、この場所はやけに切り株が多いと思わんか?」
停滞した気分を吹き飛ばすような事を、ジルはいつもの口調で呟いた。
このことに気付いたのは背の低さゆえか、それとも注意深さゆえなのか‥‥。
「きこりね!」
エルフィーネも気付いたようだ。
この辺りにきこりがいれば、三本の弓樫のうち何本かが伐られていても不思議ではない。
「それです!みなさん、今度は切り株を含めて三本の弓樫を探してください。」
ザンの言葉にそれぞれが頷き、またそれぞれに弓樫を求めて森の中へと入っていた。
3本の弓樫の候補は2カ所で見つかった。
それぞれに2本が元のままの木で、一つが切り株だったため先ほどは見逃していたのだ。
6人は片方へと集まっていた。
「これかあれか、どちらかが本物なのですね。」
ザンのその呟きは真実である。
他には、もう切り株も含めて3つある弓樫は見つけられないのだから。
「問題はどちらかが本物かって事だな。」
ロッキッキーは目の前を見、そしてもう一つの方がある方向を見た。
だが、見た目には同じような木と切り株である。
それだけでは分かりようもなかった。
「くそ、どっちなんだ?」
焦ったようなルーズの声が響く。
他の5人もきっと同じような心情であろう。
「おいエルフの小娘、古文書の言葉を暗唱するのじゃ。」
ジルの突然の高飛車な言葉に、エルフィーネは当然文句を言おうとしたが他の4人の視線には勝てなかった。
何よ偉そうに、などと口の中で文句を言った後、古文書の一小節を暗唱する。
「”黒き獣が見つめる先 三本の弓立ち並ぶ 弓より矢飛びて 白い壁を射ん”よ!これぐらい覚えとけないなんてドワーフはなんて知能が低いのかしら!」
彼女はしっかり最後に文句を言う事を忘れなかった。
「やはりのう。」
彼はエルフィーネの言葉などには耳を貸さず、満足げに頷いて目の前の弓樫を眺めた。
「ジル、どうしたのです?」
彼はザンの問にも答えなかった。
「こいつは違うな。と言う事は向こうじゃな。」
一人納得して歩き始めたジルのあとを、5人は怪訝顔で着いていった。
もう一つの弓樫に着いたジルは、先ほどと同じようにまじまじと樫と切り株を見ていたが、やがて納得したように大きく頷いた。
「どうやらこっちが本物のようじゃな。」
ようやくにしてジルは他の5人の方を向いてそう言ってが、もちろん言われた方は納得しなかった。
「ジル、もう少し説明を付け加えて貰えますか?」
5人を代表してザンがそう言った。
他の4人がもし代表なら、かならずジルと取っ組み合いの喧嘩になると予想しての事だ。
「なんじゃ、まだわからんのか?」
意外そうな顔でそう言ったジルに対し、今にもエルフィーネなどは飛びかからんばかりである。
「はあ、まあ。」
背中でエルフィーネを押さえながら、ザンは曖昧に言った。
「まあ、よかろう。樫の木の方向じゃよ。さっきのはばらばらの方向を向いていたが、こっちはきちんと3本とも同じ方向を向いてる。」
ジルがそこまで言って、5人はようやく納得したようだ。
「あっ、そうか。
”放たれた矢”は真っ直ぐ飛んで行くからね。」
まさしく手を叩いてルーズはそう言った。
「さて、つまらぬ事に時間を費やしたからのぉ。先を急ぐとするか。」
ジルはそう言ってさっさと矢の放たれる方向、南南西へと歩き始めた。
5人のうち何人かは聞こえぬように文句を言いながら、彼の後を着いていく
− 最後の一言が無ければ良い人なんですけどね。
と、ザンはマトックを担いで歩くドワーフの後ろ姿を見ながら、そんな事を考えていた。
”3本の弓”より放たれた6つの”矢”は、およそ一日後に険しい山の麓へとたどり着いた。
ジルの話に依れば、この山脈はアウロア山脈と言って険しい事で有名だが、それは北壁、つまりこちら側の険しさ故であると言う。
まだ誰もこの北壁は征服しとらん、と彼は最後に付け加えた。
彼ら5人は、その話を聞いて納得した。
ほぼ垂直にそびえ立つ凍てついた北壁は、たとえロッキッキーの身軽さを持ってしても、登頂は不可能であろう。
エルフィーネなどはそうと分かっても、なおロッキッキーをけしかけていたが。
「えっと、たしか古文書は‥”弓より矢飛びて 白き壁を射ん”でしたよね。」
騒いでいるエルフィーネとロッキッキーは放っておいて、ザンはジルへと話しかける。
「そうじゃったかのう‥。」
ジルの返答は少し頼りげ無い。
「えっと‥、そいじゃあ、俺達が今来た道の延長上だよなあ‥‥。」
ソアラはそう言って指と目を使って、自分達の進行方向を確かめる。
つられてザン、ジル、ルーズの視線も、ソアラの人差し指を追う。
ソアラが指し示した方向の崖に、彼らは大きな氷の裂け目を発見した。
「あれだね。」
いちばん始めに声に出したのはルーズである。
その裂け目の他には氷の壁が続くだけである、まずあれに間違いないであろう。
「さあ、二人とも遊んでないで行きますよ。」
ザンはそうエルフィーネとロッキッキーに声を掛けると、すたすたと歩きだした。
「あっ、待ってよー。」
慌てて二人も叩きあいをやめて、ザン達の後を着いていった。
いかに険しさを詠われたアウロア山脈と言えど、麓の傾斜は滑らかであった。
彼らは、難なく裂け目のすぐ真下までたどり着く事が出来た。
だが、入り口はそこからさらに5mほど、険しい崖を登らねばならなかった。
