架空対談 すず & にむ が読む

"The Amber Spyglass" (Philip Pullman) 

 2001 Whitbread Award 受賞作品


すず:にむさん、読んだんだってね、"The Amber Spyglass"?感動的に良かったでしょう?
にむ:そうなのよ、もう感動したわ。何てったって英語で大長編読み終えたのって初めてだから、自分自身に感動しちゃったわ。
すず:(^^;; でも本文518ページを、よく最後までたどり着いたわね。
にむ:とにかく単語が難しくってむずかしくって、半分くらいしか分からなかったと言うのが実情なのよ。
すず:じゃあ250ページくらいの本だったら全部わかったってことよね?
にむ:それ、微分を勉強した人の発言とは思えない。
すず:微分て、アキレスと亀が競争したらどっちが勝つかを考えて頭が痛くなっちゃうあれだよね?
にむ:はいはい…。
すず:さて、前巻『神秘の探検』、もとい『神秘の短剣』はウィルが父に別れを告げて二人の天使と出立するところで終わってしまったんですが、"The Amber Spyglass"はまったく違う幕開けなのよね。
にむ:そうそう。荒涼とした北の世界から一転して、深い緑の森の中、風に揺れて震える木立を通して差し込む日差しに、虹の立つ滝壺。そこを高みからのぞき込んでいるような視点で幕が開く。
すず:高い梢から俯瞰したカメラが次第に降りていって、すうっと洞穴に近づく。
にむ:そう、その動きにぴったり気持ちが付いていって、引き込まれてしまった。
すず:プルマンは、常に感じることだけど、緩急の付け方がうまいわね。
にむ:それも途中で手をゆるめることがない。行くところまで行ってから、場面転換をするでしょう。舌を巻くわ。
すず:前半は、章と章の間に、ライラのつぶやきが挿入されているわね。あの切れ切れのつぶやき、文字通り夢のような浮き沈みがまた効果的だった。
にむ:じつはあの断片が初めのうちはよくわからなかったのよ、でもあとの方でばっちり効いてくるのね。
すず:読者の意識下にじわじわとしみこむような書きぶりだったでしょ。

にむ:章が変わると、今度は前巻を受けてウィルの旅の続きが始まる。道案内の二人の天使が、また情けないというか心ここにあらずというか、頼りあるんだかないんだか…。
すず:それは彼らの外見にも良く現れていないかな?薄暮の頃には辛うじて目に見えるけれど、昼間は姿が見えなくてその声しか感じられない。半分だけこの世界に現れているような、だから彼らの意識もじつは上の空のような、半分別の世界にあるような。
にむ:その姿のように、彼らには心を充たすものが欠けている、何かを希求している。それは失った肉体なのか、感情なのか。フレスコ画に描かれた天使たちの群れが、しばしば歯でも痛むような表情をしているのは、こういう事情があったからなのかしら。
すず:天使の歌声なんて言うけれど、実は絶望の叫びだったのかも。
にむ:並行世界を越えて響き渡る嘆きの呼び声か。
すず:また章が変わると、今度はライラの父、アスリエル卿の登場。そして新しい人物も出てくるけれど、これが非常に印象的だったよね?
にむ:アスリエルのスパイたちね。小さな、人の手のひらくらいの背丈しかない種族で、大きくて立派なトンボを飼い慣らして、人間が馬に乗るようにトンボを乗りこなすのね。透き通るような羽根、赤や青の鮮やかなエナメルのように光る胴体、それが小さなスパイを乗せてツン、ツンと飛び立ち、ホバリングしては矢のように飛び去ってゆく。
すず:彼らの色彩と動きが、全編を貫いて各章を綴り合わせているようだった…。
にむ:薄闇の中で彼らの姿だけが生き生きと鮮やかだ、という事が繰り返し言われる。希望のシンボルのように。
すず:でも、登場してしばらくは、彼らは血も涙もない人々のように描かれる。
にむ:そう…そのへんが変化してゆくあたりが唐突だったように思った。
すず:そこを含めいろいろな点で半分からあとのストーリー運びが急ぎがちになるのね。終わり2章ほどは逆にじっくり、それでいてむしろシンプルに描かれるのだけれど。

