この日「変な食べ物のコーナー」から沢田研二氏がゲストだった。
ニラ納豆豆腐なるものを作ると部屋が雑巾の香りで一杯になるなどの沢田氏の話題やら、
コンサートツアーの東京公演は評論家の人たちが一杯来るからイヤだと、東京の公演だけ観て
ツアー全部観てきたような書きかたするからイヤだと、そんなことを冗談交じりに話していた。
2時を回りゲストコーナー終了後、すぐに長髪の沢田研二氏が玄関から出てきた。 玄関前に居たのはたしか僕一人、昔からわりと好きだったので思わず立ち上がって 「握手してください」と言い握手してもらった。 二ヶ月前ラジオでうまいとほめてもらったのがいけなかったか、実はこの日から僕は中島さんの絵を描いて持ってきていた。 絵といっても普通のスケッチブックの画用紙にペンで輪郭を描き、絵の具で濃淡をつけただけのもの。 それを田宮のプラ板にセロテープで貼り付け、さらに上からサランラップでカバーをしてぱっと見た感じは それなりにいいものに見えるようにした。それを白い封筒に入れて中島さんに渡そうと持っていた。 なんてことはない、これが僕の次なる行動である。 歩道あたりで中島さんを待つ。写真を撮る意志は毎週あったので首からカメラを下げて待っていた。 午前3時を回り放送が終わって何分も経たないうちに中島さんが玄関から出てきた。 こんなに早くに出てきたのは自分にとっては初めてであったが、もうこの頃は東京無線のタクシーが二台迎えに来て、 マネージャーらしき人が玄関から出てきてタクシーを確認したらそろそろと知っていたので 一応ではあるが心の準備ができるようになっていた。 玄関を出たすぐのところで泣きながらサインを懇願する女の子が居たようだ。 どこそこから来ましたと頼む女の子、なんとサインをしてあげる中島さん。 泣き声でありがとうございましたと礼を言う女の子、中島さんは無言である。 タクシーに向かう中島さんに絵を渡そうとするがやはりこの時期人は多く手渡すことができなかった。 中島さんがタクシーに乗る際は必ず中島さんが先に乗りこみ、マネージャーが座るために中島さんは奥に詰める。 車の両側から乗り込むとか助手席にマネージャーが乗る、ということは一度も無かった。 思わず、中島さんが奥に詰めて空いた座席に絵をほうり投げるしかなかった・・。 あんなの中も見ないだろうな・・・と思いつつ。 |
この日の中島さん、右手の人差し指にギターの弦で切った傷があるという。
甲斐バンドのラストパーティに出演し一緒に弾いて一曲歌ってきたという。
デビュー時期が近いという彼らの1976年10月に発売された『ガラスの動物園』というアルバムを
聴いて当時の中島さんはぶっとんだという。はっきり言って嫉妬しましてね、と中島さんは述懐する。
番組の最後の曲はこの日だけ甲斐バンドの『破れたハートを売り物に』だった。 最後の曲に中島さん以外の曲がかかったのは後にも先にもこれ一回限り、 中島さんの甲斐氏に対する思いのようなものが伝わってきて 当時の僕はなんだか解らないまま猛烈な不愉快感を味わっていた。 この頃のハガキの常連ともいえる中島亭小みゆきがこの日玄関前にやってきた。 当然彼がそう名乗ったからわかったわけだが、名前は僕も知っていたのでかなり驚き、 根掘り葉掘り色々と訊いた記憶がある。 中島さんが彼のハガキを読む際に「かにゃがわけんえびにゃし」と言ってるのだが どういう風に書いてるのか等々。 後はこちらの知りうる限りの玄関前の情報を彼に教え、二人で玄関前で記念にと写真を撮ったりした。 午前3時20分か30分頃に中島さんは出てきた。胸にその頃の新曲の「あたいの夏休み」にちなんだあたいバッチを つけている。プロモーションビデオの映像の中にある絵をそのままに「あ」と「鯛」で「あたい」。。
出てきた中島さんに人が群がる。プレゼントを渡す人等にまじり中島亭小みゆきが大声で言う。 (中島亭小みゆき)「みゆきさん握手して」 と握手券を見せながら言ったものの気づいてもらえず。もう一度言うが気づいてもらえず数歩歩いた後 (中島亭小みゆき)「みゆきさん握手券」 と見せやっと中島さんが気づき、 (み)「あらあらどうも」 すかさず (中島亭小みゆき)「小みゆきです」 と名乗る小みゆき (み)「あ。あ、どうもどうも」 一応気づいた様子の中島さん (中島亭小みゆき)「どうもどうも。」 (み)「こんちは」 またすかさず (中島亭小みゆき)「お中元ですこれ。お中元」 (み)「お中元ですか(笑)」 何を渡したのか失念。
(玄関少年C)「赤いカード作りませんかーだって」 こうして書くとえらくのんびりとしてるように見えるが 実際玄関に居る人達はこの時を逃すかとばかり殺気立って焦りまくりだったりする。 僕もそうだったかもしれない。特に中島さんが玄関を出た瞬間が一番大騒ぎになりがち、もっとも常連さん達は別。 玄関前の本当にまん前の木によりかかって酔っ払ってゲロを吐いている常連さんの一人を見たのはこの頃だろうか・・。 | |
しかしやはり毎週のように中島さんが行ってしまったあとには虚無感だけが残った。 |
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