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梨木香歩 講演会レポート 

<問いの中から〜遭難死しないための児童文学>

19990904
南青山・クレヨンハウスにて

ニムなりに再構成してあります。明らかな間違いがあったらご指摘下さい。
(この色)は、ニムの補足です。

★ご一緒したまこりんさんの講演会レポートはこちらです。


 最近、アニメ「アルプスの少女ハイジ(ダイジェスト版)を見た。秩序そのもののようなロッテンマイヤーさんが、あまり嫌いではなくなった。ロッテンマイヤーさん的なものが自分の中にあるのかもしれない。いっぽう自然そのもののようなハイジが実際に身の回りにいたら大変だろうなあと思った。(ロッテンマイヤーさんについて同感!)

 ここでは、極端な(一面的な)性格が、登場人物ひとり一人に振り分けられている。これは一人の人間の内界の物語ではないかと感じた。ロッテンマイヤー的な部分、ハイジ的部分を各登場人物に振り分けたという意味で。ダイジェスト版を見ることでこのようなことがわかりやすかった。

 養老孟司が言うには、親が子供に対して毎日がみがみ言うのは、植木の「手入れ」のようなもので、(目標・パースペクティヴがあって言うのではなくて)ちょっとここがのびすぎたからチョンと切る、ここの形が悪くなったから整える、と言う感じで非常に日本的なやり方だ、と。いま日本ではこの「手入れ」の感覚や、「型」を失ってきている、とも。
 それが日本的であるかどうかはともかくとして、こう見ると秩序の権化のようなロッテンマイヤーさんは、「手入れ」ということをしすぎている人だ。一方この対極にあるのがハイジ、というよりむしろその上を行くアルムのおじいさん(自然の権化)、そのあいだにあるのがクララのおばあさんで、自然と秩序の折り合いをつける役目をになっている。
 この話は秩序と自然が衝突しながら折り合いをつけて行く話で、ロッテンマイヤーさんかハイジかどちらかに車椅子を押してもらわなければならなかったクララが、自分の足で一人立ちして行くことになる。このクララの姿が、読者の姿に重なるのだ。

 児童文学というものを定義づけると(定義は自分の中でころころ変わるので)、「女子供の文学」だ。
 なぜならそれは政治的と言う意味での「男社会」の価値観からは少しずれているからだ。そこでは、「成熟する」と言うことは、政治的な筋力をつけると言うことではなくて、(個人の中の今まで通ってきた)幼い頃からの様々な年齢層が豊かに連関すること、昔の年齢層すべてを引き受けていける、と言うことなのだ。あたかもロシアの入れ子の人形(マトリョーシカ)のように、一番外側にあるのが今の自分だとして、その内側には幾重にも今までの自分が収まっている。根っこからずっと繋がっていることはどんなにか自分を安定化させるか。

 自分は、そういうひとをひとり知っている。それは『くまのこウーフ』を書いた神沢利子で、彼女は幼い頃の、その時の自分(トコちゃん)と常に行き来している。(と、『おばあさんになるなんて』から何節か引く)

 じぶんはもともとポリアンナ(パレアナ)などが好きであったが、からだをこわして高校を一年休学して参ったときに『赤毛のアン』にもどった。弱ったからだや魂が要求するものは自分でそれがわかる。自己を形成する頃に抜き差しならない影響をあたえられた。今でも癇癪の起こし方が、エミリあるいはアン的であると思う。

 どうして自分はアンに影響を受け、(たとえば)たかどのほうこはリンドグレーンに影響を受けているのか?
 鶴見俊介の言う「親問題」(生まれ落ちたときからのその人のテーマ、人生の中で繰り返し出てくる問題)というものがあるが、読んだものがその人の親問題に抵触した時おもしろいことになる。(だからアンが彼女の親問題にふれたという事か)

物語性を摂取すること、それが深いと言うこと

 『記憶は嘘をつく』と言う本の中で著者は、人生の重大時には、クラリネット奏者であった祖父の、打ち捨てられた白い手袋と黒いクラリネットケースという光景がフラッシュバックしてくると言う。祖父が自分の魂にも匹敵するものを打ち捨てると言うことがどれほど重みのあることだったか。
 しかしこのありありとした記憶はまったくの記憶違いだったということが後になって分かったのだ。なぜ実際にはありもしなかった「記憶」が著者の中で重要な位置を占めるようになったのか?
 からだが食べ物を吸収するように、魂が、実際に起こったことも、起こらなかったことも、分解して、素(そ)にして吸収する。記憶が長い年月を掛けて、様相を変えてしまうこと、これはつまり自分が自分の「手入れ」をしているのではないか。物語を自分に合うように、改竄している。

物語性を深めるには(滋養としての物語性=魂に近い部分で働いてくれる物語)

