利尻島・礼文島
文学散歩
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           海の祭礼   吉村 昭

 年の暮れが近づくと、水平線に白い輝きが現われる。それは東の方向に帯状にのび、わずかに起伏している。寄り氷の到来である。
 寄り氷は、宗谷から東南方の網走、知床方面にいたる海岸に押し寄せて海面一帯を氷原にするが、宗谷附近の海が氷におおわれるのは数年に一度しかない。海岸線まで氷が押し寄せると、磯に近い海底を荒々しく傷つけて昆布をはじめとした海草類を根こそぎにし、水温の低下で鮑、海鼠、海栗などを死滅させることもある。
 白い輝きは徐々に近づいてくるが、夜の間に風に押しもどされて翌朝には水平線から消えていることも多い。やがて天候がくずれ、北西風が吹きつのって宗谷一帯が吹雪につつまれると、その風で寄り氷はふたたび沖合から海岸線にむかって移動し、宗谷東方の海面に巨大な氷の群が互にきしみ音をあげながら近づく。それでも、寄り氷は沖に後退することをくり返しながら、年が明けたころには海岸線に達し、その先端は磯にまでのしあがる。
 宗谷前面の海は、おびただしい氷の塊がひろがっているだけで、それらは岬をかわして西の方向へ流れてゆく。寄り氷とともにトドが、それに乗ってやってくる。雌よりも雄の方が大きく、体長一丈三尺(約三・六メートル)、重さ四百貫(一五○○キロ)ほどのものもいる。
 氷上から続々と海におりたトドの群は、宗谷岬沖で異様な動きをしめす。雌の群は毎年寄り氷で氷結する東南の方向へ泳いでゆき、雄たちは西へむかう。雄は、いくつもの集団になって氷塊のうかぶ海水をあおるようにして日本海を進む。百頭をこえる群も多く、さながら茶褐色の浮島の群のようにみえる。
 降雪と霧でけむる前方の海上には、円錐状の山がそびえる利尻の島がある。富士山によく似た山容で、山そのものが島と言ってよく、海岸線まで山裾がのびている。トドの群は島に近づき、巨体をゆすりながら競い合うように岩礁に這いのぼる。北に位置する礼文の島にあがる群もあり、利尻の島近くをかすめて南下し、焼尻、天売の島にむかうものもある。海豹の回游もみられた。
 利尻は、周囲十五里(六○キロ)のほぼ円形の火山島で、中央に利尻岳(一七一八・七メートル)がそびえ雪におおわれている。山には神霊があると言われ、恐れて登る者はいない。
     (中略)
 六月二日早朝、島の北東部にある野塚のアイヌたちは、海上に異様な小舟が浮いているのを眼にした。帆柱があるが帆はあげられていず、ほとんど動かない。
 野塚前面の海は、海鼠が多く棲息する漁場で、その地に住むアイヌ以外に宗谷その他から送りこまれてきた数十名のアイヌたちが、山裾にある番人小屋の周辺や海岸の近くに建てられた仮小屋に寝泊りしていた。煎海鼠を干す作業も一段落し、アイヌたちは、干し上った煎海鼠の串ぬきにはげみ、それを俵につめて運上屋のある本泊へ舟で送ることをはじめていた。
 その日も、早朝から串ぬき作業がおこなわれていたが、南方の海にうかぶ小舟に気づいたかれらは、作業の手をとめて傾斜をくだり、磯に集った。
 小舟は、磯から半里(二キロ)ほどの海上にうかんでいて、ひどく幅が広い。むろんアイヌの舟ではなく和船の艀でもない。一人の人間が帆柱のかたわらに立っているのが見えた。
 磯は、島が海底火山の爆発によって出現した歴史を示して、黒々とした熔岩が荒々しい線をえがいて海にせり出している。海猫のむらがる地でもあって、岩に点々と白い糞が散っていた。磯の一部が陸地に深く食いこんでいて、そこが舟入れ場になり、岸にアイヌの使うチップと称される小舟が四艘引きあげられていた。
 小舟に立っている人間が、アイヌたちの姿に気づいたらしく手をふりはじめた。
 アイヌたちは、老人、女、子供もまじえて立ったり坐ったりして小舟に眼をむけていた。
     (中略)
 海は長い夜が明けてきた。波はおだやかで、無風に近い。
 前方に視線をむけていたかれは、島が近々とせまっているのを眼にした。朝の陽光がさし、波の白さにふちどられた黒々とした磯がのびている。緑におおわれた山裾の傾斜に白っぽい人家がみえ、屋根から淡い煙が立ちのぼっている。やはり島には人が住んでいる。島をめざしてボートを進ませてきたことが賢明だったのを知った。 かれは、立ち上って帆柱をつかんだ。磯に人が集ってくるのがみえた。子供もまじっている。胸が熱くなり、眼に涙がうかんだ。日本の男女や子供がいる。夢にまでえがいていた日本人と会うことができることに興奮した。
 かれは、磯にむかって手をふった。帆をあげれば磯へボートをつけることはできるが、あくまでも遭難し漂流して救いをもとめているように装わねばならない。磯に集った者たちは、しばらくの間動かずこちらを見つめているようだったが、そのうちに二艘の小舟が海におろされるのが見えた。
 小舟は、白い海鳥の群につつまれながらこちらにむかって進んでくる。マクドナルドは、はげしく手をふった。
              (文芸春秋 昭和61年10月)