「さ、ここは貴方の出番ね。」
エルフィーネはそう言って、ぽんとロッキッキーの肩を叩いた。
これくらいの崖なら一人を除いて充分登れる訳なのだが、彼女はどうも最大限楽をしたいようであった。
「またかよ。」
ふてくされようとしたロッキッキーであるが、ジルが登れないと説かれると重い腰を上げざるを得なかった。
彼は荷物をルーズに預けるとロ−プをかついですいすいと崖を登り始めた。
エルフィーネ曰く、前世はきっと猿だったと言うほどでだ。
ロッキッキーが垂らしたロ−プに寄って、5人は何事もなく崖を登った。
もっともジルは、”登った”と言うより”引っ張り上げた”と言う方が適切であろうが。
裂け目はどうやら洞窟への入り口らしく、薄暗い穴がずっと続いていた。
大きさもそれほど広くはなく、人3人が並んで歩くのがせいぜいと言った所である。
6人は2列に並んで隊形を整える。
「どうやら元は火山の噴出口だったらしいのう。」
ジルは辺りを見回した後ぼそっと呟いた。
「そうなのか。」
ジルの横に並んだソアラが適当に相づちを打つ。
「暗いな。」
後ろのルーズがそう言った。
確かに完全の闇ではないものの、ふつうに動けるほどの明るさではない。
あくまで人間に関してであるが。
「人間とは不便な生き物じゃのう。道は少し上がり気味じゃな、少し向こうで広くなっておるようじゃ。」
ジルはそう言って道の進む方を示したが、エルフィーネに何とか分かる程度で後の4人には良く分からなかった。
「灯を点けた方がよかねぇか?」
後ろからロッキッキーがそう言う。
「そうですね、誰が灯を持っていましたっけ?」
そう言ってザンが仲間を見回した。
仕様がないと言った感じで、エルフィーネが松明とほくち箱を取り出した。
何故エルフが松明を持っているのかは、ちょっとした謎ではあるが。
後はルーズがランタンを持っていた。
それぞれに灯をつけた後、6人は狭い洞窟を進んでいった。
道はすぐにホールへとつながっていた。
そしてそこで彼らを待っていたのは、招かざる客を待ちかまえていた鳥女達であった。
「うわっ。」
先頭のソアラが不意打ちを喰らって、そう叫んだ。
そして戦いは始まった。
不意打ちこそ喰らったものの、何とか3匹の鳥女を彼らはしとめる事が出来た。
前の二人、ソアラとジルにとっては、それほど強い敵ではなかったようである。
いつものようにザンとルーズの魔法援護、エルフィーネの応援があったこそではあろうが。
剣を収めた彼らは改めてホールを見回した。
さして広くはないが、このホールからは3本の通路が延びていた。
彼らが入ってきた方向から見ると、丁度プサイの文字のようにである。
「ねえ、どの通路を行くの。」
エルフィーネが前の二人へと尋ねた。
ソアラの方は答えようとせず、ジルの方を見る。
「‥‥いちばん左じゃ。」
こうして彼らはいつものごとく、意味の無い一言で進む道を決めたのであった。
左の道の方は完全に闇に閉ざされていた。
一行が頼りに出来るのは、エルフィーネの松明とルーズのランタンの灯だけである。
道はだんだんと下り坂になっていった。
しばらく行くと彼らの前の床に、突然深い裂け目が姿を表した。
しばし呆然と立ち止まった彼らであるが、すぐ精力的に調査を始めた。
道は割れ目の向こうになおも続いていた。
と言う事は、この洞窟が出来た後に裂け目が走ったのであろうか。
「どれ、下はどうなっておるかな?」
ジルは淵からじっと割れ目のそこを見つめる。
しばらくじっと視線を走らせていたが、何も見つからなかったようだ。
「底まではおよそ30mぐらいじゃの。‥別に下には何もないようじゃな。」
視線を5人の方へと戻して、いつもと変わらぬ口調で呟いた。
「じゃあ、この割れ目を飛び越えるしかないのか?」
信じられぬといったような表情で、ソアラは視線を割れ目の方へと向けた。
割れ目の幅はおよそ5m、無理して跳べぬ距離ではないがもし失敗すれば30mを落ちるのである。
それ相応の恐怖も伴うであろう。
「大丈夫よ、ソアラ。こういうの得意な人がいるでしょ?」
エルフィーネはそう言って、後ろのロッキッキーの方を向いた。
ロッキッキーの方も分かっているのかすでに荷物を置き、ロ−プを持って用意をしていた。
「やりますよ、やりゃあいいんだろ。」
いい加減投げやりにそう言うと、彼はしばらく屈伸などで体をほぐした。
その後で15mほど後ろに下がった。
もちろん助走をつけるためである。
他の5人もできるだけ壁にへばりついて、邪魔にならないようにする。
ロッキッキーはすぐに助走を始め5人の間を抜けると、淵ぎりぎりの所で大きく跳躍した。
「はっ!」
彼の体は割れ目の上を跳び、華麗に向こう側へと着地するはずであった。
が、少し距離が足りなかったようだ。
ぎりぎりの所に着地したため、淵そのものが衝撃に耐えきれず崩れてしまったのだ。
「おわっ?!」
ロッキッキーの叫びが響き、5人も息を飲む。
だが彼は前方に転がり込んだおかげで、どうにか30mのダイビングを楽しまなくて済んだのである。
ただし、その代償としていくつかの擦り傷を作らねばならなかったが。
「おぉ。痛ぇー。」
肘に出来た擦り傷に息を吹きかけながら、ロッキッキーは立ち上がった。
「どじーーーー。格好悪いわよーー。」
