『クジラは食べていい!』読後所感

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00/04/01

『クジラは食べていい!』(小松正之、宝島社新書)読了。

水産庁漁業交渉官として IWC(International Whaling Commission=国際捕鯨委員会)の日本代表代行などをつとめる著者が、国際捕鯨取締条約をないがしろにする IWC の議事や、捕鯨を悪辣な手段で妨害し続け、IWC 財政委員会にまで入り込もうとする環境団体の実態、科学的根拠を踏みにじった感情論による偏った保護で増えた鯨に浸食されつつある水産資源の危機などを訴えています。

思えば環境保護団体「グリーンピース」の名前を初めて知ったのは今から二十数年前、題名は忘れたけど豊田有恒の書いた SF 短編小説でした。主人公の友人が鯨絶滅の危機を訴え、欧米ではグリーンピースという環境保護団体が鯨を救うための活動を始めている、と教えて消息を絶つまでが前半部分。後半は鯨を絡めたドラマになるのかと思ったら、一転してその友人が未来人からのメッセージを受け取ったという話になっていく。

生物のプロトタイプという概念を持ち出し、トリケラトプスは犀のプロトタイプ、イクチオサウルスは海豚のプロトタイプ、などと、ある生物の完成形が出現する前にはそれにかなり形状や性質の似たプロトタイプがいることが多く、またプロトタイプは完成形出現前には滅びる運命にあると前振りしたあと、現世人類は遙か未来に現れる海驢あしかから進化するアシカ人とでも呼ぶべき存在のプロトタイプであり、遠くない将来滅びる運命にある、もう鯨の絶滅どころじゃない、てな話だったと記憶しています。

たしか収録されていた本には、グリーンピースでは鯨が愛すべき動物であることを訴えるために「ザトウクジラの歌」のレコードを出しているので、欲しい人は連絡するといい、とかなんとか。

ちなみに、グリーンピースのものと同じレコードかどうかはわかりませんけど、「ザトウクジラの歌」のレコードを知ったのはそれよりさらに数年前。さきごろ亡くなったチャールス・M・シュルツの「ピーナツ」を掲載した『SNOOPY』という雑誌が出ていたのですが、そのなかの新譜紹介コーナーで紹介されていました。いっしょに紹介されていたのは「大忠臣蔵」とか「ロック・アラウンド・ザ・ワールド」だったかな。

で、豊田有恒の小説に、ピグミーシロナガスという新種の鯨がいるというでたらめを日本が主張したとか書いてあったこともあって純真な単純な私はすっかりグリーンピースを信じてしまったのですが、それがなんだか怪しくなってきたのがオリビア・ニュートン・ジョンだったかの毛皮コート事件。動物愛護を訴える世界的に有名な歌手が、こともあろうに毛皮のコートを着ていて大顰蹙を買ったのですね。

そして決定的だったのは長崎県壱岐の漁民による「イルカ大量虐殺」と呼ばれた事件。あのときに環境保護団体や動物愛護団体などのメンバーのとった行動はまったく信じられないものでした。なにしろ彼らの主張を要約すると、海豚の命のためなら日本の漁民の生活なんぞどうなってもかまわない、というものだったのですから。

それがきっかけとなって知ったのは、欧米の環境保護団体や動物愛護団体の基本姿勢はむかしキリスト教を世界中に広めた征服者たちと同じだということでした。つまり、彼らと同じ信仰と文化を持たないものは「野蛮人」なのです。まあなかにはきちんとした活動をしているところもあるのでしょうけど、マスコミなどで紹介されるのはどちらかというと狂信団体にしか見えないような連中ばかりでした。

いわく「鯨を食べるのは野蛮だが、牛は人間の食べものとして神が創造した生き物だから食べていい」、「海豚のために魚が少なくなったなら、魚を食べるのをやめればいい」、「海豚や鯨は賢いから殺してはいけない」などなどなど。早い話が、自分たちの文化や習慣にないものを認めないだけのことです。

そんななか、20年ほど前に NHK で架空対談番組「鯨を食べてなぜ悪い」が放送されました。日本の水産関係の学者だったかと反捕鯨を進めようとする欧米の団体だったかの代表が、ビデオの編集であたかも直接対談しているかのように作った番組です(詳細忘却)。

感情論だけで反捕鯨を訴える外国人をあいてに、科学的根拠や正当な論旨でもって理詰めでやりこめる日本人関係者に快哉を叫んだものでした。

しかし、世を挙げての環境保護の気運はどんどん高まり、そのシンボルに祭り上げられた海豚・鯨の保護もまた力を付けていって、とうとう1986年には商業捕鯨が禁止されてしまいました。

