"The Tower at Stony Wood"  Patricia McKillip  Ace Books

 マキリップと言えば『妖女サイベルの呼び声』("The Forgotten Beasts of Eld")である。ハヤカワ文庫FTシリーズの記念すべき第一冊目として刊行されたこの作品は、「世界幻想文学大賞受賞作」にふさわしい、文句のない魅力に溢れたものであった。邦訳刊行以来20年以上を数えてもなお、この作品は銀の髪のサイベルそのひとのように秘やかな、しかし褪せることない輝きを放ち続けている。その後の『イルスの竪琴』3部作と『ムーンフラッシュ』『ムーンドリーム』を最後に、なぜか全く邦訳されることなく今に至っているが、海の向こうではMcKillipの新刊は着々と刊行されているのであった。知らぬは日本のファンばかりなり(私だけか)。今回取り上げた"The Tower at Stony Wood" は、昨年のネビュラ賞候補となった作品である。さらにこのあと今年に入って"Ombria in Shadow"が出版されている。

 小暗い塔の部屋に一人、銀の輝きの鏡に見入る女性。鏡には彼女の顔ではなく、夕暮れの中を歩む、黒髪の馬上の騎士の姿が映し出されている。黄金の塔が縫い取られた陣羽織を着て、どこへ歩んでゆくのか、その暗く深い彩りを彼女は刺繍糸を取り上げて布の上に縫い取り始める。出来上がった刺繍はしかし、彼女の手に残されることはなく、開け放たれた塔の窓からいつの間にかどこへともなく消え去ってゆく。のちにこの刺繍は現実に、また現実は刺繍にと変化(へんげ)することが示される。この、刺繍する塔の女性を描写する短い章をあいだに挟みつつ、Yvesの騎士Cyan Dag、Yvesの属領・北方諸島の領主の息子Thayne Ysse、同じく西隣Skyeのパン焼きSelとその娘の、3つのエピソードが交互に語られてゆく。入り組んだ構成はあたかもずっしりとした中世の織物のような手触りを感じさせる。
 Yvesの王は、魔法が生きているという噂のある土地Skyeの姫を娶ることとなり、いましもGloinmereの宮廷はその一行を出迎えようとしている。騎士Cyan Dagは3つの黄金の塔を紋章とする古い家柄の出で、財産はないがその勇気と忠義で知られていた。Cyanは背の高い老女(Skyeの吟唱詩人)から、姫は実は本物ではなく、化け物が彼女の姿を騙っているのだと聞かされる。本当の姫はSkyeの地の塔に囚われ、そこから出ることは叶わないという。その証拠に、宴の後Cyanの前に姿を見せた「姫」は6本の指を持ち、その足は鱗に覆われ、そのおとす影は命を持つもののように蠢いて彼を脅かすのであった。忠義の人Cyanは本物の姫を救い出すため、恋人にも王にも告げずにひとりSkyeへと旅立つ。
 一方Yvesの支配に7年来辛酸をなめさせられている北方諸島では、領主の息子Thayneが、負け戦以来気が触れた父と年若い弟Craicheの二人をかばうように生きていた。7年前Craicheは皆の反対を押し切って出陣した結果戦場に倒れ、もはや死ぬばかりであったが、「顔のない騎士」が夜の雨の中どこからともなく現れて味方の陣地へ連れ戻してくれたため、辛うじて死を免れて今は不自由な足を引きずっている。父親はThayneに、ドラゴンに守られた塔の絵を示し「ドラゴンを斃し、塔の中の黄金をYvesの支配から逃れる為の軍資金にせよ」と言う。そこに竪琴弾きの老女が現れて「その塔はSkyeに実在する」と告げるので、閉塞感と諦念に生きていたThayneはSkyeに旅立った。途中Thayneは森で暴漢に襲われ難渋していたCyanを助けたのち、ドラゴンの守る黄金の塔にたどり着いたが、そこで再び出会ったCyanを宿敵Yvesの騎士と知ってまさに殺そうとする。が、あわやの時に、Cyanこそが戦場で弟を救った「顔のない騎士」とわかり剣を収める。Thayneは己の受け継いだ「言葉の魔法」の力を取り戻して、ドラゴンをGloinmereへ向けて駆ることとなる。
 さてSkyeの海辺の土地Stony Woodに住むパン焼きの女性Selは、昔亡くした漁師の夫を思い起こしつつ海とアザラシを見て飽きることがなかった。海辺の化石化した森、木であると同時に石でもあるstone woodは彼女に「生きているの、死んでいるの。」と問いかけるかのようだ。この地にたどり着いたCyanはドラゴンの塔で破れた陣羽織をSelに繕ってもらい、しばしの休息を得たかに見える。このところずっと、Selの娘は恋人さえも放っておいてstone woodにある塔に閉じこもっていた。Selはその原因を突き止めようとするが、今度は自らが塔の魔法に取り憑かれてしまう。Selは長い間塔に閉じこもったのち、陸と人間の形を忘れて海へ戻っていこうとしたが、捨て身のCyanの行動によりついに本来の自分自身を取り戻して陸へ帰る。Selはまたも現れた背の高い老女に手助けされて力を磨き、 Gloinmereへ乗り込んだThayneとドラゴンの元に思いがけなくも現れて、YvesとYsseの戦いを抑止する役目を果たす。
 Cyan自身はと言えば、持ち前の誠意と忠義で、ThayneやSelにとって重要な触媒的役割を果たすのだが、自身が探し求めている本物のSkyeの姫が幽閉されている塔にはいっこうにたどり着けない。終盤に至ってようやく彼の探求の旅は美しく目的を達成したかに見えたが、またしてもその足は理解を超えたものに掬われる羽目になる。そして老女から旅の本当の目的が明らかにされCyanは絶句するのだった。これまでの自分の旅は何だったのかと。

