豊富・サロベツ原野
文学散歩 2

     リラ冷えの街        渡辺淳一

「今月の半ばからしばらく札幌にいません」
 部屋に入り、緑のシェドゥを開いてから有津が言った。
「どこへいらっしゃるのです」
「サロべツ原野です」
「泥炭のお仕事ですか」
「開発局の総合調査班に加わるのです」
「どれくらいですか」
「一ヵ月の予定です」
「そんなにですか」
「途中で一、二度帰って来れるかもしれませんが、またすぐ戻らねばなりません」
「遠いのですね」
「天塩川の河口ですから、稚内に近いのです」
 稚内という土地に佐衣子は行ったことはない。札幌から急行でも七時間はかかる。佐衣子はかすかな淋しさを覚えた。
     (中略)
 戸が開き、大柄な男が顔を出した。
「いらっしゃい、有津さんでしたか」
 男はポロシャツの下に白い前掛をかけていた。
「ここの親爺さんです」
「ようこそ」男が眼で挨拶をした。瞬間佐衣子は射すくめられたように思った。
「中旬からまたサロべツだよ」有津は男へ友達のように話しかけた。
「いいねえ、行こうかな」
「士曜の夜からでも来たら」
「そうだなあ、いつまでいるの」
「六月一杯の予定だ」
「考えてみようかな」
男はそう言ってから、思い出したように、「御料理はこちらで見つくろって?」
「適当に見つくろってくれよ」
「それじゃまた、どうぞごゆっくり」
 男はもう一度佐衣子に頭を下げて出ていった。入れ代りに小女が小付けと酒を持ってきた。
「あの親爺は鉄砲気狂いでしてね。僕と初めて知ったのも、サロベツ原野で鴨撃ちに来ている時にぶつかったのです」
 言いながら有津は佐衣子の盃に酒を注いだ。佐衣子は慌てて有津に注ぎ返した。
「僕らが観察している泥炭の実験区に鉄砲担いで、のこのこ入ってきたのです。その時に思わずどやしつけましてね、向うも何故怒られたのかすぐには分らなかったようです」
「立入り禁止の立て札はないのですか」
「まあ一つ二つはありますがね、ばかでかい湿地の原野ですから、それくらいじゃ分るわけはないのです」
 北海道にいても札幌以外を知らない佐衣子には想像もつかない土地であった。
「こんなところで研究しているなんて嘘だとあの親爺が言いましてね」
「原野では、どんなことをなさるのです」
「いろいろあるのですが、まあ簡単に言うとまず泥炭地に排水溝を造るわけです。そうして水位を下げながら、一定の地域の植物の成育状況や、土壌の変化をしらべるのです」
「大変なお仕事ですなね」
「いや、都会であくせくしているのからみれば、ずっと気楽です」
 小女が料理を運んできた。
 はまちと赤貝の刺身に清し汁、それにたけのこと生たらこの炊き合せを置いていく。
「どうぞ」
 佐衣子は二杯目を飲んだ。妙に口当りのいい酒だった。
「海をはさんで利尻冨士が見えます」
「その原野から?」
「そう、夕方、文字通り七色に変って暮れていきます」
 佐衣子は遠い海に続く原野を思った。そこに有津と立っている姿を想像した。体が芯から熱くなっているのが分った。
          (北海道新聞日曜版 昭和四五年七月〜四六年一月連載)
          (河出書房新社 昭和四六年五月)


