宗谷岬・宗谷丘陵
文学散歩 2
                         
           間宮林蔵   吉村 昭

 四月十三日早朝、海はおだやかで空は晴れていた。
 松田は、浜に見送りに来た雇人たちに、
「困難な見分調査であリ、死は覚悟している。もしも、樺太奥地で命を落とすか、異国船に捕われるかして、年を越しても帰って来ない場合には、今日の出帆の日を命日とするよう江戸で留守を守る妻に申し伝えるように・・・・」
 と、きびしい表情で言った。
 浜には、会所の深山宇平太、警備の津軽藩兵の指揮格である山崎半蔵たちも従者とともに見送りに来ていた。
 林蔵は、山崎に近づいた。山崎の眼には、再び生きては帰れぬ者を見る悲痛な光がうかんでいた。
林蔵は、
「成功せぬうちは、帰ってくることはいたしませぬ。もしも、失敗に終った場合には、樺太に残り、その地の土になるか、それともアイヌとして生涯を終えます。再びお眼にかかれるとは思いませぬ。お達者でお暮し下さい」と、低い声で言った。
 山崎は、言葉もなくうなずいていた。
 林蔵二十九歳、松田伝十郎四十歳であった。
 浜には、役人、番人、アイヌの名主ら多数が見送りに集っていた。松田の雇人たちも身を寄せ合って、松田に涙ぐんだ眼を向けていた。
 図合船に荷物がのせられ、アイヌたちが櫂をとった。林蔵は、番人の万四郎とともに松田の後から船に乗った。船が岸をはなれると、松田の雇人たちが泣声をあげながら何度も頭をさげている。松田は、それに気づいていたが、素知らぬふりをよそおって視線をそらせていた。
 船に扇形の帆があげられた。林蔵は、遠ざかる宗谷を見つめた。日本人がだれも足をふみ入れたことのない樺太の北部には、どのような危険が待ちかまえているかわからない。銃はなく脇差のみしか持たぬ林蔵たちは、人に襲われても防ぐ力はない。いたずらにさまよい歩き野垂れ死にするおそれも多分にある。
 かれは船が進むにつれて宗谷の後からせりあがってくる残雪の輝く山なみを眼にしながら、再び蝦夷を見ることはあるまい、と思った。
 船が潮流に押されはじめ、アイヌたちは力をこめて擢をあやつる。帆は微風をはらみ、船は順調に進んだ。樺太の南部には、亜庭湾をかかえこむように東に中知床岬、西に能登呂岬が突き出ている。蝦夷北端の宗谷から最も近い位置にあるのは能登呂岬で、岬の近くの白主に会所が設けられ、蝦夷から樺太への渡り口になっていた。
 前方に白主がみえてきた。船は、十八里(七二キロメートル)の海を無事に渡って、その日の夕刻には白主に到着した。林蔵にとって、初めて踏み入れた樺太の地であった。

                     (講談社、昭五七年九月 講談社文庫)




