京都市に対する要望書

第一勧業銀行への要望書

東京三菱銀行への要望書


1998年8月25日

京都市長 桝本頼兼 様

京都の近代建築を考える会

代表 蓮佛 亨

第一勧業銀行京都支店及び東京三菱銀行京都支店

の全面保存と活用に関する要望書

 

日々、私たちは、まちにある、より古い時代がらの建遺物とともに、多くの近代建築物を通じ、それぞれが生きた時代やその地域を背景に、歴史、記録、景観等を感じ、様々な思いを実感してきました。今、私たちが自らの生浩の豊かさを実感するには、私たちの住むまちの在りようを抜きに考えることはできません。私たちめ生活の向上に伴い、地域の文化伯環境の充実が望まれることは明らかであり、ますます時代をこえて存在し続けてきたストックヘの着目が強まることが考えられます。

京部は大きな自然災害や戦災にあわなかったことで近代逮築の宝庫といわれていますが、特に芙用的な性格を有する領向の強い近代建築物にあっては、機能上の問題を中心にその存在が危ういものとなっており、点部のまちの近代建築も、毎年、その娑を消しでいる状況があります。

私たちは、1906年(明冶39年)に竣工した第一勧業銀行京都支店(中京区烏丸通り三条下る饅頭屋町)建物と1925年(大正14年)に唆工した東京三菱銀行京都支店(下京区四条鳥九東入長刀鉾町)建物が、京都にあり続けてきた近代建築として、非常に大切な建物であると考えてきました。また、そめ存在は私たちの誇りでした。

ですから、私だちは、第一勧業銀行京都支店と東京三菱銀行京都支店の建物建替えという報道(1998年6月24日付日本経済新間、1998年7月20日付朝日新間)に、非常に大きな驚きと落胆の気持ちをもって接することになりました。

私たちは、70〜90年余年存在し続けてきたこの建物の姿を、私たちの生活において常に親しんできており、そして今、私たちはこれらの逮物が、歴史的文化的な存在であり、失ってはならない風景として深く認識することから、京都のまちの都市景観形成に関して責務を坦う貴市におがれましては、下記について棺導をされますよう強く要望するものです。

 

1.第一勧業銀行及び東京三菱銀行京都支店建物の全面保存

2.三条通、烏丸通の景観維持

3.あらたな活用による建物の価値の創出

 

<理由>

1.後世に送り届けたい建物であること。

(1)第一勧業銀行京都支店

1906年(明治39年)に竣工したこの建物は、近代日本の建築界の巨人といわれ、東京駅や.日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾の作品によるものです。辰野金吾の作品は、京都には、当建物の他に、旧日本銀行京都支店(現・京都文化博物館 明治39年)、北国銀行京都支店(大正5年)があります。今なお、これらの建物が、完全な姿で私たちの住む京都に存在することは、私たちの誇りでもあります。第一勧業銀行京部支店建物の外観は、辰野式といわれる赤煉瓦と花崗岩で構成される外壁と緑色の屋根が、際立って美しく、銀行建築の格式と見事に調和しています。

ほぼ同時期に建築築された旧日本銀行京都支店(現・京都文化博物館)が、国の重要文化財に指定されており、既に、明治期に建てられた殆どの建勿が美の財産として位置付けられている状況をみても、当建物がそれらにふさわしい価値を有することは確かなことであると考えられます。

 

(2)東京三菱銀行京都支店

1925年(大正14年)に竣工したこの建物は、辰野金吾門下の桜井小太郎(明治3年−昭和28年)の設計によるものです。桜井小太郎の作品には、今はその姿を失いましたが、三菱銀行本店や丸の内ビルヂング他があります。現存する東京三菱銀行京部支店は京都における大正・昭和戦前の銀行建築を代表する建物で、平板な外観意匠は、従来の傾行建築の様式とは異なり、大正期にヨーロッパから入ってきた新様式を積極的に取り入れたものとして、特徴のあるものとなっています。

 

(3)第一勧業銀行京部支店及ぴ東京三菱銀行京都支店建物はともに、数多くの専門家により「建築学的に貴重な建物である」と高い評価がなされており、日本建築学会が全国の建築学的にみて貴童な建物をリストアソプした、『日本近代建築総覧』(技法堂出版社 1980年)にも取り上げられています。

 

2.後世に送り屈けたい景観であること。

(1)三条通は、近代京都の中心として発展しました。ここには様々な都市施設がつくられ、今も明治の文明開化の面影を残しでいます。京都市は、平成7年に第一勧業銀行運物を含んだ三条通を、『良好な都市環境の形成及ぴ保全に資するとともに、当該景観を将来の世代に継承する』ことを自的として、「界わい景観整備地区」に指定しました。大さな自然災害や戦災にあわなかった京都は、近代建築の宝庫といわれていますが、この三条通はまさしくその象徴といえます。伝統和風建築とともに、ひとつひとつの近代洋風建築の存在こそが、界わいの潤いを醸し出し、景観をつくりだしています。

 

(2)四条島丸を中心にして烏丸通は、京都の金融街といわれたように多くの銀行があり、今も、明治・大正・昭和にかけて建てられた銀行建築をみることができ、往年の繁栄を窺うことができます。京都市は、平成7年に東京三菱銀行京都支店建物を舎んだ鳥丸通りを、『良好な都市環境の形成及び保金に資するとともに、当該景観を将来の世代に経承する』ことを目的として、「美観地区」に指定しました。