   踊子ノラ     三浦哲郎

 もう七月の下旬で、北海道も真夏だというのにこの北の果ての港町は、日が落ちると海峡を渡ってくる風が裸の背中にひんやりとする。
     (中略)
 豊富温泉の灯は、思いのほか早くみえてきた。A市(旭川)から急行〈天北〉で北上すると、音威子府からオホーツク海沿岸の浜頓別の方ヘ分れてしまうが、朝の〈礼文〉や夕方の〈宗谷〉に乗ると、豊冨を通る。けれども、温泉駅からすこし山の手に入るから、車窓からはみえない。桐子は、豊富の駅はときどき汽車で通るが、温泉へくるのはひさしぶりであった。
「……懐かしいわ。」
「前にきたことがあるんですか。」
「いちどね。凄い吹雪で、汽車が豊富の駅で立往生しちゃったの。そのとき、吹雪のなかを倒れそうになりながら温泉まで歩いて、ちいさな旅館に二晩泊めて貰ったんだけど、あれはもう何年前になるかしら。」
 そんなことを話している間に、車は灯のまばらな温泉街からすこし外れたところにぼっんと建っている白い温泉ホテルの玄関に着いた。もう十時半を廻っていたが、玄関の左手の、廊下側の窓が紫色の照明に染まっている部屋から、賑やかな若向きの音楽がきこえていた。
     (中略)
 温泉は、澄んで、さらりとして、いいお湯だった。けれども、かなり熱くて、
「この温泉はもともとこんなに熱いの?」
楽子がそういって杏子に訊くと、
「沸かしてるの。温泉そのものは、十五度もないらしいから。」
 と杏子は肩越しに振り返るようにしていった。
「なんに効くの?」
「くわしいことはわからないけど、なんでも硼酸食塩泉とかでね、胃や皮膚病、それに火傷なんかにもよく効くみたい。大正何年とかに、石油を掘るつもりでボーリングしたら、この温泉が噴き出したんだって、だから、最初のころは石油臭かったり、湯面に油が浮いたりしたらしいけど、いまはもう綺麗だし、なんにも匂わないでしょう?」 仕切りのむこうで控え目な咳払いがして、鼻唄の主が脱衣場へ出ていくらしい。すると杏子もするすると陸湯の蛇口に寄って、躯の石鹸を洗い落とすと、
「じゃ、ごゆっくり。おやすみなさい。」
と濡れた躯のまま立ち上った。
     (中略)
 北海道にいると牧場は珍しくないが、ここの放牧湯の、草地のスローブが大きくうねる眺めは、雄大であった。あちこちに群をなしている牛が、随分ちいさくみえた。
 カブト沼へ廻ってみると、沼よりは湖といった方がいいほどの広さで、水面は小波を立てて吹きつけてくる風がまるで木枯らしのようだった。
 この沼の南側から日本海岸までひろがっている広大な湿原で、寿夫によると、サロベツとはアイヌ語で『湿地帯を流れる川のあるところ』という意味だという。実際、サロベツ原野には、サロベツ川が蛇行しているほかは、カブト沼をはじめ大小の沼がいくつも点在している。
 豊富の町から海岸の稚咲内ヘいく途中、不意に、道の両側に、平坦で広々としたオレンジ色の野が展けて、それが原生花園であった。野がオレンジ色なのは、オレンジ色のエゾカンゾウの花が一面に咲き揃っているからであった。
 そのエゾカンゾウの大群落の中央を、橋のように一直線に貫いている道のちょうど中程に、野のなかへ板の小道などつけた観賞地点があって、そこの道端にタクシーや自家用車が何台も停めてあり、あたりの野に色とりどりの人粒が散っていた。
 原生花園を素通りしていくと、稚咲内の部落はすぐだった。海岸を見下ろす小高い砂丘の上まで登って、傾いた舟小屋の陰に車を停めると、砂丘の斜面に何艘も引き揚げてある小型漁船の隙間を、砂浜の方へ駈け降りていった。
 長い砂浜には、人はひとりもいなかった。どこから流れ着いたのか、波に打ち揚げられて陽に晒されて、すっかり色を失った巨大な流木が、あっちにもこっちにもごろごろしていた。
 海は凪で、低い波がすこしせっかちに渚を敲いていた。実に広い海であった。右を向いても左を向いても、遮るものも船もない、ただ一面にだだっぴろい海原であった。その海の果ての、水平線のすこし右手に山頂の光った利尻富士が、薄青くひっそりと浮かんでいた。そのあたりから頭上にひろがる空もまた広かった。
「利尻富士は、夕方の眺めがいいんです。夕日がちょうどあの山の蔭に沈みますから。天塩で釣りをしていれば、いい夕景色がみられますよ。」
 と寿夫がいった。
                   (講談社 昭和四九年一一月)

   