そのロッキッキーに、エルフィーネの茶化した声が届く。
「うるせーー。誰のためにこうなったと思ってるんだーー。」
傷をひとなめした後、彼はそう彼女へと言い返した。
「ジルでしょ?」
そのエルフィーネの一言に何にも言えなくなったロッキッキーは、黙ってロ−プを投げてよこした。
両方で岩にしっかりとロ−プを結び付けた後、突然ザンが自分も走り幅跳びをやると言い出した。
どうやら久しく使っていなかった盗賊としての技を試したいらしい。
とりあえず、説得が無駄と分かると他の5人は何も言わなくなった。
ザンは少し後ろに下がると助走をつけ、一気に割れ目を飛び越えた。
彼の跳躍は、さっきのロッキッキーよりもうまいぐらいであった。
成功してザンは、向こう側で得意そうに一度ガッツポーズを見せた。
ロッキッキーの方は形無しといった所であろうが。
他の3人も次々にロ−プを伝って向こう側へと行く。
ただジルだけはどうしてもロ−プを伝うのは無理なので、別の方法で渡る事になった。
その方法とは、とりあえずジルの方のロ−プの結び目を解き、しっかりと両手で持つ。
次に割れ目の淵に立ち、ターザンよろしく飛び降りるのである。
ここで問題となるのがいかにして向こう側の崖にぶつかるのを回避する事であるが、これは彼の堅い鎧と太鼓腹が解決してくれた。
そして崖にぶつかって宙吊りになったところを、向こう側の者が引っ張り上げるのである。
この方法はどうやらうまくいったようである。
6人は再び洞窟の中を進み始めた。
6人はしばらく道なりに進んでいたが、弱々しい灯に照らし出された左壁に亀裂がある事にソアラが気がついた。
人一人通れるほどの自然の亀裂であるが、このまま道を進むか、それともこの亀裂の中を進んで行くかで彼らはしばらく考える事となった。
「このまま道を進めば、もし敵と遭遇した場合戦闘は楽だと思いますが。」
確かにザンの言う事は正論である。
先の鳥女を見ての通り、ここは無生物の洞窟ではないのだ。
特にこの亀裂に入った場合、その狭さゆえジルなどは蟹歩きにならざるをえず、大幅な防御力の低下を覚悟せねばならない。
「そうさのお、別に儂はかまわんのじゃが。」
ジルは腹の辺りをさすりながらそう呟いた。
「でもまあ、何かあるかもよ。」
またロッキッキーのいい加減な言葉が跳ぶ。
結局彼らはこの亀裂に入る事になった。
危険が伴った場合等は、即座に戻る事を決めて。
6人は亀裂に順次、ゆっくりとした足どりで入っていった。
亀裂の中は狭いほかは、さして変わった事は無かった。
ただすこし鎧と壁がこすれ合う音がうるさかっただけである。
亀裂の出口は、また入ったところと同じような通路であった。
道は右手に延びる方が広く、左手に延びる方が狭くなっている。
「ここは当然左じゃろ。」
ようやく亀裂よりはいだしてきたジルはそう言った。
彼は今までの道筋がすべて左で当たっていたので、そう言ったのである。
6人は隊形を組むと左へと向かって歩き始めた。
暗がりを進む6人の前に、微かではあるが人工のものではない明かりが見え始めた。
光は彼らが前に進むにつれ強くなり、やがて視界一面に広がった。
眩しいばかりの明かりに一瞬目をくらまされたものの、その次の瞬間には青空と広大な森が視界へと飛び込んできた。
「外か‥。」
期待外れと言うような口調でルーズは呟いた。
それは他の5人にとっても同じ事であろう。
「あっ、見て。虹!」
突然エルフィーネはそう言って一方向を指し示した。
他の5人の視線もそちらへと向く。
「本当だな、じゃああれが虹の谷?しかし‥」
ソアラはそう呟いたが、まだ洞窟内に未練があった。
「どうじゃ、後で後悔するのも嫌じゃしの。行っておらぬ所を探索するかの?」
その雰囲気を代表してジルがそう提案した。
この提案に、他の5人は即座に飛びついた。
要するに誰かしらがそう言ってくれるのを皆が待っていたのである。
こうして彼らは戻った事で、後悔または蛇足の2文字を思い知らされるのである。
とりあえず後戻りした彼らは先の亀裂には入らず、そのまま真っ直ぐ道を進んでいった。
しばらく行ったところでT字にぶつかるが、右は亀裂の入り口のある通路に続くと思われたので先に左の通路へと入って行った。
その道をしばらく進むと先ほどと同じように明かりが見え始め、やがて崖の中腹に開いた口へと彼らはたどり着いた。
入り口の真下には大きな池があり、どうにか飛び降りる事も出来そうであった。
「どう、ロッキッキー。飛び降りてみれば?」
エルフィーネが例によって下の方を示しながら、そう彼をけしかけた。
もちろんロッキッキーの方はやるはずもないのだが。
「見てください!向こうに煙が!」
鋭いザンの言葉に5人は慌ててその方向を向く。
明らかに自然ではない煙が立ち登っているのが分かった。
だが、何なのかは彼らには分からなかった。
大きな疑問と不安を感じながらも、彼らは洞窟内の探索を続けるのである。
彼らはそのままとってかえし、T字を抜け、先の亀裂の入り口を抜けていちばん始めのホールへと戻ってきた。
未だに残る鳥女の死骸によって悪臭が漂っていた。
彼らはその死骸を無視し、”Ψ”の文字の真ん中の通路へと足を踏み入れたのだ。
しばらく進んで行くと前方に微かな明かりが見え始めた。