にむ:続いての章で、やはり前巻でダストにご託宣を受けて、追われるように異世界への窓を通り抜けて旅に出た物理学者のミス・マローンが出てくるのだけれど、彼女は、一種牧歌的な別世界へ導かれる。
すず:これまでのやや中世的なトーンから、俄然SF的世界が展開したからやっぱり驚いたわね。
にむ:この生命形態の論考だけで、別な本が書けてしまうんじゃないかな。
すず:いったいここってどこに位置するんだろう。高い空、地平線まで広がるプレーリー、遙かな高みをわたってゆく流れ。
にむ:この世界には何とかして行ってみたいわね…。ミス・マローン、一番おいしい役じゃない?何だかのんびり寝てばっかりで。
すず:あら、にむさんなら暴走族をやりたいのかと思った。
にむ:う。彼らはのんびり暮らしている種族なんだけど、移動する時にはやたらに猛スピードで爆走するのよね。ストレス解消なんじゃない?
すず:たいしてストレスなんてなさそうな、楽園のような世界だけどね。とはいえ、この世界でも、「ダスト」に止めようのない変化が起きていて、そこにミス・マローンが深く関わってゆく訳ね。
にむ:本のタイトルに関わるのはその部分なのだけれど、邦題はストレートに『琥珀の望遠鏡』ってなるのかしら、実は、文字通りの「琥珀」でも、まして「望遠鏡」でもないのだけれど、うまい訳語はないかしら。
すず:なんでもにむさんが読み終わったのを見計らったように、ようやく12月に邦訳が出るんだって。
にむ:ほーっ、読み終える前に出なくて良かった。
すず:この世界の住人たちは一風変わっているけれど、なぜかちゃんと蛇なんかもいて、しかも役に立つ動物として重んじられていることになっている。
にむ:何気ない記述ね。
すず:で、そうした様々な舞台と登場人物が交互に出てきて、物語は並行して進むというわけ。
にむ:教会内外の思惑、オーソリティの謎、アスリエルの目的、コールター夫人の行動、もう入り乱れちゃってどれが何やらわかんなくなっちゃったわよ。
すず:ライラとウィルだけは、そんな中、「神秘の短剣」で文字通り道を切り開きながら彼らの目的に近づくのよね。
にむ:もう会えないのかと思ったイオレク・バーニソンが、しっかり彼らの後ろ盾になってくれて本当に良かった!
すず:素敵だよねえ、イオレク(はあと)。彼の鍛冶屋としての力量も発揮されるのよね。このクマの王のまっすぐさには心打たれる。
にむ:とても正直で、本当に頼りになって…一家に一人、イオレク・バーニソン。
すず:この難業にイオレクの力が及ばなかったらこのあとどうしようかと思ってしまった。
にむ:自分が連れて行ったばかりに死なせたロジャーにどうしてももう一度会いたいライラ、求めていた父とはじめて出会ったその時に彼を失わなければならなかったウィル。彼らを止めるものはない!
すず:ところがそこに文字通り立ちはだかるものがありました。これにも意表をつかれたんじゃない?
にむ:思わず目をつぶってしまいました。あー、見たら石になっちゃうのはゴルゴンか。
すず:パンタライモンに伝言を運ぶ船頭の老人のところ、待っているパンタライモンはどうしているのか考えちゃったわね。
にむ:ライラの本質がありあり明かされるところでは、文字通り本に没入しちゃった。衝撃的じゃなかった?名前の魔法も秘められているようで。
すず:あの叫びは頭の中をわんわんこだまして、くらくらっと来ましたよ。
にむ:そして永遠とも思われるような薄暮の中で…ああ、ここでのトンボたちが本当に救いだった。