  殺人者はオーロラを見た    西村京太郎
       
 若杉が、そんなことを考えているうちに、列車は、幌延に着いた。ここは、羽幌線が合流する場所で、十分間停車である。時計は五時に近い。
 ここから、サロベツ原野が始まる。二年前の夏にも、若杉は、稚内まで、同じ列車で旅行したことがある。その時は昼間だったが、列車で約一時間、左手の車窓に延々と続く宏大な草原地帯は、若杉の眼を楽しませてくれた。これが、本当の自然だという感じがするし、昔のアイヌモシリは、いたるところ、こうした美しく、同時に荒々しい自然ばかりだったに違いない。
 サロベツの宏大な草原は、今は、一面の雪の原野に変わっていた。
 単線のレールが、どこまでも伸び、雪の原野も、どこまでも続くように見える。家の明りは、たまにしか見えない。
 五時二十二分の定時より十分ほどおくれて、列車は、豊富に着いた。おくれたのは雪のせいだろう。
 まだ、夜が居すわっていて、駅の周囲は、まっ暗である。その暗い中に、白い粉雪が舞い飛んでいた。
 ここからは、日本海の海岸にある稚咲内まで、バスが一日五往復しているだけである。その細いバス道路も、今は、雪に埋もれ、バスは、何時に出るかわからなかった。
「ここから、どこへ行くんだね?」
と、若杉はきいた。この辺りで、村といえば、稚咲内だけである。あとは、旅館も民家もなく、広漠とした原野が広がるだけである。駅から逆の方向には、豊冨温泉があるが、まさか、そんな場所へ案内するつもりではあるまい。
「天塩川の近くまで歩いて貰いたい」
と、異星はいった。
「この雪の中をか?」
「そうだ」
 異星一郎は、リュックサックの中から、カンジキを二っ取り出して、その一つを、若杉に放って寄越した。
 若杉は、それを靴につけながら、
「天塩川の近くに行けば、一体、何があるんだ?」
「行けばわかる」
 としか、異星はいわなかった。黙って、そこに止まっていることも出来たが、若杉は、雪の中を、異星について行ってみることにした。
 駅員が、不審そうに眺めている中を、二人は、粉雪の舞う暗闇に向かって、三十センチ近い積雪の中を、歩き出した。
                   (サンケイ出版 昭和四八年五月)
                   (光文社文庫 平成五年四月)



   原野と少女    沢田誠一
         
 上川盆地を抜け、日本海にぐっと近づきながら日本最北端の湿原サロべツ原野の風景。地図をひらいてみると、大雪山から石狩川と反対に北に流れだした天塩川が、この辺からかぎの手に折れて南西にゆっくり河口をもとめ、まわりに無数の湖というか沼をつくっている。
 兜沼、長沼、ぺンケ沼、パンケ沼、南沼。標線二・五メートル〜三メートルの湿地帯で、そのわずかに盛りあがった丘陵部が牧草地や農地になり、低いところは水たまりの湿原。はしけにでも乗ったようにぐらぐら遥れる大地。
 じゅくじゅくと水苔がはえ、ヒメオウギ、エゾカンゾが咲き、腐れ畳を置いたようなぶよぶよの土。冬はシべリヤからの風と雪が吹きつけ、たびたび汽車もとめられてしまう世界。ここに未知の小動物が棲んでいる。
                  (朝日新聞 昭和四八年七月)



   北の夏    沢田誠一
       
 丘が幾頭も幾頭もの、まるい獣の背のようにつづく道を二時間ほど走って
「さあ、こっから別の道になるんだけど、ぼくらはそっちへ寄るんでここまでですね」
とジープからおろされました。
 砂利道がそこから二またに岐れ、私が向かう道というのは、一直線にはるか緑のなかへ糸ほどになって消えてしまうまで、さらに白くまっすぐにつづいています。その道を歩くのです。
 ここで私ははじめてユリの花をみることが出来ました。その一本のユリの花を手折ろうと、草はらに足をいれたとき、足は腐ったたたみでもふんだようにぬかってゆくのです。じゅッと汁が足もとからにじみあがって来ます。
 高いところも低いところもなく、草がきれたところには沼の水が光っているばかりの原野、それがサロべツ原野というところでした。
 牛も馬もいません。ですから農家一軒すらそこにはみえません。日本海とオホーツク海にはさまれた北海道の北のはずれの、おそらく海面と何ほどもかわらない高さしかない原野。すると、きっとどこかにオランダのような風車がまわっているのではないか、などということも夢想してみないこともありませんでしたが、そんなものは此処にはありません。一本の樹木が根を張ることさえゆるされない寒帯の湿地なのです。
 しかし足もとには丈低いユリ、アヤメ、センダイハギ、エゾキスゲなどが、懸命に花を咲かせているではありませんか。それが原野のあちこちに斑点になって群生しています。私は再び道にもどり、さらに一本の道をまっすぐに行って、その花の群落に近づいてみたりしました。

                     (河出書房新社 昭和五〇年三月)