それと同時に通路が急激に狭くなり、一人通るのがやっとという狭さになった。
そんな道が10mほど続いたかと思うと、前方で通路が広くなっているのが分かった。
とりあえず中を覗いた先頭のジルは、慌てて彼らの広い通路まで押し戻した。
「どうしたんだ。」
異変を察知しているので、そう尋ねたソアラの声は小声である。
「ハーピーの巣じゃよ、今の所は。無用な争いはせんほうがよいじゃろ。次に行くぞ。」
ジルの提案に5人はいち早く賛成し、ホールまで戻ると”Ψ”のいちばん右の通路へと入っていった。
だがここでも彼らの淡い思いは裏切られた。
通路の先は、なにもない行き止まりであったのである。
だが、ルーズはこれに納得しなかった。
何かあるだろうと壁にさわった矢先、脆くなっていた天井が6人めがけて落下してきたのである。
「きゃあああーーー!」
落石の張本人であるルーズを始め3人はさらりと落石をかわしたものの、突然の事に戸惑ったエルフィーネらは落石の洗礼を受ける羽目になってしまった。
一番被害を受けたのはエルフィーネである。
本人曰く、”死んだかと思ったじゃないの!”という所である。
彼女が一番強くルーズを非難したことは、言うまでもないだろう。
結局、何も見つける事が出来なかった6人は、始めに見つけた出口より外に出る事にしたのである。
出口から外に出た彼らは虹の谷も気になったものの、それよりも煙の正体の方が気になったようだ。
とりあえずそちらの方向に行く事にした。
道は一度虹の谷の上へと通じ、そして煙の方向へと折れ曲がっていた。
彼らはしばし虹に心を和ませながら、道なりに進んで入った。
煙に近くなるにつれ、人々の悲鳴と怒声、何かの金属音、さらには木の燃える音さえも彼らの耳に入ってくるようになった。
一瞬顔を見合わせた6人であったが、音の方向へすぐに走り出していた。
森はすぐに開け、音の正体はすぐに分かった。
小さな村が何者かに襲われているところであったのだ。
略奪行為はあらかた終わっているようだが、まだ何人かが未練げに略奪と殺戮をしているようであった。
そして信じ難い事に襲っているのは風貌からみて、どうやら海賊らしかった。
彼らが突然村へと飛び込んできた事に海賊は一瞬あっけにとられたが、すぐにシミターを構えて4人襲いかかってきた。
が、所詮雑魚であった。
3人が倒されると、残った1人は一目散に森に逃げだしたのだ。
それを追ってソアラが森の中へと入っていく。
だが、これは蛇足であったようだ。
森の中には、まだ20人程度の海賊が残っていたのである。
今度はソアラの方が逃げ回る方であった。
海賊の方もその引き際は見事なもので、ソアラが逃げ出すと彼らの方も即座に撤退を始めたようである。
蛮族とは違い、よく訓練されているようである。
とりあえず彼らは村人の生き残りの手当を始めた。
生き残りの村人達は恐怖から解放されたためか、手当をされている間口々に何か意味の無い事をしゃべっていた。
その中の何人かが海賊達に守護者の場所を尋問されたと言ったとき、彼らはここが何処の村であるのか理解した。
ここが占い婆のマゲラが言っていた守護者の村だという事に。
「守護者とはいったい何なのです?」
手当をしながらザンはそう村人へと尋ねた。
村人は、村外れに住んでいる精霊使いの一族の事をそう呼んでいる事を教えてくれた。
しかし何を守護しているのかという問には、誰も答えられなかった。
「誰か知っていそうな人はいないのですか?」
ザンは自分の声が少し上擦っている事を感じていた。
「そうだなあ‥‥、村長なら何か知っているかも知れない。」
手当を受けている若い青年は、しばらく考えた後そうザンへと答えた。
「村長は何処にいるの?」
後ろから聞いていたエルフィーネが、優しげな声でそう尋ねた。
話の割り込みや奪い取りは、彼女の得意とするところだ。
「守護者である精霊使いの老人の家に行ったよ。」
ザンが手当している青年とは別の青年が、エルフィーネに向けてそう言った。
聞くと村長に息子だという。
彼らはさらに守護者の家の場所について聞き出した後、手当が一段落するのを待って守護者の家へと向かった。
残された村人達は村長の息子を中心に、村の復興作業を始めた。
精霊使いの家はすぐにではないにしても、何とか見つける事が出来た。
かなりの家が破壊されていたため、村長の息子の話だけではたどり着けず、近くにいた村人に場所を尋ねつつようやく探し出したのだ。
家の回りには、魔法で倒されたのであろうか海賊の死体がいくつか転がっていた。
6人が家に近付こうとすると丁度初老の老人、恐らく村長であろう男が青ざめた顔で中から出てきたところであった。
「貴方が村長ですね?」
話しかけたザンに、村長は一瞬警戒の色を見せるがすぐに頷いた。
「はい、そうです。」
村長から警戒心が消えたのは、きっと先ほどの彼らの戦いを見ていたからであろう。
「実は”守護者”にお会いしたいのですが‥‥。」
ザンがそう尋ねると、村長はいっそう悲壮な表情になって首を振った。
「残念ながら”守護者”は海賊に殺されてしまいました。本来なら負けるような相手ではないのですが、最近体を害していたらしく、それで‥‥。」
どうやら海賊の狙いは略奪ではなく、守護者であったようだ。