 作り手はどうやってそれをめざすか?
 読者が洞察(新しい世界観)を得るために「ああそうだったのか体験」が必要だ。自力で洞察に到達しなくては何の意味もない。作家に全部説明してもらったのではなくて、自分で読みとって「ああそうだったのか!」と膝を打つ。(自分の今まで持っていた)なにかががらがらと崩れ落ちてはじめて洞察が生まれる。このがらがらと崩れる振動は、その人の他の枠組みにも多少なりとも伝わる(『月の砂漠をさばさばと』から「ああそうだったのか」の実例をひく)。

洞察を生むための、無意識な(=読者に対して、読者の無意識に働く、と言う意味か?)伏線の張り方

 自分の物語はフラクタル構造をしている。(リアス式海岸を例に説明。ちょっとわかりにくい、シダの葉の作りを思い起こすとわかりやすい。
ex.)権威的な親がいたとして、その人は大人になって、上司とも友人とも、どの局面でも同じ様な権威主義的な人間関係を築いてしまうようなこと。

 読者には読めない物語をひとつ仕込んでその上に物語を組む、と言う試みをしている(実際に新聞に載った掌編「ムシに遭ってムシしなかった話」のコピーを会場のひとり一人に配って朗読)(無視、というイントネーションで読む)誰かとなにかを共感すると言うことを書いた。

 結び:山で迷ったときに、戻るのは無駄ではない。しゃにむに進む人が遭難する。子供にもどるのは先祖帰りでも何でもない。途上にある自分の道を見失うと遭難死してしまう。子供に返って、魂に滋養をあたえるように。

フロアからの質問に対し:

1.物語を書くきっかけ:小さいときから書いていた。自分の本質は詩人だと思っている。自分が安定して行くためには、物語を書き続けないではいられない。よく言われることではあるが、御飯を食べるのと同じように、書くことが自然なこと。しかしあまり健康的なことではない。

2.『西の魔女が死んだ』の続編:書き続けている、いつかきっと出来ると思う。

3.本の執筆順について:『丹生都比売』は早くから書いていたが、本当に苦しんでいた。『裏庭』より先に出版されたが、実際に最後の部分が書き上がったのは『裏庭』が書き上がったあとだった。そのことを、清水真砂子が鋭く指摘した。


 「問いの中で」と言うタイトルで、事前に参加者からの質問を受け付けてそれに対する内容だと聞いていたのだが、具体的な問いに答えるわけではなかったようだ。個々の作品のあまりにも細かい点に関する問いが多かったのではないだろうか?
 急遽ついたという「遭難死しないための児童文学」と言う副題にそったオチを付けるには最後がやや強引だったが、時間がもっともっと欲しかったと思う。

 「自分の作品はフラクタル構造」というところで、彼女の物語の作り方が腑に落ちたように思う。
 印象として彼女の作品は題材がたくさんありすぎる嫌いがあって、どこにフォーカスがあるのか不鮮明な感じを受ける。すこし題材を整理して書いてみたらずっと読みやすいだろうに、と思うくらいだ。
 けれども、わたしが『エンジェル エンジェル エンジェル』で強く感じたように、彼女の書きたいことは乱暴に言えば「魂の交流」である以上、そして彼女がこの講演でのべたようなことを常に念頭に置いて物語を書いているのである以上、たんなるストーリーや人物を書くのみでは彼女のもくろみは達しないだろうと言うことはよくわかった。この視点から見直してみると、森の木々の間にさっと日光が落ちるように、彼女の作品の書き方に非常に納得し共感するものを覚えた。
 彼女の作品がすごく好きか?と問われると、初めに『裏庭』、次に『西の魔女が死んだ』を読んだ時点まではそれ程ではなかった。確かにかなり気になる作品ではあるけれども、どこか居心地の悪い、納得のゆかないものが残っていた。けれどもさらに『からくりからくさ』、ついで『丹生都比売』『エンジェル エンジェル エンジェル』を読んでからは、時間がたつに連れ、好き嫌いを超えてもうのっぴきならない縁を感じるのである。繰り返されるテーマは確かにフラクタル構造と言えば理解しやすいかも知れない。このように読者の根幹に触れるものがあるから、欠点を補ってなお余る、掴みがたい魅力を感じるのかも知れない。
 この点からも、5作品の実際の執筆順がぜひ知りたい、どのように彼女は物語を掘り起こしていったのか、物語がどのように反復し広がっていったのかが知りたい、と思うのだ。

●なお梨木香歩の作品の出版順は次の通り。

『丹生都比売』95年11月20日(原生林)
『西の魔女が死んだ』96年4月20日(小学館)(ただし94年に楡出版から一度出ている)
『エンジェル エンジェル エンジェル』96年4月20日(原生林)
『裏庭』96年11月(理論社)
『からくりからくさ』99年5月20日(新潮社)