独書間奏

2001.2〜


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詩人の夢』 松村栄子 ハルキ文庫 010220読了
ISBN4-89456-838-1

 前作『紫の砂漠』に比べてずっとSFらしい設定で、ガジェットも、ややっスターウォーズか?なんてものから、半信半疑だったがやっぱり【クローン】が出てきてしまったりする。また一の巫祝となる神の子マアートの動きはそれらしい効果音をともなったアニメの動きのようだ。色々な要素が半ば混沌として混ざり合わさったところもまた、不思議な魅力の一つかも知れない。
 世界の中心/果てである紫の砂漠自体は、禁が解けたせいもあってか、前作ほどには頻繁に描かれない。しかし詩人となったシェプシの心の中にはいつも誘うような砂と風の音、その変化する色彩が包み込まれており、シェプシはことあるごとにそれがさらさらと、渺々と動き変化するのに抗えないのだ。

 「聞く神」の死、あるいは変質が語られ、あるいはシェサによってずばり神とは何ぞやという問いが発せられる。

 神々の解釈は時代とともに変わるものです。《神》とはそもそもなんぞや?人知の及ばぬもの?理解できぬもの?そうでしょうとも。しかし、ひとがそこに神の存在を感ずるからには、決して人知と無縁にあるものではありますまい。はっきりとは見えない、全貌はつかめない、しかしそのまなざしの先に垣間見えるもの、ひとびとが掴めぬと思いつつも手を伸ばさずにはいられないもの、それが《神》の要件ではないでしょうか。いったいそれは何ですか?

 この物語が閉じられるとき、その答えであるものにシェプシは出会えたと言うことになるのだろうか。

 安易に男の子、女性、男、などのことばが使われることには疑問を感じた。彼・彼女はそれぞれ「守る性」「生む性」に分化した者に対する代名詞として許容できるが、「ちゃらちゃらした派手な男の子(p.123)」などはどうか。それに加えてそれぞれの性に対し、ありきたりな男性性、女性性のイメージが安易に付与されているのも承服できない。
 また前作でも【宇宙船が空中爆発したシーン】で感じたように、この作でも、【彗星が落ちてきたために二の月が消滅】してしまったにもかかわらず、ある程度の破壊や変化(特に最後のシーンで語られる【】は前作での読者と砂漠との出会いに匹敵するくらい美しい)は語られても、当然予想される惑星規模のドラスティックな変化はちっともないらしいのが、やはり妙にアンバランスに感じられてならない。等々。

 こうした瑕疵が、美しいけれどなんか腑に落ちない、納得できないけれどやっぱり素敵、というアンビバレントな読後感を抱かせるのである。2作目はこの点をもう少し何とかして欲しかった。残念〜。

 笛爺と彼の作る楽器たちが気になる。

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ニムの木かげの家
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最終更新:2001.12.31