ここでダーヴィスが言っていた、海賊も虹の谷の宝を狙っている、という言葉が浮かんでくるのである。
「くそっ、もう少し早く着いていれば。」
訳の分からない罪悪感に襲われたソアラがそう呟いた。
彼の両拳はいつのまにか握られていた。
「これで、この村から”守護者”が消えた事になります。きっと恐ろしい事が起こることになるしょう。」
村長は不吉な事をそう呟いた。
もちろん彼らがそれを気に止めないわけはなかった。
「どういう事です、それは?」
ザンは少々いぶかしげな口調でそう尋ねた。
「分かりません。ただ、言い伝えにそうあるのです。あそこ、虹の谷には古代王国時代の恐ろしい怪物か呪いが封じ込められていると。詳しいことはルゼルク、守護者の名前ですが彼しか知らないのですが。ただ、彼はビフロストの力を借りていると言っていました。そしてその虹の精霊は彼にしか操れないとも言っていました。海賊はむろん信じなかったに違いないでしょうが。」
町長は力無くそう答えたが、彼らは町長の言葉の中のある単語を聞き逃さなかった。
「虹の谷ってのは実在するのか?」
ロッキッキーがそう尋ねた。
「本来ならあそこは私と守護者しか入れないのですが、君達には教えなければならないでしょうな。この島の者達はその存在をほとんど信じてないのですが、確かに虹の谷は実在するのです。恐らく貴方達も見たでしょうが、あの虹の乱舞している場所の下がそうなのですよ。だが一般に言われるように宝物なのはないのですよ。ただ水晶で出来た洞窟があり、そこに先に言った何かが封じられているらしいのです。」
村長はそう言った。
6人は宝がないと言う言葉に少し失望したものの、来る途中にあった谷の事を思い出した。
やはりあそこが虹の谷だったのだ。
「所で話は変わるけど、さっきの精霊使い、他に一族はいないの?」
エルフィーネはさっさと話題をもとに戻してしまった。
「ええ、一応ルゼルクには3人の子がおるのですが。」
村長はまたも暗い表情になりながらそう言った。
「なら、その中の誰かに”守護者”を継いで貰えばいいじゃねえか?」
一応話としては世界の滅亡に関わる話である、さっさと片を付けてしまった方がいいとロッキッキーは考えたのである。
「残念ながら3人ともこの村にはおらんのです。3人が3人とも行方不明なんじゃ。」
村長の言葉に、6人は出来すぎた三文芝居の筋書きを感じたに違いない。
だが、どうやら彼らを捜さなければならなくなる事は確かであろう。
「3人の事をもう少し詳しく知りたいのじゃが。」
ジルはそう尋ねた。
「分かりました。」
村長の方はこれは彼らが何とかしてくれると思ったのだろう、積極的に情報を提供してくれた。
村長の話によると、まず3人のこのうち2人は息子で1人は娘であるという。
長男の名はダゼックといい、精霊使いとしても優れた力を持っていたという。
しかし、未知の世界への好奇心が強く、6年前に3年間の約束で旅に出たままそれっきりという事であった。
どうやら海で遭難したらしいとの事であった。
特徴といえば、もし生きていれば今年27才で、黒い髪、黒い瞳の長身の青年で肩に三つ並んだほくろがあるという事であった。
ダゼックには4才年下の妹弟がいて、妹の方の名はルゼリアと言うそうだ。
精霊使いとしての修行を強要する父に反抗し、4年前正体不明の流浪の青年と出奔してしまったそうである。
母親似の美しい娘であったそうだ。
次男の方の名はルーゼ、彼は自分達の家系に課せられた使命を知り、2年前に兄姉を捜す旅に出てそのまま行方不明になったらしかった。
彼は実は捨て子で、そのために恩返しをしようとして旅に出たとの事であった。
3人に対する村長の説明は大体このようなものであったが、6人はその他しつこく質問して3人の顔を見れば、なんとかそれと分かるぐらいまでのイメージを脳裏に浮かべる事が出来た。
あとこの辺りの情勢として、彼らが通ってきた洞窟のハーピーの事、そしてこの辺りを勢力範囲にする山賊の事なども聞かされた。
もっとも村長の方もかなりしたたかで、6人はハーピー退治も引き受ける羽目になってしまったのであった。
それは後にして今とりあえず彼らがやらねばならない事は、その封印が海賊に荒らされてないかを調べる事であった。
「海賊の事、3人の事、そしてハーピーのことよろしくお願いします。私たちに出来る限りの事はいたします。」
村長はそう言って頭を下げた。
「ではすみませんが、まず食料の補充とあと一夜の宿を貸して貰いたいのですが。」
ザンはすぐさまそれだけの提案をした。
村長は軽く了承してくれた。
ただし今夜のベッドの天蓋は満天の星空になりそうであった。
翌日、5日分程度の食料を補充した彼らは、虹の谷の出発の前に守護者の家の中を見ていく事にした。
もしかしたら何かしらの手がかりが、と思っての事だが、残念な事に日用品が転がっているぐらいで何も見つける事は出来なかった。
その後、彼らは村を後にし虹の谷を目指した。
歩みの遅いドワーフを5人で後押ししつつ、彼らは急いで虹の谷を目指していた。
彼らは虹を目印に虹の谷へと近付いていったが、はたして彼らの内の誰がでもそれが昨日より薄くなっている事に気付いただろうか。
ようやく虹の谷の眼前まで迫ったとき、不意にエルフィーネの耳に微かな精霊語が届いてきた。
− 何?誰なの?
