「<それ>は作動している。ときには流れるように、ときには時々とまりながら、いたるところで<それ>は作動している。<それ>は呼吸し、<それ>は熱を出し、<それ>は食べる。<それ>は大便をし、<それ>は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらをひとまとめに総称して<それ>(※フロイトのエス)と呼んでしまったことは、何たる誤りであることか?

いたるところで、これらは種々の諸機械なのである。しかし、決して隠喩的に機械であるというのではない。これらは、互いに連結し、接続して、[他の機械を動かし、他の機械に動かされる] 機械の機械なのである。」

(G.ドゥルーズ/F.ガタリ「アンチ・オイディプス」p. 13)

 かような視点から主体を再定義し、オイディプス構造によって自らに抑圧を埋め込まれた主体と、そこからの解放の可能性を描いたのが、この「アンチ・オイディプス」である。


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