この数年来、明らかに鳥丸通の銀行建築は人知れず姿を消しています。

当建物は、四条鳥丸の歴史的文化的存在として、その核となっている建造物であり、その姿を矢うことは、後世へ送り届けようとする「美観地区」を失うことでもあります。

 

3.有効な建物の活用により、後世の人々に送り届けたい建物であること。

近代建築物の保存については、現在もファサードのみを残す風潮が強く、それは残念なことに各地の多くの事例においてみられるところです。これは既存の建物の価植を尊重したものでなく、新たに構築された建物は、単に析哀物に過ぎず、そこには歴史的文化的な価値を有する本物の建物の存在はありません。建替え理由とされる「老朽化・機能低下」という現状を、折衷物で塗り替えるのではなく、時代を経た歴史的文化的に価値の高い建物を積極的に保全し、再活用することで、まちの魅力の核であり続けて欲しいと願っています。

 


 

1998年8月25日

(株)第一勧業銀行本店

頭取 杉田 力之 様

京都の近代建築を考える会

代表 蓮佛 亨

第一勧業銀行京都支店の全面保存と活用に関する要望書

 

私たちほ、京部が、幕末明治維新を経て近代を築いてきた歴史を、今なお現存する様々な当時の施股により知るこどができます。それらの施股の多くは文明開化の象徴でもある近代洋風建築によってその機能を果たすことになりました。しかし、時代や価値観の変遷を経て、特に実用的な性格を有する傾向の強い近代建築物は、主として機能上の問題を中心に、その存在が危ういものとなっており、京部のまちの近代建築物も、毎年、その姿を消している状況があります。

私たちは、まちにある、より古い時代からの建造物とともに、多くの近代建築物を通じ、それぞれが生きた時代やその地域を背景に、歴史、記録、景観、物語等を感じ、様々な思いを実感してきました。今、私たちが自らの生活の豊かさを実感するには、私たちの住むまぢの在りようを抜きに考えることはできません。私たちの生活の向上に伴い、ますます地域の歴史的・文化的環境の充実が望まれることは明らかであり、ますます時代をこえて存在し続けてきたストックへの着目が強まることが考えられます。

 

私たちば、1906年(明治39年)に竣工しだ第一勧業銀行京都支店(中京区鳥丸通り三条下る饅頭屋町)の建物を、近代京部の歴史を体現する貴重な近代建築のひとつとして、非常に大切なものであると考えてきました。ですから、私たちは、貴社所有の第一勧業銀行京部支店の建物建替えという報道(1998年6月24日付日本経済新聞、1998年7月20日付朝日新間)には、非常に大きな驚きと落胆の気持ちをもって接することになりました。

私たちは、三条鳥九南西角こ、90余年存在し続けてきたこの美しい建物の姿を、私たちの日々の生活において常に親しんできました。今、私たちが第一勧業銀行京郡支店建物の在りようについて述ぺるのは、この建物が、歴史的・文化的な存在であることを深く認識することによるものです。

私たちば、この建物の現地での全面保存とその有効な活用に関し、深甚なるご配慮を心から要望いたします。

 

<理由>

1.後世の人々に送り届けたい建物であること。

1905年(明治39年)に竣工したこの建物は、近代日本の建築界の巨人といわれ、東東駅や日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾の設計によるものです。辰野金吾の作品は、京部には、当建物の他に、旧日本銀行京都支店(現・京部文化博物館 明治39年)北国銀行京都支店(大正5年)があります。今なお、これらの建物が、完全な姿で私たちの住む京都に存在することは、私たちの誇りでもあります。第一勧業銀行京都支店建物の外観は、辰野式といわれる赤煉瓦と花崗岩で構成される外壁と緑色の屋根が、際立って華麗で美しく、銀行建築の格式と見事に調和しています。

当建物ば、数多くの専門家により「建築学的に貴重な建物である」と高い評価がなされており、日本建築学会が全国の建築学的にみて貴重な建物をリストアップした『日本近代建築総覧』(技法堂出版社 1980年)にも取り上げられています。

ほぽ同時期に建築された旧日本銀行京都支店建物(現・京都文化博物館)が、国の重要文化財に指定されており、既に、明治期に建てられた殆どの建物が美の財産として位置付けられている状況をみても、当建物がそれらにふさわしい価値を有することは確かなことであると考えられます。

 

2.後世の人々に送り届けたい景観であること。

三条通は、近代京都の中心として発展しました。ここには様々な部市施設がつくられ、今も明治の文明開化の面影を残しています。京部市ほ、平成7年に第一勧業銀行建物を含んだ三条通を、「艮好な都市環境の形成及ぴ保全に資するとともに、当該景観を将来の世代に継承する」ことを目的として、「界わい景観整備地区」に指定しました。大きな自然災害や戦災にあわなかった京都は、近代建築の宝庫といわれていますが、この三条通はまさしくその象徴といえます。伝統和風建築とともに、ひとつひとつの近代洋風建築の存在こそが、界わいの潤いを醸し出し、景観をつくりだしています。

 

3.有効な建物の活用により、後世の人々に送り屈けたい建物であること。

近代建築物の保存については、現在もファサードのみを残す風潮が強く、それは残念なことに各地の多くの事例においてみられるところです。これは既存の建物の価値を尊重したものでなく、新たに構築された建物は、単に析衷物に過ぎず、そこにほ歴史的・文化的な価植を有する本物の建物の存在はありません。建て替えの理由とされる「老朽化・機能低下」という現状を、折衷物で塗り替えるのではなく、時代を経た歴史的・文化的に価値の高い建物を積極的に保全し、再活用することで、まちの魅カの核であり続けて欲しいと願っています。

 

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