心に感じる色とりどりの感覚に彼女は違和感を覚え、ふっと立ち止まってしまった。
精霊語の主は一人にも複数にも感じられた。
「どうしたのです、エルフィーネ?」
急に立ち止まった彼女にザンが話しかけたが、彼女は反応すらしなかった。
彼女の心はただその”存在”の悲しみに圧倒されていた。
声はまだ続くが、それは彼女に語りかけているというより仲間うちで話しているといったものであった。
『死んだ、友達が死んだ。』
『近くに友達いなくなった。』
『人間戦うから嫌いだ。どうしてあんな事するのかな。』
『もうここにいなくていいんじゃないか。』
『友達死んでしまった。
約束これで終わりかな』
『遠くにいるよ。
友達の心が遠くにいる、でも遠すぎる。』
『帰ろうよ、帰ろうよ。』
”存在”達はそんな事を口々にいっていた。
『帰ろう、帰ろう、故郷へ帰ろう。』
やがて彼らが声を揃えてそう言った後、それきりその”存在”達は消えてしまった。
そしてその存在が消えた瞬間は、エルフィーネ以外の者にも分かった。
あくまで結果としてであるが。
谷中に架かっていた虹が全て消滅してしまったのだ。
この時点で彼女の意識はここに戻り、今の声がビフロストの物であろうことも推測できた。
しかし彼女にはその推測を話そうなどと言う気は毛頭無かったので、他の5人には永久に分からない事となるであろう。
虹の谷の変化に急いで谷間で駆け寄った6人は、ある種の失望を感じた。
虹の幻惑の消えた谷は岩が転がり、僅かな草が生えるだけの殺風景な物であった。
また、乱れて架かっていた虹が消えた事もあって、谷底の方も見渡せるようになっていた。
谷底には虹を模したであろう半円形の7つの建造物が、円を描くような位置で建っているのが見えた。
それらの建造物は皆直径が恐らく4〜5m程度で、ここから見た限りでは材質が何なのか分からなかった。
とりあえず谷底まで降りる気はない彼らとしては、それが何なのかは疑問の域を越えて好奇心まで昇華する事はなかった。
村長に場所を聞いていたので、水晶の洞窟の入り口であろう場所はすぐに見つかった。
誰の目で見ても分かりにくいうえ、虹の乱舞によってほぼ完全に人の目から遮断されていたのだ。
6人はとりあえず入り口を隠している岩の前に立った。
「見ろよ、水晶に色が残っているぞ。」
ロッキッキーがそれを見つけて、5人も水晶の中をのぞき込んだ。
確かにさっきまでこの谷を覆っていた虹の残照が、水晶の中に残っていた。
エルフィーネはあれこれ虹を調べていたが、徐々に虹は薄くなっていきやがて消えてしまった。
もちろん彼女に何一つ分かった事はなかった。
エルフィーネは虹が消えてしまうとすぐに諦めたようだ。
さっさと岩の前で待っている仲間の所へと戻っていった。
6人の目の前にある大岩は、一件見たところドワーフの怪力を持ってしても動かせないと言うほどに巨大であった。
「とりあえず押してみるか?」
ルーズはそう言って岩に触って力をいれた。
「おろ?」
岩はいともたやすく動き、向こう側へと押し開かれた。
だが、それ以上に驚愕すべき事が起こった。
恐らく脆くなっていた天井が、支えである岩を失って重力に身を任せたのだ。
「うわーーーー。」
この岩のシャワーにエルフィーネ、ジル、ソアラが巻き込まれ、再びエルフィーネが死に瀕してしまったのだ。
当然ルーズを含む他の3人は持ち前の身軽さからか、かすり傷一つ追わなかったが。
ここでも一仕切の悶着があったが、それは前回の繰り返しと言っても良いものであった。
どうにか彼らは洞窟の中へと入る事が出来た。
中に入った彼らが最初に見た物は、クリスタルの壁にはめ込まれた一枚の銘板であった。
その銘板はきれいに磨かれており、よく手入れされているように見受けられた。
だが文章は下位古代語で書かれており、銘板を見つけたソアラには読めなかった。
「私が読みましょう。」
「俺も。」
それを見たザンとルーズは苦笑しながらもそう言って、銘板の上の文章を読み始めた。
『我虹の妖精族ヘイムダルの血を引く者なり。祖先の導きによりて、虹の精霊ビフロスト、我が友となる。友の力によりて、クリスタルドゥームを封じたり。友なる者呼びかける限り、ビフロストこの地にとどまりて、扉を開き続けん。友なる者を除きて、この地に足を踏みいれるべからず。』
ザンとルーズ、二人のハーモニーはそこで終わりを告げた。
これを聞いて愕然としているのがエルフィーネであった。
「こんな所にビフロストを友とできる者がいたなんて‥‥。」
しかもそれが人間らしいと言う事は、彼女には二重のショックだったようだ。
「それにしてもヘイムダルとは何者なのかのう?」
ぽつりとジルはそう呟いた。
虹の妖精族などと言う言葉も聞いた事はないのだろう。
「それなら俺、聞いた事あるぞ。」
ソアラが何気なくそう言った。