   天北原野     三浦綾子

 ハマナスの花の一群が風に揺れている。その向こうに、七月の太陽にきらめく海があらわれた。砂山を登るにつれて、海は広くなる。登りきると、足もとは熊笹におおわれた崖で、眼下にハマベツの海岸部落があった。
     (中略)
 孝介はだまって海を見た。貴乃も並んで海を見た。遙か水平線に、黒い船影がひとつ二の字に見える。左手の海に眉毛島と呼ばれる天売・焼尻の島が眉のように並び、遠く右手の沖には、裾をひく利尻岳が、くっきりと海の上に浮かんでいる。輝く太陽の下にみどりの海が明るい。日本海に面する北国のこのあたりでは、七月が一番明るい季節なのだ。
     (中略)
 鬼志別駅は、浅茅野から稚内に向かって二つ三つ向こうの駅だ。汽車は十二時を過ぎなければ便がない。完治は矢も楯もたまらず、馬を仕立てさせると、猿払原野の真っ只中に飛び出したのだ。馬に乗るまでの間に、石山松茂が今年の春まで三年程戦争に行っていこと、今も独り身なこと、造材の山頭として腕が確かなことなどを完治は聞いた。
 宗谷支庁管内のこの猿払原野は、日本海側のサロべツ原野と共に、天北原野とも呼ばれている。天塩の国と、北見の国の一字ずつを取つた呼称である。
 原野はゆるやかに起伏している。丈低い榛の木、黄ばみはじめた落葉松、紅葉の木立が、ぼうぼうたる原野の所々に、僅かな変化と、色どりを見せている。見渡す限り一軒の家もない。
 完治は馬の尻に鞭をあてる。鞭の音がヒュッと、鋭い音を立てて空を切る。ススキが光り黄色い枯れ葦原がうしろへ走り去る。
     (中略)
 貴乃の目に涙が盛り上がった。と
「帰りましよう」
 孝介は貴乃の肩に手をかけた。貴乃は涙を見られまいとして、身をよじって西のほうに目をやった。と、地平線の彼方に、青い利尻岳が夕空の中にくっきりと浮かんでいた。
「まあ、きれいな山!」
 指さす彼方に、孝介も視線を転じた。利尻富士と呼ばれる、形よく裾を引いた利尻岳の肩に、ひとひらの夕焼け雲がかかっていた。
 利尻岳に目をやった孝介は、貴乃の涙に気づかなかった。
     (中略)
「稚咲内まで、海の夕日を見に行きますか、今日はきれいだと思いますよ、お貴乃さん」
「海の夕日?……でも、わたし、海の夕日は悲しくて……」
 この上、海の夕日を見るのは悲し過ぎた。今夜も、弥江は海の底に眠るのかと思うだけで今の貴乃には耐えられなかった。
 「今日はこの原野に沈む日を見ましょうよ」
 孝介はうなずいて、静かに歩みを返した。歩む彼方に、利尻の秀峰が、次第に紫に染められて行く。赤い太陽がぐんぐん傾いて行く。空の色が刻々と変わる。澄んだ青と、薄い黄色のまざり合った空に、茜色のベールをかけたような、仄かな色が、利尻岳の上にあった。
 貴乃はふと、戦争のあった日々も、樺太に生きていた毎日も、いや、人のまだ住まなかった太古の昔から、この原野には、毎年エゾカンゾウが一面に咲き、あの利尻富士はあのように美しかったのかと、深い感動を覚えた。この自然が美しくつくられていることに、貴乃は言い難い感動を受けたのだ。この与えられた自然にふさわしく、人間もまた美しくつくられたのではなかったか。
     (中略)
 そして、今もなお海のどこかに眠っている弥江の亡骸を思った。
 利尻岳にかかった雲が、夕光にいよいよ茜に映えて、それはもう荘厳とより言いようのない姿だった。ひどく静かだった。花原を吹いていた風も、いつしかぱったりと落ちて、この原野に、孝介と貴乃の只二人だけが立っていた。
 貴乃は今、死も生も忘れていた。それを超えた感動が貴乃の胸をつらぬいたのだ。半円の太陽みるみるうちに、原野の向こうの低い林に姿を消して行った。と、大空に斜めにかかった鰯雲が炎のように燃えはじめた。
                     (新潮文庫 昭和六〇年五月)



 
【 短 歌 】   

とめどなき流砂に似つつ雪はしる道はサロべツ原野に近く      村井  宏

つつぬけに声走りゆくサロべツの霧のさやぎを怪しみていぬ     大久保興子


【 俳 句 】

綿菅のサロべツ原野風の菅        石原 八束

黒百合に牛の体臭やりすごす       金谷 信夫

水芭蕉こゑ発すれば汚れけむ       岸田 稚魚

大夏野日を宙吊りに人佇たす       岡本  眸

夕焼に会ふ湿原のどまん中        大郷 石秋

サロベツ原野ここに生きてる青蛙     瀬戸冨美子

サロベツや風より低き白つつじ      飯川 久子


【 詩 】

   サロべツ原野  桜井勝美

まつ毛 霜 針金
クマの皮を着 ブシ矢を手に
はじめて この湿原をよこぎって行ったひと

羽交いじめの野鴨を
こしにつるし
ワタスゲの風のなかに立って
はじめて 星の位置を証かしたひと

はらの底から
サソリの冷えがしみとおってくる
この地衣の原野にのたうち
氷の泥炭をかじり
はじめて ヤブカンゾウの根をかみしめたひとよ
     (後略)
            (宝文社 詩集「桜井勝美詩集」昭和五〇年)