ニムの まゆみワールド

 

作品の欄の は、長野作品における個人的気に入り度(5つが満点)です。

▼HOMEへ  ▼本の未整理棚へ


『銀河電気譜』
ぎんがでんきふ
河出書房新社 1994 ★★★★

 久しぶりに長野まゆみと再会することとなった本である。
 表題の「銀河電燈譜」と、そのサイドストーリーと言うか、対をなす「夏日和」が収録されている。

 「銀河電燈譜」は、宮沢賢治とおぼしき「賢治」が主人公である。病がちの妹・トシを気遣いつつも、家出同然に花巻を出て東京に向かう夜行列車に乗った賢治。その前に次々と姿を現す、奇妙な言動の人々はいったいどういう人たちなのか。

『カンパネルラ 河出文庫 1993 ★★★★

 「尽く草樹に廠われた林を歩いている。」の出だしが全編の色彩を示唆しているように、緑一色におおわれた作品だ。木々の緑、それを映す水。後ろ姿ばかりが印象に残る兄・夏織の住む祖父の家を訪ねた柊一は、夏織の隠れ処ともいえる銀木犀の木を捜しだして…。
 本の中から偶然見つけた素描に書き付けられたカンパネルラと言う署名。次第に変容して行く素描。
 文庫版へのあとがき「カムパネルラの肖像」では、多くの人が特別なものとして記憶しているこの「カンパネルラ」と言う名を、なぜこの作品に使ったかが語られており、非常に興味深く、読むものへの指針となる。

夏期休暇 河出文庫 1994 ★★★★★

 

夏至祭 河出文庫 1994 ★★★★★

 月彦が使っている祖父の時計は、夏のある時期になると一定の時刻を指したまま止まってしまうが、またそのうちにもとと変わらずに動き始めるという変わった癖を持っている。そんな季節、通学路にある古い空き家に、ある時灯がともっているのを見つけた月彦は、そこで黒蜜糖と銀色と言う名の少年たちと出会う。
 棠梨(ずみ)の木立と芍薬の花畑に彩られたふしぎな夏至の夜の祭。
 宮沢賢治の「ポラーノの広場」を彷彿とさせる美しい作品である。
 羅針盤、砂糖を入れた麦茶、蜂蜜を塗った黒麺麭、レモネエド、等々作者が大事に反芻してきたイメージがちりばめられ、私のもっとも好きな作品のひとつ。

野ばら 河出書房新社 1989 ★★★★

 

『夜啼く鳥は夢を見た』 河出書房新社 1990 ★★★★

 

『魚たちの離宮』 河出文庫 1990 ★★★★★

 

天体議会 河出書房新社 1991 ★★★★

 

螺子式少年』 学習研究社 1992 ★★★★

 

『綺羅星波止場』 河出文庫 1992 ★★★

 

テレヴィジョン・シティ 河出書房新社 1992 ★★★★

 長編であるが、いつものように登場人物はごく限られている。ダクトから聞こえる風の音、レシーバーから流れる単調なアナウンスなど様々な音が効果を与えるにもかかわらず、イメージとしては無音である。ひとつの世界をなすような巨大なビルディングを舞台としているが、ほとんど数人の少年同士の交感のみが描かれ、長野作品に特有の静謐な世界である。状況設定は、まるでSFであるが、決してそれはどこか遠い場所でも異世界でもないことが次第に了解される。入れ子のような構造をなしているかと思えば、それもまたトリックないし幻想のように思える。
 ビルディングのある「鐶(わ)の星」は、土星を、また主人公アナナスの思い焦がれる、そこから十五億キロ彼方の「碧い惑星」は地球を、それぞれ想起させる。しかしそれにはとらわれずにいた方がよい。「鐶の星」の存在も「碧い惑星」の存在も、アナナスやイーイーの存在すらももはや疑わしいような状況に、読者は放り出される。
 『夜間飛行』でも感じ、またこの作品でそれが如実に現れているように、彼女はこの現実世界に少なからぬ危機感と懐疑をいだいているらしい。いくつもの作品に見られる南方指向もその一つの現れかと思われる。
 人生(現実)とは、すべて幻想と誤解で出来上がっているのよ、とシニカルな気持ちの時には思う私であるが、その認識を補強してくれるような結末である。

三日月少年漂流記 河出文庫 1993 ★★★★

 