とたんに5人の視線が彼へと集まる。
何で蛮族の彼が知っているのだろうと言う色を瞳に滲ませながら。
「確か、古代にいたっていう話の妖精族だ。色彩の精霊界と深い関わりを持つらしい。しかし、遥か昔に人間界の戦いの多さに嫌気がさして、妖精界に帰ったって話だ。ビフロストと同じで、誰も詳しい話は知らないらしいけど。ただエルフみたいに人間とも混血できたらしいぜ。」
ソアラの話はどうやら真実らしく彼らの耳に聞こえた。
この話にエルフィーネのショックは、片方がその重みを失った。
それは彼女がころっと上機嫌になった事で分かる事であるが。
「なるほど。って事はさっきの”守護者”とやらはそのヘイ‥何とかの血を引いているってことか。」
分かったような素振りでロッキッキーは大きく頷いた。
これでどうやら”守護者”とか言う事の意味も分かりそうである。
そしてその”守護者”とやらが、血脈によって受け継がれているということも。
「まあその事は後じゃな。とりあえず先に進むかのう。」
6人は入り口の近くにあった螺旋階段へと目を付け、次々に降りていった。
螺旋階段は水晶に穴を開けたような感じで、どんどんと下へと続いていた。
螺旋の半径は下に行くにつれ、だんだんと広がっていった。
辺りは完全に水晶と化していて、そのため入り口から差し込む明かりが減衰せず、かなり奥の方までを照らしていた。
「幻想的ですね。」
全てが見通せる水晶の建造物の中で、ザンはそう呟いた。
しかしこれほどの遺跡が、今まで誰にも知られずにひっそりと眠っていたなんて彼らには信じられなかった。
「下を見てみるのじゃ。」
先頭を歩くジルがそう呟いた。
5人は歩みを止めずに顔を下方へと向けた。
その彼らの目に、遥か下方で蠢く巨大な黒い塊が飛び込んできた。
それは周囲のと境界がはっきりせず、まるで水中のスライムのような感じの物であった。
「なんだあれは?」
ルーズはさも気持ちわるようにそう言った。
やりきれなくなった6人が顔を上げ仲間を見回したその時、誰しもが体の異常に気付いた。
自らの自覚ではなく他の誰かの体の変化を視覚して。
「これは‥‥?」
誰ともなく発したその言葉に、今の彼らの心境がよく現されているだろう。
ある者は目が、ある者は指が、ある者は髪がその色を失っていたのである。
「どうなっているのじゃこれは?」
ジルはまじまじと無色と化した部分を見るが、はたして意味など分かるはずもなかった。
彼らに分かったのはただ体が水晶化したという事だけであった。
6人はとりあえず体の現時点の変化がそれだけなのを確認すると、エルフィーネなどはついてきた事を少し後悔しながら階段を再び降りはじめた。
ここでもやはりいちばん運が悪かったのはエルフィーネであった。
片足が完全に水晶と化してしまったのである。
彼女は何とか折れぬように気を配りながら、ゆっくりと進んでいった。
階段を降り始めてから20分後、彼らはようやく終点へとたどり着いた。
途中歩くのを放棄したエルフィーネはソアラの背に負ぶさっており、大幅な戦力の低下の原因となっていた。
幸いにも彼らは敵に遭遇するような事はなかったが。
彼らがたどり着いたのは、円形状の広間であった。
広間の中央には10mほどのドーナツ状の円盤が天井から吊り下げられていた。
内側の穴の大きさは7mほどであろうか、それにしてもかなり大きい物であった。
「こいつがさっき見えたのか。」
自分らの足元で黒い塊が渦巻くように、揺らぐように動くのを見てロッキッキーはそう呟いた。
じっと見ているとまるで断崖絶壁の崖から下をのぞき込んでいるときのように、吸い込まれそうな感覚に襲われそうになった。
円盤の周囲には2本の7角錐(オベリスク)が立っているのが見えた。
彼らはとりあえず近くのオベリスクの近くへと歩み寄っていった。
オベリスクには何やら文字のような物が彫ってあったが、ザンやロッキッキーやエルフィーネ、ソアラ、ルーズには見た事の無い文字であった。
だがジルにとっては違った。
彼はゆっくりと口を開き、しわがれた声に乗せて文字をコモンに訳してゆく。
『この部屋の下にいるのは、クリスタルドゥームと名づけられた怪物です。クリスタルドゥームは、古代王国時代に、魔法実験の失敗で生まれました。動くこともなく、知能ももちません。あるのはただ、食欲だけです。クリスタルドゥームの餌は、色です。クリスタルドゥームは、周囲の色を喰らい、水晶のように完全な透明体にしてしまいます。そうなったものは、もはや生きていくことはできません。色彩は物質に、形を与えその形を変化させる力をもっています。たとえば、透明な水や空気は形というものをもちません。しかし水が形をもって氷となれば、白くなります。ただし、他の強い精霊力や、魔法の力が働いているときは例外です。その時は色がついたまま、不定型になることもありえます。もし色が失われれば、物質は一度与えられた形のまま永遠に制止してしまいます。たとえば透明でありながら形を保っているダイヤモンドは、非常に固く、その形を変えることができないように。クリスタルドゥームは、世界を美しい墓場に変えてしまえるのです。』