         〈利尻富士町野塚展望台にラナルド・マクドナル
          ド顕彰碑と並んで平成八年文学碑が建てられた。〉






          青年の汚名  大江健三郎

 夜明けだ。鶴屋老人は東の海を、あの栄光の時代に鯨の大群の最先鋒が始めに現われることの通例であった霧こめた東の海を見つめて岬の雪におおわれた岩鼻に立っている。かれの広くがっしりした肩、太い猪首、牛のそれのように衰えを見せない胸、膨んだ腹、長い下肢、それらは岩鼻の一つの英雄的な瘤のように濃霧の流れを割って頑強に立って静かだ。しかし老人の心は道庁の役人に、水産庁から派遣されてきた技師に、そして稚内からかれらを案内してきた旅館の若主人に対してすら、憤怒に燃えくるっている。
 役人たち、憎むべき役人たちは昨日の午後の連絡便で島にわたってくると小学校に島の漁民たちを集めて講演した。鰊はもう決して島の周辺にあらわれない。鰊漁で一攫千金をめざす者らはやがて時代の流れにとりのこされ難破し貧困のなかに死をむかえるだろう。鰊とは今や絶望という意味の忌わしい代名詞である。鰊漁への見とおしを棄て転向しなければならない。これはめずらしい論旨ではない。
 六年前、鰊が不意に姿を見せなくなった漁季から、くりかえしまきかえし千万べんとなえられた言葉である。

              (文芸春秋新社 昭和35年6月)



 【短歌】

利尻岳登り登れば雲湧きてたに間遙けく駒鳥の鳴く        佐上 信一
         (利尻岳・長官山記念碑)

海といふ渚に昆布を乾し並めて利尻の海の藍かぎりなし      太田 青丘

入りつ日のひかり受くるは礼文より海向ひなる利尻に長し     中山 周三

わたなかの島にて空の香のみつる草山の原花かぎりなし       佐藤佐太郎



 【俳句】

どんよりと利尻の富士や鰊群来         山口 誓子

水落ちるひびきに咲きて蓼の花          土岐錬太郎
 (利尻神社境内 句碑)
昆布採り全戸総出の島の朝            渡辺  勝

海の雪吹きあげて聳つ利尻富士          深谷 雄大

星ひとつ流れてきしむ利尻島          北  光星

島の百戸に七月の星落ちんばかり          勝又木風雨

鰊くさき雨がふるなり礼文島           明石 黙堂

昆布干すをんな西日に顔つつみ          田川 江道

燕や合掌を解く地蔵岩              田川飛旅子

須古屯の岬の先までお花畑            波辺 司雲

月澄むや磯に錆び伏す鰊釜            山下 鴻晴



 【詩】

   「出船の港」   時雨音羽

ドンとドンとドンと 波のり越えて
一挺二挺三挺 八挺櫓で飛ばしや
サッとあがった 鯨のしおの
潮のあちらで
朝日はおどる

エッサエッサエッサ 押し切る腕は
見事くろがね そのくろがねを
波は試そと ドンと突きあたる
ドンとドンとドンと
ドンと突きあたる

風に帆綱を きりりと締めて
舵を廻せば 舳先はおどる
おどる舳先に 身を没げかけりや
夢は出船の
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