雪花草子 河出書房新社 1994 ★★★

いにしえの都と、その周辺が舞台である。 
 「白薇童子」は夜叉の子として生まれた白薇童子を母の敵と討ちに来た女御と、化け狐もみじ、そして白薇童子その人の物語である。かなり設定がきわどくてここまでやるか?と思わないでもないが、むしろ昔の物語りと思えばそれなりか。題材はともかく、いつものごとくの美少年とその衣、草いきれや土の湿った匂いさえするような「気配」の描写がすばらしいのでずんずん読んでしまう。

 「鬼茨」は将軍の重臣の息子、朱央(すおう)と、申楽を生業とする家に生まれた小凛(こりん)というともに13歳の少年が、誤って将軍の側室の子、蜜法師の愛猫・凍玻璃(いてはり)を弓矢で射殺してしまうことから始まる悲劇である。うう、おぞましい。

 「蛍火夜話」では将軍の世継ぎとして生まれた双子が、一人は闇に葬られるところを貴人の子として育てられ、それぞれ13歳になったとき偶然出会う。女の子として育てられ美しく成長した彼(彼女)は、蛍狩りを催し、その晩まんまと跡継ぎの少年とすり替わってしまう…。
 跡継ぎとして育てられた少年・蝉丸の凄惨な最期に、物語の美しくもおぞましいラストがだめ押しをする。

 どれも短編だが凝縮されたなかに妖気が立ちこめ、色彩感が美しく、マニエリストと呼ばれるのもむべなるかな。
 でもなんか、この系統の作品については「おぞましい」ばっかり連発しているような気がする!でも美しくもあるのだ。やはりまとめて読むとつらいものがあるが…。

水迷宮 汪の巻 河出書房新社 1996 ★★★

 近江からほど近い風光明媚な海辺には、貴人武人たちの離宮が数多くあった。中延守護の16歳になる嫡子・是清は、崖下の浮き島の水天宮に祈祷のため朝晩通う千潮姫に魅せられる。ある日溺れかけたところを助けられた是清は、期せずして千潮姫と床をともにするが、それこそ彼からさかのぼること数代の昔、旅の若者が得た、水府の帝の娘がかけた呪いの一端であったのだ。

 何代にもわたる激しいこの怨念は、おぞましい人間関係と悲劇を作り出して行く。
 「其の一」に続き、「其の四」までに、是清の息子・是央と将軍の娘・布由姫のくだり、そもそもの始まりである旅の若者が受けた呪詛、異様に成長の遅い女性・珠生の産んだ姉弟の濃い関係が、これでもかというように語られて行く。

水迷宮 瀧の巻 河出書房新社 1997 ★★★

 前編『汪の巻』からさらに時代を下り、巻頭の系図も一挙に3倍ほどに広がる。
 「其の五」では、物の怪のついた姉とそれと知らずに契る播磨甲之介、「其の六」ではそうしてできた子・真淵と、播磨の妻・蓮子が、過去からの因縁のある瀧のほとりで情を交わすこととなる。「其の七」は是清から三代下った美しい夜叉王と姉であり五代将軍の妻である阿万子、そして千潮姫の三人の関係が、そして最終話「其の八」では夜叉王と千潮姫の子・真朱と夜叉王の弟・乳王丸の契りによって、ようやくこの呪いの連鎖が終焉を迎える様が語られる。

 いやこれが凄まじいばかりの世界である。鎌倉時代あたりと思われる時代を背景に、深い闇をいだいた山中の瀧、貴人の屋敷にありながら妖気を漂わせる水のほとりがじっとりと描かれる。系図を読み解くのもはばかられるような、深い因縁を引きずった人間関係。女と思えば衣に隠した姿は男、はたまた男でありながら男でないもの、などなど、外面を欺く異形のものたち。男と男の、また女同士の交情が美しい衣をまとって実におぞましく語られる。終わって溜め息をついたものだ。
 そういえばちょっと高橋留美子の「人魚シリーズ」を連想させる世界でもある。

『兄弟天気図』 河出書房新社 1996 ★★★

 子供向け、とは限定はしていないが、子供の読者を明らかに想定して書かれたもの。
水天宮のほど近くに住む弟史(ちかし)は12歳、同じ中学生の兄・兄市(けいいち)と、年の離れた姉・姉美(えみ)の三人きょうだいである。その夏、水天宮の戌の日の縁日、弟史は兄と見間違うほどにそっくりな少年を見かける。姉もその姿を見かけるが、それは明らかに兄市ではなく、姉によれば弟史たちが生まれる前になくなった兄・弟介(だいすけ)ではないかという。水天宮の段々坂をふと通り過ぎるその影。そのあとさきに寄り添うのは、亡くなった祖母か。キリリンコロンという戌の張り子の玩具の音がその姿にまつわる。
 少し前まで当たり前のようにあった下町の夏の風情を、過度な情緒に陥ることなく透明に描いており、作者の意図の通り、確かにある「時」がここに書きとどめられている。