すず:このあと、思わぬ突破口、いよいよ火蓋を切った戦い、と手に汗を握る展開になるのだけれど、このあたりから次第に、エンディングをどう持って行くかを頭に入れたような展開になって行くでしょう?
にむ:そうなのよ。ものすごく面白いんだけれど、絶対この作品、「ほんとうの」終わり方が別にあったはずだ、と思えてならないのよね。
すず:ああ、やっぱりそう思った?何か違うよね?
にむ:これだけ、教会や原罪、イブと蛇、正統と異端、なんて言うものが山ほど出てきて、おまけに素粒子が絡んでくる、そこへ自己犠牲だの愛だのなんだのと、とにかくあまりにも盛り沢山でしょう。
すず:今一も今二も、不消化よね。
にむ:ナウシカが『アニメージュ』に連載されていた時、あの話ってどんどん、抜き差しならないところ、解決しようにも出来ない、そういうところにナウシカがはまっていったでしょう。
すず:そう、私たちの周りの人がみんな一斉にナウシカ病にかかって、読み終えるたびに顔を上げて途方に暮れたように「ナウシカどこまでいっちゃうんだろう」「ナウシカどうなっちゃうんだろう」と口々に言ったものよね。
にむ:それに似たような印象を受ける展開だったのに。
すず:これはこれで見事な終わり方ではあるんだけど、コールター夫人やアスリエル卿は、いくら何だってあんな風に変われるだろうか?
にむ:やっぱりあのエンディングに持って行くには、その切り札が必要だったんじゃないの?いわゆる児童文学という枷を逃れて書かれていたら、全然ちがう落とし方になったと思うなあ。「オーソリティ」の矮小化もちょっと残念だった。
すず:『ハイペリオン』も思い出したって言ってたよね。
にむ:うん、あの狂信的な司祭とか、教会の位置づけ、神と教会の関係とか。
すず:そんな点も含め、もし作者の筆の赴くままに書かれていたら、3部作では終わらなかった可能性があるって事よね。
にむ:うん、質・量共にとてもこの枠には収まりきれなかったに違いないもの。
すず:にむさんは、1作目の『黄金の羅針盤』を読んだとき「この作品は容赦がない」と言っていたけれど、それは2作目、3作目でも変わらないね。
にむ:苦しいほど、それは変わらない。こんなところまで書くか?と思う部分がいくつもあった。キリスト教とは無縁な私でもガーンと来る部分が複数あったし。
すず:その方向で、ぐっと辛口な、より深い、より納得できる展開になって欲しかったよね。
にむ:これはこれでいいんだけど、やはり「あったかもしれない本当の展開」を考えると、もったいなさ過ぎる。
すず:コールター夫人が眠るライラをじっと見つめる姿は、ピエタを連想しなかった?
にむ:したした。状況こそ違え、ある意味失った我が子を先取りして見つめているようなものでもあっただろうな。
すず:母と子で言えば、後半になるに連れてライラがどんどん母親との類似性を強めていくのも、一種悲痛さを覚えたわね。この辺、もう一押し欲しかったなあ。
にむ:もうひと組の母と子だけど、なんでも切り裂くことのできるナイフ、世界の間の壁さえ切り開くことの出来るウィルの短剣がただひとつ切ることの出来ないもの…それがこの巻の大きな主題になっていたわね。
すず:daemonの問題の解決法は、あれでよかったのかなあ。
にむ:本人とdaemonの関係性が、次第にちょっと型にはまった感じになっちゃった気もする。
すず:邦訳では「ダイモン」となっていたけど、これはどう?
にむ:辞書を引くと、「ディーモン」、あるいは日本語的にするなら「デーモン」てところじゃないかしらね。
すず:”(ギ神)ダイモン (daimon) 《神と人の間に位する超自然的存在》”なんて記述もあるわよ(研究社リーダーズ英和)。
にむ:そうかあ、下手に「デーモン」とするといわゆる悪魔みたいなものを連想しちゃうかもね。
すず:ギリシャ神話のダイモンというようなイメージが作者の頭にあったのかもしれないな。とすると、その辺も考慮してうまく訳したという言い方も出来るんじゃない?
にむ:なるほどね。実はね、「ダイモン」と「パンタライモン」の「モン」がだぶっていたから、最初はダイモンというものはどれも「〜モン」と名が付くのかな、と思っちゃったんだ。
すず:「モンモランシ」ってのは何なんだろう…?
にむ:えーごとにほんごの間に跳梁跋扈する魑魅魍魎の一。
すず:あるいはテムズ川下りのボートに棲息して三人男を悩ますお上品なお犬さま?
にむ:どっちにしても超自然的存在には違いない(^_^;)

すず:話は前後するけど、小さなスパイたちがアスリエル卿との連絡を取るのに面白い通信機を使うのよね。
にむ:はいはい、並行世界の間でも通信できる優れものね。
すず:ウィルがその仕組みを訊ねると、quantum entanglementを使ってるんだ、てなことが何気なく説明されるんだけど、これって量子通信機ってこと?
にむ:どう考えてもそうでしょう(って考えてもわかんないんだけど)。
すず:一時は、出口を失ったライラご一行様が、これを使って瞬間移動で戻ってくるんじゃないかとマジメに期待してしまったな。
にむ:さすがにそれはなかったのよね〜。
すず:それと「雲の宮殿」ね、これにはたまたま最近ほかでも遭遇したじゃない。
にむ:『アブダラと空飛ぶ絨毯』(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)、それからちょっと違うけど「十二国記」(小野不由美)。この「雲の宮殿」も、もう一回りも二回りもすさまじく非人間性を発揮して欲しかったな。

すず:さてこれ以上何を書いてもネタバレになりそう。
にむ:雲をつかむような話に終始してしまったわね。
すず:次は何を読もうかしら?またゾンビの話?
にむ:これこれ、ネタバレっ。でも多分そうなりそうな気配。
すず&にむ:では目出度く読めたらまたお会いしましょう。ばいばーい。
(2001年10月)

★なお本稿は、「アンサンブル」会誌VWB3号(2001年11月刊行)に掲載したものです。


ニムの木かげの家
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最終更新
2002.01.26 16:01:52