「しかし、ソクラテスが提出したのは、世界や自己に理性が内在するという考えではなくて、「対話」を通過したものだけが理性的だという考えである。対話を拒否する者は、どんな深遠な真理を把握していようと、非理性的(非合理的)である。世界や自己に理があるかどうかは、もはや問題ではない。対話を通過した言説(仮説)だけが、合理的である。理性的であることは、他者との対話を前提すること自体なのである。

数学的な記述だけが科学的だと思い込んでいるような人々がいる。しかし、たとえば、ユークリッドの原理において、公理は直観的な自明性ではない。それは、対話における約束である。同一律(AがAであること)とは、いったん決めた約束を議論の過程で変更しないということを意味する。ここでは、数学が特権的な確実性を与えられていない。数学そのものが「共同体の吟味」にかけられている。この意味で、ユークリッドは、ピタゴラス−プラトンではなく、ソクラテス−プラトンの徒で ある。」

(柄谷行人「探求II」p. 255)


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