大相撲とオリンピック

Saturday, February 7, 1998


 こう言っては大変失礼だが、貴乃花は実にタイミングよく風邪をひいたものだ。

 初場所、まるであの 「みかん星人」 のような、腫れぼったい顔でポロポロと負ける貴乃花を見て、 「こんなに強い人でも、風邪をひいて調子が悪いことがあるんだな。」 と、スポーツにあまり自信のない私は、妙なところで安心して見ていたものだが、実はそれ以上の意味があった。

 長野オリンピックの開会式。冬季オリンピックに、なぜウィンタースポーツでもない大相撲が登場するのか、という素朴な疑問が生じて当然だが、おそらく相撲協会が、何年か先の夏の大会への正式種目入りを目指して、日本の伝統的スポーツ "SUMO" の宣伝を兼ねて協力した、というのが本音ではないかと推測する。

 私も何気なく開会式の様子を見てしまったが、日本の伝統をテーマとした、なかなか凝ったセレモニーであった。長野・諏訪地方の伝統的な祭りで使われる 「木遣り歌」 と、入場ゲートに見立てた 「御柱」 の行事の後に、力士たちが登場して、巨大なセンターステージでの 「土俵入り」 を披露した。

 さて、横綱の土俵入り。本来は、東の正横綱である貴乃花が披露する予定になっていたというが、先に述べたように、風邪のため途中休場で入院してしまったので、しかたなく、西の正横綱であるが披露する事になった。


私が思うに、ここはで大正解だったのではないだろうか。

 大相撲は、たしかに日本の伝統的なスポーツと言っていい。しかし同時に、伝統にありがちな 「閉鎖的」 というマイナスイメージが、どうしても伴っている。同じ伝統的なスポーツの一つである柔道が、東京オリンピックを契機にいまや世界の "JUDO" となり、国際大会も頻繁に行われるのに比べ、大相撲はまだまだローカルスポーツにとどまっている。

 その閉鎖性を打破するきっかけとなるのが、かつての大関・高見山 (現・東関親方) であり、先ごろ引退した元大関・小錦であり、そして、外国人として初めて最高地位に昇りつめた横綱・であろう。また、これも実にうまい具合に、初場所で優勝したのは、大関・武蔵丸であった。


 オリンピックの開会式は、全世界にテレビ中継されている。本当かどうかは知らないが、世界中で100億もの人々が見るのだという。 そこでもし、開会式で土俵入りを披露したのが、当初の予定通り、横綱・貴乃花であったら、世界中の人々に与える印象はどうだったであろう。 「やはり大相撲は日本の伝統であって、日本人だけのスポーツなのだ。」 と思われたのではないだろうか。

 だが実際は、日本人でない横綱・が、日本の伝統的なスポーツの頂点に立った男として土俵入りを披露した。外国人というだけで、の横綱昇進に懸念を示したと言われる人達にとっては、まさに屈辱の瞬間だったろうが、おそらく世界の大多数の人には、「 "SUMO" はいまや、広く開放されたインターナショナルスポーツになった。」 という好印象を与えることになったのではないだろうか。

 貴乃花は、まさに最高のタイミングで風邪をひき、日本のスポーツの国際化に、かけがえのない貢献をしてくれたものだと思う。


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