レンズのはなし

やはり写真はレンズで決まりますいくら高級なボディーでも、サードパーティーの変なズームレンズじゃ、たかがしれてしまいます。「よく撮れればいい」のよくの解釈の相違が結構大きな問題です。まあ何がしたいのかよく解らずに撮影している人がほとんどですから、大きな問題でもないのかもしれませんが、撮影に当たっての気持ちのもって行き方を大切にしている私ですから、道具としてのデータ上の性能より、気分的な、直感的な部分を大事にしています。

ま〜これで食っていますから・・・、当てにならないにしろこんな奴の一人や二人貴重でしょう。

特に大判用(4×5もしくは8×10)に使っているレンズはかなり古いものが多いです。1900年代前半のテッーサーやもっと古い物もいい味をだしてくれます。

ちょっとライカ君
世間一般みんなライカ、ライカと騒ぐので一時期ほとほといやにもなりかけたのですが、やはりいい物はいいです。
とくに、レンズの豊富さは何ともいえない魅力です。機材としてのライカよりも、バックボーンにあるドラマ性や本体の機構に話がいきがちですが、ライカに着けられるレンズたちには今のレンズでも太刀打ちできない物もあります。好き嫌いの問題だとか、やれチャートでは、という問題ではなくもっと生理的にすばらしいものです。
よく、水の話をするのですが、おいしい水はアルカリだとかミネラルだとかいわゆる不純物によっておいしく感じさせてくれます。これの全く入っていない蒸留水などは生理的に受け付けないのでは無いでしょうか。たぶんその不純物の入り具合が旨さ・味でしょうか、これはほかのレンズにも全般的に共通する見解です。
だいたい、ライカ純正もおもしろいのですが、愛用している35mmと20mmはルサールという、ロシア製(?)のレンズですし、座談会や教会での結婚式などで大活躍する85mmは旧東ドイツのゾナー型です。これらは、あたりはずれがとてもとても多いのですが、所有している物は絶好調です。