『鳩の栖』 集英社 1996 ★★★★

 短編集である。「鳩の栖」、「夏緑陰」、「栗樹」、「紺碧」そして「紺一点」の五編が収録されている。中学生から高校生の年代の少年たちが主人公である。

 「鳩の栖」では殻を作って閉じこもりがちな転校生と彼が心を開いた友との出会いと別れを鳩を象徴にして語る。
 「夏緑陰」は少年とその母の話で、実の母、育ての母、存在すら知らなかった兄との邂逅などが描かれるが、少年の幼い日に出会った実の母らしきひとの思い出が読後に余韻を持って思い起こされる。育ての母が珍しく現実感を持って登場しているのが目に付く。この五作の中ではもっとも気に入った作品。
 「栗樹」は少年と1歳違いの養子に出された実の兄との心のやりとりが、高幡不動と思われる東京郊外の古物市を軸に描かれている。
 「紺碧」では地方都市に住む中学生・亨と義兄、友人の真木らの織りなす青春模様が、続編「紺一点」では高校進学を果たした亨たちの地方都市ならではの閉塞感を抱きつつ過ごす毎日が、しかし真木の道化ぶりのせいかさわやかな筆致で語られる。亨が義兄にいだく淡くいくぶんヤバい思いはいつものまゆみワールドであるが、淡々とした語り口に好感が持てる。読み終わるとほんの短い作品であるのに、彼らの生きている町が確かにその中に息づいているのに驚く。亨と真木がさて大学進学を考えるに当たっていざ東京へ、と思いを馳せるところで筆が置かれているので、間違いなく続編を期待して良い。
 亨が男の子でありながら身仕舞いがよく、家事もそつなくこなす所など、『白昼堂々』の原岡凛一の同類であるが、彼ほど出自が独特でない分、ある種のノスタルジックな雰囲気がよく醸し出されている。凛一の前身とでも言うべきか。きわどい題材でなくとも美しくこなす長野まゆみの力量はさすがである。

『白昼堂々』 集英社 1997 ★★★★

 何が、いったい白昼堂々であるか。それはもちろん…。題名からして、ちょっと少女マンガの世界。
 主人公・原岡凛一はある華道の家元の跡継ぎで、季節の変わり目にはすぐ具合を悪くして寝付いてしまうような線の細さである。そうやって床についているところから物語は始まる。一見淡々としているが、テンポは割合に早い。出だしからやや読者の意表をつく形で始まり、なになに?と思っているうちに作品の中に引き込まれている。
 凛一は中学生で、従姉の省子と間違われるほどに男っぽく「ない」。見かけに違わず、女性でなく男性に恋心を抱くタイプの人間であるが、親類の中に同じ性向のものがひとりならずいる。冒頭からの信じられないような設定の中(まんがちっく)、凛一は省子の男ともだち・氷川に心を惹かれてしまったことに気づく。
 吉祥寺と思われる東京の郊外の住宅地と、凛一の年若い叔父・千尋が住み、氷川も思い入れのある京都を舞台に、様々な誤解、ややもすると縺れがちな人間関係を伴って物語は展開する。少年と兄、少年と父の深く心に沈んだ思い出が、登場人物たちに秘められている。
 省子や家元である祖母などの女性たちが活躍してメリハリをつけているのが気持ちよい。
 少女マンガそのもののような設定でありながら、決してそれにとどまらないのは、人物に付された湿度の高い過去の思いのせいであり、息苦しいほどに濃い緑の気配であり、また独特の肉体の描写である。これらはみな、目に映るものと言うよりむしろ肌に訴える感覚である。気配と言っても良いかもしれない。この部分はマンガでは表現できない。
 ある種の作品群ではこの「気配」はどろどろとしたむしろ粘性のものに傾いているが、ここではそれほどのことはない。むしろたとえばタルカム・パウダーのような感触を想起させるような…。長野まゆみの、この質感の味わいが面白いのだ。
 「鉱石系」のデヴュー作『少年アリス』でさえ、硬質な文章と言うイメージでありながら、じつは水や植物の表現に思いがけずじっとりとしたものを感じるではないか。
 さて、この凛一と氷川をめぐる、いつも気持ちの良い風の渡っているような物語は、宙ぶらりんなまま続編『碧空』へと書き継がれていく。 

▼HOMEへ  ▼本の未整理棚へ


1998年10月より
2001.12.31 01:11:46