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 これだけ美しく複雑に縫い取られ織りなされた物語でありながら(だからこそ)、誰に、どこに焦点があるのか、すっきりと胸に落ちにくい。中でも(掉尾に至って老女によって言及される「織物」のほうはともかくとして)「刺繍」の意味合いはなんとも掴みがたい。塔の女性が鏡に映る(別世界の)情景を刺繍し、それがいずこへともなく持ち去られると布の上の情景は現実のものとなる。また終盤では逆にこれまでのさまざまな現実の光景が、再び一連の布の上に刺繍として再現されているのを見ることとなる。単なる魔法の道具にしてはあまりに美しく神秘的なので、どうしてもそれ以上の深い意味合いがあるのではと考え込まずにはいられないが、豪華な美しい目くらましの域を出ないのだろうか(ただしSelの刺繍はすべて彼女の手許に残って独自の役割を果たす)。

 一方、主人公であったはずのCyanは、時間の外を歩むように季節の移ろいも忘れ、旅のほこりにまみれてひたすら探求の旅の途にある。彼の美質は老女の期待通り場面場面で最大に生かされるのだが、彼自身は本当の意味で生きているようには見えず、ただ騎士としての規範を生きているだけのように感じられた。騎士らしい探求の旅を全うしようとして図らずも狂言回しの役割を演ずるCyanの姿は、どこか観音様の手のひらの中で弄ばれる孫悟空を想起させる。愚直な程の「騎士道」は、ともすると滑稽さを感じさせるものだが、Cyanをそのような「騎士らしい騎士」として描いたのは作者の意図ではあるだろう。しかしstone woodの「生きているの、死んでいるの」の問いは彼にこそ投げかけたい。予定調和を体現しようとするかのようなCyanは、探求の旅から帰ってきても多分、価値観の転回はないままに違いない。結局彼は織物の梭(ひ)にすぎなかったのだろうか。Cyanはこのように描かれてきたため、ラストシーンではCyan自身が恋人Criaと寄り添った姿のままふとその動きを止めて精緻な刺繍の似姿として布の上に形をとどめ、冒頭で内心予測したような枠物語となって終わるかとさえ思われたのであるが、実際は一種のハッピーエンドとして物語が閉じられたのである。

 これに対し、もう一人の主人公Selの本当の姿は、それまでの物語の流れからするとむしろ唐突で意表をつくものだ。鏡、塔、騎士、ドラゴン、魔法、姫、刺繍(バイユーの壁掛けを思い出させる)と、いかにも中世のロマンスふうの道具立ての中に、作者は、別種の野趣溢れる魔法を持ち込んだ。ドラゴンの炎や若者Thayneの激しい魔法のほとばしりはあるにしても、この作品の基調は抑制のきいた絵画的・装飾的なものである。作者はそこへ潮の香にあふれた激しいあこがれと秘められた感情のうねりを解き放ったのだ。同時にこのストーリーラインは、すでに人魚姫のように若い女性ではなく幼い孫がいる年齢の、むしろ無骨な印象の女性であるSelが自分自身を取り戻す、いわば自分探しの過程として描かれている。魔法を取り戻したSelは、すがすがしく生気と自信に満ちて美しい。
 この二人に見られるような男性側の保守性と女性側の自由・変化の対比は、遙かに穏やかな形でCyanと恋人、Selの娘とその恋人にも描かれ、やんわりと女性側の優位がほのめかされている。登場する女たちは、Skyeの姫を含めみな秘やかな共犯ですべてを心得ているかのように見える。実のところこの物語を織りなす陰の立て役者は、あの有名な三人の魔女なのだ。結局、女性が実は世界を動かしているという、女性の視点による女性に寄り添った物語であることには違いない。
 物語の入り組んだ構成とその落としどころに得心のいかないものがどうしても残るほか、人物が平面的に描かれている点もマイナスポイントと言えなくもない。ただし人物描写についてはSel以外は意図的に2次元的に描かれていると思われるのでーなにしろ織物と刺繍だからーある意味作者の意図は成功していると言えよう。とまれ、この底光りのする魅力に満ちた物語はすっかり私を虜にしてしまった。Kinuko Craft描く物語世界そのままの暗い煌めきに満ちた装画も美しい。映像化されたならばさぞかしと思われる作品である。

Nimh