   魔の季節  井上 靖

 稚内に近くなると、窓外の景色は、刻一刻濃くなる暮色のせいもあって、次第に荒涼たるものに変って行った。見渡す限り広がっている原野は全くの未開拓地で、小丘陵が波のように起伏している。どの丘陵も大抵は灌木におおわれているか、でなければ雑草に包まれている。
 そして、丘の上に点々とはえているトド松も際立って丈低くなっている。風のためかも知れない。
「海が見えますよ」
 二、三駅前から乗り込んで来た対い側の男に言われて、竜一郎は平原の果てに目をやった。なるほど海が見える。灰色の海である。
     (中略)
 翌朝九時に、竜一郎は稚内市にある北方ホテルの一室で目を覚ました。北方ホテルというと名はしゃれているが、日本式の旅館である。この町ではまあ一、二と言われる旅館らしいが、さして大きくはない。
 部屋の入口は扉になっており、窓は高く、そこに上下に開閉する硝子戸がはめられている。日本式旅館としても、東京あたりでは余りお目にかからぬ古風なものである。
     (中略)
 自動車が走り出すと、彼は、
「なかなかいい街だね」
 と運転手に言った。
「あんまりいい街だと言ってくれる人はありませんよ」
「そうでもないさ。いかにも北方の街だな。人口は?」
「四万です」
「市になったのは?」
「昭和二十四年です」
「女は美人系だね」
 自動車は間もなく港へ出た。竜一郎は稚内市有魚菜市場の白い建物の前で、ちょっと自動車を停めた。折角ここまでやって来たのだからと思って車から降りて港を眺めた。
 港の前面に防波堤がある。防波堤と自動車の置かれている舗道とのあいだは船入澗になっていて、そこに十艘ほどの漁船が繋がれている。左手のほうには突堤が突き出していて、そこに二百トンほどの汽船が見えている。
「あれはどこへ行く船かね」
「礼文島へ行く船か、利尻島へ行くのか、ここからではよく判りませんが」
 自動車は再び海岸に沿って走り出した。
 海は昨日列車の窓から見たほど灰色ではないが、しかし、やはり藍色の中に灰色が多量に混じっていて、青いという感じは微塵もない。波はひどく不機嫌な表情で、ぶつかり合っている。そして、その上に海と同様、はなはだはっきりしない空が、どんよりとかぶさっている。
 やがて街を外れると、道路から海岸線まで五十メートルほど草原になっている地帯に出た。その草原のところどころに畑があり、畑にはダイコン、ネギ、バレイショが植わっている。が、どれも貧弱である。
 自動車はその海を縁どる青い草原に沿って走った。
 しばらくすると、前方に宗谷岬が見え出した。そのころから、波が急に騒ぎ出した感じで、波打際に白く潮の散るのが見える。
      (中略)
 自動車は北の海岸線に沿って走って行く。
 道路と波打際とのあいだを埋める草原地帯は、いつか、一面にクマザサの原となり、道路近いところだけにイタドリとか野生のヒエなどが生えているのが見える。クマザサの原の中には、ところどころに、いろいろな花が顔を覗かせていた。赤いハマナスのほかは、黄色がかった朱色のカンゾウの花、これは茎の長さは一尺ほどで、蘭の花に似ている。
 それから数は少ないが、白いエゾニューの花、このほうは茎は三尺ほどで、小さい綿のような花が群がり集まっている。
 灰色の海、それを縁取るクマザサの原、その中に点々と散らばっている赤、朱、白の花。─北でなければ見られぬ美しい風景である。
「女に捨てられたおかげで、こんなきれいな景色にお目にかかれたよ」
 竜一郎は言った。しかし、その竜一郎の言葉は運転手の耳には届かなかったらしく、
「この辺はメグマの浜と言いましてね、以前はよくクマが出ました」
「ほうクマがね。いまは大丈夫だろうね」
「冬でなければ出ませんよ」
 やがて、自動車は増幌という集落にはいった。海浜のあちこちに、バラック建ての漁師の家が建っている。どの家でも、家の横に洗濯物が翻っている。北海道もこの北の果てまで来ると、洗濯が急に人間の生活の主要な部分を占めてくることに気付かせられる。
「この辺は十月からはもう馬橇ですよ」
 運転手は言った。
 自動車はまたしばらく無人の海浜を走って、こんどは富磯村という五十戸ほどの集落にはいった。どの家も、家の近くに、土中に埋めたニシン釜を持っている。肥料にするニシンを煮る釜で、大きいのは直径一間ぐらいのものもある。
 家の建物はここもバラック建てで、一つ二つの小さい窓と一本の煙突を持った粗末な箱と言っていい。
     (中略)
 宗谷海峡は一望の下に見渡せる。ここに立って初めて気付いたのだが、潮はあたかも川の流れのように、東から西へと、かなりの速さで流れている。ここが北緯四十五度三十一分の地点である。このくらいのことは地図で調べて来ているので知っている。
 竜一郎は大きく深呼吸すると、よくもはるばると来たものだなという感慨に打たれた。何しに来たのであるか?格別改まった用事があったわけではない。怒鳴りに来たのである。怒鳴るために、彼はわざわざ日本の一番北の端にやって来たのである。
 竜一郎は腰に両手を当て、それから少し顔を仰向けるようにすると、早速ここに来た用件を果そうとした。
バカヤロウ!
 自分でも驚くほど大きな声が出た。バカヤロウのロウを思いきり長く引いた。自分の声が北の潮と気流の中へどこまでも響いて行く感じである。
バカヤロウ!
 もう一度、彼は怒鳴った。
 海峡の潮は依然として東から西へ流れている。竜一郎の声はその海峡の潮の面を渡って行く。なかなか爽快な仕事である。

