利 尻 島

利尻島を紹介します


アイコン 利尻島
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        新花の百名山「利尻岳」 田中澄江

  稚内から飛行機で礼文島に着き、礼文岳に登って翌日、鴛泊に着いて一泊。 早暁の午前二時に宿を出た。 稚内にもどる船は午後三時に出帆である。 十二時間だけの許された時間で、利尻の中腹にある長官山までゆ ければよいと考えた。
  かつて一人の北海道長官が、部下たちと利尻に登山し、長官山まで達 して引返したという。大変ふとっていたひとのようで、その志は称賛に値すると「利尻礼文国立公園昇格記念アルバム」に書かれている。 いつか加賀白山に登った時、某県知事某氏が、ヘリコプターで室堂の前の草地に到着したのに出あったことを思えば、肥満体を、この千二百メートルの地点まで持ち上げたことはたしかにえらい。私も七十キロ近い肥満 体である。 ここまで六時間と見て、あとはお花畑を散策し、健脚組が頂上から下山してくるのを待とうと思っていた。
 登りはじめたのは三時。足の弱いひとは四四七メートルのポン山と、 利尻火山の一噴火口のあとである姫沼湖畔一周のコースをえらび、私も まだ明けやらぬトドマツ、エゾマツの原生林の道を、懐中電灯の光を頼 りに歩きながら、とつおいつ迷っていた。今度の山旅では、いつもの女 ばかりの山仲間と、ニセコの目国内、樽前、夕張岳と登って来て、風邪 薬を乱用したせいか、脚力はなはだ覚つかない。 午前五時、夜も明けて、 姫沼との分岐点も過ぎ、原生林の闇から脱けた頃は、とにかく長官山までを目標として、意外に歩きよい山道を歩きすすめた。
 午前七時、長官山に辿りつく。だんだん道も急になって息あえがせながら、朝陽にかがやく長官山の頂きが樹間に見えかくれするのを、あそこまで、あの場所までと重い足を引きずりながら来て、いつかその頂き を背後にすると、忽然と眼の前に頂きから麓までの雄大な斜面をもつ利 尻本峰があらわれ、その山腹一ばいに、黄にいろどられた花々が遠望さ れ、一ぺんに疲れが消えてしまった。
アイコン 利尻島・礼文島

   
利尻島

 昭和49年9月20日利尻礼文サロベツ国立公園に指定、稚内西海岸のサロべツから利尻水道をへだてて約20qの洋上に浮かぶ、南北にやや長い円形の島の最北端・富士岬は、日本最北の地・稚内宗谷岬より30キロ南に位置しています。
 標高1721メ―トルの利尻山を中心とする現在の島は、今からおよそ200万年前、もともとあった島が火山活動によリ成長したもので、周囲約63q、面積はおよそ182.8平方キロとなっています。

   
利尻富士

見事な山容から利尻富士≠フ愛称がつけられている標高172lメ−トルの利尻山。春は周囲の新縁と残雪のコントラスト、夏は 山麓から山頂への明確な樹木の分布帯をみせ、秋には鮮やかな紅葉、そして冬に純白の衣をまとうこの山は、観光客、登山客、そしてここ に生活する人々全てに「楽しみと自然の恵み」を与えて<れるかけがえのをい利尻島のシンボルです。
○鴛泊ル−ト〔9キロ・登リ5時間 3O分〕
最初は平坦なトドマツの森林で、5合目付近から本格的な登りとなります。長官山までくると展望も良く、この後頂上までは尾根 づたいの楽な登りです。
   ○沓形ル―ト〔9キロ・登リ5時間30分〕
5合目の見返台公園が入口ですが、ル―トは中級向き.登山口7合目の避難小屋までは楽な登りですが、9合目の三眺山からは尾根 づたいの急な登りとなりガケ崩れ跡の岩場を横断すると鴛泊ル―トに合流します。
●鬼脇ル−ト
厳しい気象条件からコ−スの崩壊が激しく 、登山ル−トも今は9合目から通行禁止となっています。

   
○利尻島と礼文島の成り立ち

 礼文島と利尻島は、非常に近い距離にありながら、互いの地形と地質はまった く異なっている。礼文島は、南北にのびた平坦な地形であり白亜紀〜新第三紀中 新世に、海底で堆積した砂岩や泥岩、火山岩の地層から構成されている(図)。
このうち、白亜紀の地層は、礼文岳を中心とした島のほぼまん中に露出し、最 も古い地蔵岩周辺の泥岩からは、約1億1150万年前のものとされるアンモナ イトが見つかっている。新第三紀中新世の地層は、主に海底火山の残骸からなり、 北部のスコトン岬や南部の知床に露出している。とくに桃岩は、約1300万年 前にマグマが海底下で固結したもので中心部に放射状や同心円状の節理が見られ ることで有名である(写真一)。
 また、礼文島が南北方向にのびているのは、島の骨格をなす白亜紀の地層が南 北方向に褶曲したためで、この褶曲が地層を直立させ、地蔵岩のような景観を生 み出している。一方、利尻島は、魔女の帽子のような尖った形であり、大部分が 第4期に陸上で噴火した火山噴出物がら構成されている。(図)。
噴火前にあった古い島の痕跡は、鴛泊ポン山や、北部の海食崖に見られるだけ である。火山体は浸食を受け、山の上部には、かってのマグマの通路だった場所 が突出して残り、ローソク岩などとよばれている。
 また、島の北と南山麓には、ベシ岬やポンモシリ島の溶岩ドーム、仙法志ポン 山や鬼脇ポン山のスコリア丘などといった側火山が点在している。
 利尻火山の活動時期は不明な点が多いが少なくとも13万年前には活動を開始 し、約8000年前には活動を終息したと考えられている。つまり、礼文島と利 尻島の地層は、白亜紀〜新第三紀VS第四紀といった形成年代と、海底VS陸上 といった形成場所が異なっておりこれらの違いは両島の地形の違いに反映してい る。
          北海道大学大学院理学研究科 石塚吉浩