そこでジルはその口を閉じた。
どうやらそれでこのオベリスクに書いてある事は終わりのようだが、何か空寒い物が彼らの首ねっこを掴んだまま、決して放そうとはしなかった。
ここでようやく彼らは体に一部が水晶化したのは、そのクリスタルドゥームとやらに喰われたからだという事に気付いた。
「向こうのオベリスクには何が書かれているんだ。」
忍び寄る見えなき色彩喰らいの影に恐怖を感じながらも、ソアラはもう一つのオベリスクを指差してそう言った。
「行ってみるかの。」
どうやら彼らにはあまり時間が残されていないようである。
円盤の回りをあまりクリスタルドゥームに近付かないように大回りしながら、もう一つのオベリスクへと移動した。
途中ソアラに背負われているエルフィーネはちらっとクリスタルドームの方を見たのだが、下の部屋にはいくつかの水晶の像があった。
恐らく盗堀者か冒険者の成れの果てであろう。
彼女は自分達もそうなるのだろうかと想像し、慌ててその考えを消し去った。
オベリスクの所へ小走りに近付くと、すぐにジルが彫られている文を読み始めた。
『クリスタルドゥームが生まれてしまったとき、それを封印するために、古代王国の魔術師達はさまざまな手段を講じましたが、果たせませんでした。当時のアザーン大守が対策に苦慮していたところに、蛮族として迫害された土着民族の精霊使いが彼のもとを訪れました。そして、島の滅亡を防ぐための協力を申し出たのです。その精霊使いはビフロストを呼び出し、色の精霊界との扉、虹の橋を開きました。クリスタルドゥームに、充分な餌を与え続ける事によって、周囲の色を食べないようにしたのです。そして、彼の子孫がその間近にいて色彩の精霊たちに語りかけている限り、その友情によって、扉は開かれ続けるだろうと告げました。以来代々、彼の血筋の者は、虹の谷の近くに住み、封印を守り続けてきたのです。最後に、汝ももし一族であるなら世界のために虹の谷を守れ。』
ここで2本目のオベリスクの碑文は終わった。
これはどうやら守護者が後継者に、祖先の意志を伝えようとした物らしかった。
「どうやら我々はその”守護者”の末裔を捜さねばならないようですね。」
ザンは決意を促すようにそう呟いた。
「そうだな。」
エルフィーネを背負ったままのソアラが、そう相づちを打った。
「とりあえずザラスタまで帰ろうよ。水晶化した体を治して、話はそれからよ。」
そのソアラの背からエルフィーネがそういった。
確かに彼らが今現在持つ情報はけして多いとは言えなかった。
彼らの始めの目的もあるので、ここはとりあえずザラスタに戻った方がよさそうであった。
「そうじゃな、すぐに戻るか。」
ジルは即座にそう決断を下した。
彼ら6人はすぐに螺旋階段を登り始めた。
螺旋階段の途中で再び水晶化に襲われたものの、ジルはチャ=ザへの信仰が厚かったせいか何事もなく、またロッキッキーに至ってはレイピアが水晶化し逆に価値が出るという運の良さであった。
虹の谷を出た彼らは守護者の村による事もせず、ただザラスタの町目指して進んで行った。
守護者の村の村長に頼まれていたハーピーの退治まで、後に回す始末であった。
強行軍のおかげか3日半ほどでザラスタの町へとたどり着いた彼らは、その足でダーヴィス邸へと向かった。
ザラスタの町中では彼らはさぞ目立っていた事であろう。
なぜならば体の所々水晶化した者が何人も歩いているのだから。
ダーヴィス邸では召使いに嫌な顔されたものの、すぐに館の主人に会う事が出来た。
ダーヴィスは彼らの容姿を見て驚き、話を聞いてなお驚くといった有り様であった。
恐らくこれほど驚かされた日は、今までなかっただろう。
だがそれは彼の好奇心を充分に刺激するこことなった。
とりあえず報酬を支給してくれた後、彼ら全員に治療費として1000ガメルずつ支払ってくれたのであった。
そして彼は6人の援助も約束してくれた。
つまりザラスタの評議会に報告し、クリスタルドゥームの事について対策を協議するという事であった。
何日かかかるのでしばらくこの町に滞在して欲しい、と彼は言った。
彼らはそれを受け、その後チャ=ザの神殿へ治療のため駆け込むのであった。
そして彼らはしばしの、本当に僅かな休息を取るのである。
そしてそれはこれから彼らに待ち受ける事に対する、神のささやかな慈悲であったのかも知れない。
STORY WRITTEN BY
Gimlet 1992,1993
1993 加筆修正
PRESENTED BY
group WERE BUNNY