                        (毎日新聞社 昭和三一年四月)



 【短歌】

看るたびに憂ぞまさる我がために曇りて隠せ樺太の島    福本 日南

朝ぐもる空に熊笹の丘つづき宗谷の海に汽車近づきぬ     柴生田 稔

間宮林蔵渡樺の地にて見ゆるもの遠き浅瀬につづきゐる海  中山  信


 【俳句】

流氷や宗谷の門波荒れやまず          山口 誓子

海峡に大きく昇る今日の月           岡崎 古艸
     (宗谷岬尾蘭内句碑)
地の窪に地の窪に小屋昆布干す         森田  峠

貝に溜る砂の白さの晩夏光           服部  幸

惜春や宗谷に多き座礁船             成田 憲章

雲の峰宗谷に続く亜庭湾            寺沢小雪子

脇差に霧滴三つ四つ林蔵碑           丸田 玲子

天北の牛の寝形に大西日            木村 俊香


【詩】

       宗谷挽歌  宮澤賢治

こんな誰も居ない夜の甲板で
(雨さへ少し降つてるし、)
海峡を越えて行かうとしたら、
(漆黒の闇のうつくしさ)
私が波に落ち或ひは空に投げられることがないだらうか。
それはないやうな因果の連鎖になってゐる。
けれどももしとし子が夜過ぎて
どこからか私を呼んだなら
私はもちろん落ちて行く。
とし子が私を呼ぶといふことはない。
呼ぶ必要のないとこに居る。
もしそれがさうでなかつたら
 (あんなひかる立派なひだのある
  紫いろのうすものを着て
  まつすぐにのぼつて行つたのに。)
もしそれがさうでなかつたら
どうして私が一諸に行ってやらないだらう。
船員たちの黒い影は
水と小さな船燈との
微光の中を往来して
現に誰かは上甲板にのぼって行った。
船は間もなく出るだらう。
稚内の電燈は一列とまり
その灯の影は水にうつらない。
  潮風と霧にしめった舷に
  その影は年老ったしっかりした船員だ。
  私をあやしんで立ってゐる。
霧がばしゃばしゃ降って来る。
帆綱の小さな電燈がいま移転し
怪しくも点ぜられたその首燈、
実にいちめん霧がぼしゃぼしゃ降ってゐる。
降ってゐるよりは湧いて昇ってゐる。
あかしがつくる青い光の棒を
超絶顕微鏡の下の微粒子のやうに
どんどんどんどん流れてゐる。

       (後略)

      (関根書店 詩集「春と修羅」大正一三年)(宮沢賢治全集)




    野 寒 岬   草野心平

突端。
それはあらゆる魅力のなかでの第一級の一つだ。
宗谷の海。
にもぐる突端。
冬は鉛っぽく。
冬はガスっぽく。
そのなかで人間は生きる。
樺太犬とともに。

けれども七月の解放のなかでの。
胸ひろがりの海のインディゴ。
インディゴの天。
その下の利尻富士。
富士の亜流じゃないですよ。
本名で呼んで下さい。
といいたげな独自な山塊が。
胸ひろがりの海の遥かに遠望される。