文化の行き着くところとしての食を考えるという謳い文句の『美味しんぼ』(雁屋哲、花咲アキラ、週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)連載)も、環境保護団体の欺瞞を暴き、鯨資源の回復を訴えていました。けれど敵もさるもの、氷山に閉じこめられた鯨の親子を米海軍の潜水艦が救出する映像を世界中に流されては、いかに世界に名だたる日本の MANGA も太刀打ちできるものではありません。

はてはとうとう日本の海岸に打ち上げられた鯨を食べもせずに日本人自身が埋めてしまうという愚挙。あれだけの肉をアフリカで飢餓に苦しんでいる人たちに送ったらどれだけ喜ばれることか。いや、冗談ではなくこの『鯨は食べていい!』の著者は、今後の世界人口を支える食料は、家畜を殖やすために森林をつぶすのでは環境のためにもよくないから海洋資源に求めるべきだ、と主張してもいるのです。鯨肉は地元で処理しなければならないというなら、売りさばいてその収益金を寄付してもよかったわけですが。なんにしても食べ物を粗末にしてはいけません。

IWC の科学委員会で認められているミンク鯨の数は76万頭で毎年4〜7%ずつ増えていて、年間3万頭を捕獲しても資源的に問題ないらしい。鯨3万頭からとれる肉は牛30万頭に相当するそうで、30万頭を食肉として利用するためには100万頭以上の牛を飼わなければならない。貴重な森林を切り開いてそれだけの牛を飼える牧場にするのと、自然に増えるミンク鯨を捕って食糧にするのとはたして環境のためにはどちらがいいでしょうか。

現に偏った保護で増えた鯨によって魚が大量に食べられているという情報もこの本で紹介されています。となれば、海産資源の保護のためにも肉の利用のためにも鯨を捕るのは理にかなっています。FAO(国連食糧農業機関)によると世界人口60億人の現在でも世界で8億人以上が栄養不足の状態だそうで、100億に達するといわれる50年後にはさらに厳しくなるのは必至。利用できるものはなんでも利用しなければならないというのに、健全な鯨資源に手をつけさせない反捕鯨勢力というのは犯罪的ですらあります。


この本に書かれている今の IWC の会議は、どんなくだらないことでも難癖を付けてとにもかくにも捕鯨再開を先延ばしにするために反捕鯨国が腐心しているという状況のようです。捕鯨再開に理解を示す国も以前に比べれば多くなってもいるそうだし、今年シドニーで開かれる総会には初めてテレビカメラも入るということで、すこしは風通しのいい議論が期待できそうです。

また、この本で初めて知ったのですが、これまで IWC 総会は、環境保護団体は反捕鯨国が許可を与えていたから出入り自由なのにプレスは立入禁止、という状態だったそうです。で、会議が終わると議場の中にいた環境保護団体がプレスを取り囲んで会議の状況を(自分たちに有利なように)説明していたらしい。じつになんともたいした国際会議です。

さらに、この本の中にアフリカのある国で起こったできごとが紹介されています。4カ国ほどで像が増えすぎて困るので、増加分だけ殺して間引きたいという話になったところ、環境保護団体がやってきて、殺すことはまかりならん、でも増えすぎて困るなら、とアフリカ象に不妊のための注射を打っていったそうです。

野生動物をペット扱い。じつに人道的、合理的な話ですね。野生動物を守るのも増やさないのも自分たちの思い通り、さぞかし気分がいいことでしょう。動物愛護団体、環境保護団体なんぞはうさんくさいものだという思いが一段と強くなりました。

この本を読む限りは全面的な捕鯨禁止に科学的根拠はありません。となればこれは、自分たちに納豆を食べる習慣がないのを理由に、納豆を食べるのは野蛮なことだ、と主張しているようなもの。

あるいは、自分がたばこを吸わなくなったとたんに、たばこは健康に悪いし周囲への迷惑にもなる、と喫煙かを糾弾し始めるのとちょっと似ているかもしれません。なにしろ、反捕鯨国の中には昔は日本なみかそれ以上の捕鯨国だったのに、鯨油の代替物がでてきて捕鯨が産業として成り立たなくなってから反捕鯨に走った国もあるのですから。

もっとも、著者の我田引水が全然ないというわけでもなくて、たとえばこの本が出たあとで行われる予定の CITES(日本では通称ワシントン条約)会議で鯨類の一部をリストから外そうという投票についてかなり希望的な予想を述べていますが、結果は「鯨のことは IWC に任せよう」でした。少し前からいい雰囲気になってきていたらしいこの会議においても「鯨は別問題」みたいな結論になってしまったのです。

私自身はこの本を読む前に CITES の議決結果を知ってがっくり来ていたので二重に残念な思いをしましたが、結局はこの本の著者が主張するように科学的根拠のあるデータに基づいた正しい意見を地道に説き続けるしか方法はないのでしょう。

食糧自給率の極端に低い我が国の将来にも関わる話です。捕鯨に賛成の人も反対の人もぜひ一度読んでみてください。


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp