やおいについて


 

「やおい」の意味が全く分からなくてここに来ている人はあまりいないと思うのですが、言葉というのはけっこう使う人それぞれで意味が微妙に違っていたりしますのでね。とりあえずご説明など。

 語源は、とある同人サークルさんが内輪で使っていた「やまなし、おちなし、意味なし」の略語である、というのがほぼ定説です。ので、現在も一部に「『やまもおちも意味もないんだろー』という揶揄を以て使われる言葉なので、「やおい」という言葉は使いたくない」という考え方をする人もいるみたいです。でも「やおい」を語源的な意味で使う人というのは既にほとんどいないので、それはちょっと考えすぎでは?と私なんかは思います。
 「やおい」を作った同人サークルさんは確かオリジナル(これは、パロディに対して使う言葉です。)の方々だと思うのですが(未確認です)この言葉はその後、「男同士のエッチ(sex)」の意味で主にアニパロ同人界で使われるようになります。(ちなみに「やおい」という言葉が出回るまでは、「ホモパロ」って言っていました)知る限りでは、初代ガンダムのパロディやJ9シリーズのパロディ辺りで使われだし、C翼パロディの大流行の波に乗って一般化(あくまで、同人界において)します。このため、「JUNE」(こちらは少年愛等をテーマとしたオリジナルの商業誌の誌名から来ています)をオリジナル作品の呼び名に、「やおい」をパロディにと使い分けている方々もいます。(ただし、JUNEが商業雑誌のタイトルなので、その雑誌名を一般名詞として使うのを嫌がる人たちもいます。第一は同様の作品を扱う、他の商業雑誌の関係者の方々なのですが。そこでJUNEに替わる言葉として「耽美」が使われたり、最近はBoy’s LOVEとかいう言い方もします。ここではとりあえずJUNEに統一してお話ししています)でも、私は「やおい」をアニパロ限定に使うのはどーかしら?と思うし、オリジナルを全部JUNEって言えるかというと、それも違う・・・と思うのですね。(本家JUNEに掲載されたモノしかJUNEとは言わない、という意味ではありません)「やおい」の話をする前に(やおいと区別を付けるために)JUNEの話を少しいたします。

 そもそもJUNEというジャンルがこうまで大きく広くなった最初の仕掛け人(の一人)であるところの作家・栗本薫が、評論家・中島梓として、「何故少女たちがJUNEというものをこんなに求めて、必要としているのか」ということを研究してまして、それが『コミュニケーション不全症候群』という本を読むと書いてあるのですが(でも、この本、難しくて、私はちゃんとは読んでいません(..;)。もちろん、JUNEについてだけ述べた本ではありません)大雑把に言うとそれは「自分が女性であることを拒否したい少女たちが、逃げ場として、「少女」という存在の全く出てこない世界を(虚構の中に)求めた」から、ということです。私も、JUNEというのはある種の「癒し」を得るために書かれ、提供され、読まれているモノだと思います。
 でも、ですね。初期のJUNE作品はたいがいその「癒し」を感じさせるモノだったのですが、近年になって少年愛系統の雑誌が増えたり、元祖やおいであるところのアニパロ同人誌等からのオリジナルへの作家の流入があったりして、そういったシリアスな必然を感じさせない、もっと「単純に楽しむための」JUNE作品が増えてきたんです。それはもう、少年愛(青年同士というのも多いのですが、とりあえずこう言っておきます)とはいえ、JUNEとは言い難い。ので。それ以外の呼び名が必要です。「やおい」はたぶんそのために(流入してきた作家たちと共に)オリジナルの世界でも使われるようになります。JUNEとは明らかに意味が違うのですが、明確なラインはありませんし、一つの作品がJUNEでもやおいでもある場合だってあるので、大混乱です。(人によって、言葉の使い方も違いますし)

 で、小春屋においては、「やおい」「女の子たちのドキドキフトドキなお楽しみのための、(主として男性同士の)性愛」を示す言葉であります。主として男性同士の、と書いてありますが、これはかなりイレギュラーな捉え方だという自覚はあるのですが、私は、「やおい」「男同士に限定しなくていい」、と思っています。(そういう風に考えている人は少ないみたいです)重要なのは、「ドキドキフトドキなお楽しみ」の方なのです。男の子同士のHは当然、フトドキなお楽しみですが、それ以外にもやおいと呼ばれてしかるべきモノがあります。代表(?)的なのは、「人間以外のモノとの恋愛」具体的に言えば、それはたとえば人工知能であり、地球外生命であります。
 ロボット(ヒューマノイド)との恋愛モノは、『銀色の恋人』(タニス・リー)がJUNE少女から深く熱い支持を受けていたり、『イル&クラムジーシリーズ』が「好きなJUNE小説投票」に出てきたりしていますし、最近では私の一押しのやおい作家五百香ノエルが、『ヒューマンレプリカ』という少女の形のヒューマノイドと青年とのラブストーリーを書いたりもしています。石原 理のSFマンガ『解体』もHはないけどやおいです。
 他に、男同士でなくともやおいな作品に、近親相姦ものがあります。もちろん、ごく初期のJUNE作品から、近親相姦(男同士の)はJUNEの重要なテーマの一つなわけですが、男女の関係にしても、つまり姉弟、兄妹等の近親相姦でもやおいたりえます。(でも、例に取るほどにはないんだなー。近親相姦はタブー感が強くてどうしてもシリアスになってしまうので、やおいというよりはJUNEになっちゃいますね)

 結局、これは本当はJUNEも同じなのですが、必要なのは「禁断の愛」なのです。誰に反対されても、誰にも言えなくても、世界を敵に回しても、僕が愛するのは君だけだという強い執着を、求めているわけです。JUNEはそれを真摯に追い求めているわけですが、やおいでは少し醒めて(?)多少ちゃかしたような(それは自分をも揶揄しているわけですが)真剣すぎると照れくさいので、そして余裕もあるので「楽しんで」いるのです。しかして、多少の余裕はあるにせよ、結局はその「禁断の愛」を求めずにいられないところ、男同士を選んでしまうところに、やおい少女もJUNE少女たちと同じ根の”傷ついた”部分はもっているのでしょう。
 でも、自分が女性であることから逃げるばかりではなく、開き直って楽しんじゃうくらいにはしたたかなことは、たしかですけどね。

 ところで、文章中に「女の子」とか「少女」とかいう言葉が、私を含めた女性のやおい乃至JUNE読者を指す言葉として出てきてます。小春さんは30も越えたおばさんと言ってもおかしくない年なのですが、なぜか、セルフイメージとしては自分を示す言葉は「女の子」なんで、その辺はお許し下さい。だって、どう考えても私は「大人の女」とか「ご婦人」とか「女性」とかでくくれる自意識の持ち主ではないのですもの・・・。女の子=小娘ぐらいの意味だと思ってね。