白龍亭・八犬士比較データ表

目次 >> 情報整理(人物) >> 八犬士比較データ表(1996年 6月〜/2018年 11月 改訂再開)

* 資料性を考えて、表中の文字のみ旧字にしてある。

名前の変遷


里見家仕官以前里見家仕官以後
幼名通稱元服後改名僞名官位官名叙任後の呼名
親兵衞眞平大八犬江親兵衞仁


金碗宿禰從六位下兵衞尉親兵衞
莊助莊之助額藏犬川莊介(莊助)義任 *長狹介莊介(長狹莊介)*
大角角太郎(赤岩→犬村)*
犬村角太郎禮儀角太郎→大角
赤嵒百中大學頭大學
毛野毛野犬阪(犬坂)毛野胤智 *
旦開野
相模小猴子
放下屋物四郎

下野介下野
道節道松犬山道松忠與道松→道節寂莫道人肩柳
大出太郎

帶刀先生道節(帶刀)*
現八玄吉犬飼見八信道見八→現八

兵衞權佐 *現八兵衞
信乃信乃犬塚信乃戍孝
信濃介信濃
小文吾小文吾犬田小文吾悌順豐後介豐後

* 第九輯卷之四十八第百七十九囘中「是より後も謙遜して守介尉頭は各省て敢唱ず。就中忠與義任は後々までも猶只道節莊介とのみ喚せて官名を稱する事なし」との記述あり。
* 八犬伝の本文中に、兵衞佐との誤った記述個所あり。
* 印に関連する漢字には揺らぎがある。詳細以下別記。

[ 莊助と莊介 ]
・犬塚信乃と出会って武士としての名をつける時に、幼名の「莊之助」から之を省いて「莊助」とした。しかしこの頃は下男としての名前「額藏」が主として使われる。後に、庚申塚刑場から三犬士が荘助を救出する場面でも「額藏」である。救出後に「荘助義任と呼びたまへ」と言ってから表記が「莊助」に変わる。ここから荒芽山までは「莊助」である。
・次に登場する越後の場面から「莊介」になり、以後大団円まで「莊介」と書かれる。ゆえに全体としては「莊介」の方が登場回数が多いのではないかと思う。

[ 犬坂と犬阪 ]
・毛野は対牛楼の仇討ちで華麗に登場する。この時は「犬坂」である。
・次に毛野が登場する信州下諏訪の場面では「犬阪」に変わっている。以後大団円まで「犬阪」と書かれる。というわけで「犬阪」表記の方が圧倒的に多く登場する。

[ 赤岩と赤嵒 ]
・犬村大角の出身地にして元の名字でもある「赤岩」には異体字「赤嵒」も使われている。その使い分けは……。
・庚申山の妖猫物語の回では「赤岩」である。
・後に、大角が赤嵒百中という偽名を使う場面からは「赤嵒」となる。大角の子が故郷赤岩の郷士になる記述では地名も「下野國赤嵒」である。

[ 犬村と犬邨 ]
・犬村大角の養家のある犬村。これにも「犬村」と「犬邨」の二つの表記があるが……。
・人名としては全て「犬村」である。
・地名として出てくるものの一部が「犬邨」である。地名における「犬村」と「犬邨」の使い分けについては未調査。


犬士の證

 瑞玉の文字瑞玉の出現痣の位置
親兵衞左手から/母が幼い頃飲み込んだ脇腹
莊助胞衣を埋めようとした閾の下から
大角禮(礼)白山權現社頭の小石を取り寄せたら玉だった臀部・左の乳の下から腋 *
毛野南の空から母の懐に降ってきた右の肘から二の腕
道節左肩の瘤から左肩
現八七夜の祝いの鯛から右頬
信乃與四郎犬の體内から左腕
小文吾食初の祝いの赤飯から尻(左の股)

* 大角の痣については、第七輯巻之三第六十七回では「臀部」、第八輯巻之六第八十五回では「左の乳の下から腋」と記述されていて、矛盾している。


生年月日・生誕地等


生年月日生誕地生育地登場する場所
親兵衞文明七年十二月下總國葛飾郡市川下總國葛飾郡行徳の古那屋
莊助長祿三年十二月朔日(一日)伊豆國北條武藏國豐島郡大塚村長宅
大角寛正元年下野國赤岩下野國犬村下野國犬村と赤岩の間の返璧の庵
毛野寛正六年十二月相模國足柄郡犬坂相模國鎌倉 *武藏國石濱城内馬加大記邸
道節長祿三年九月戊戌の日武藏國豐島郡煉馬武藏國本郷圓塚山
現八長祿三年十月廿日(二十日)安房國安房郡洲崎下總國許我許我成氏邸内の芳流閣
信乃長祿四年七月戊戌の日武藏國豐島郡大塚
小文吾長祿三年十一月下總國葛飾郡行徳

* 毛野は芸人一座で育っているので鎌倉に定住していないと考えられる。


家族

 實父實母兄弟姉妹養父養母
親兵衞山林房八沼藺(小文吾の妹)

伏姫神女 *
莊助犬川衞二則任?(蜑崎輝武のいとこ)

大角赤岩一角武遠正香(犬村儀清の妹)牙二郎(異母弟) *
犬村蟹守儀清
毛野粟飯原首胤度調布(妾)粟飯原夢之助(異母兄)玉枕(異母姉)
道節犬山監物貞與入道道策阿是非(正妻)
濱路(異母妹)
現八糠助
犬飼見兵衞隆道
信乃犬塚番作一戍手束(兄三人赤子で夭折)

小文吾古那屋文吾兵衞
沼藺(妹)

* 表中「?」は、存在はするが名前が明らかでない人物。空欄は、存在しないことを意味する。
* 伏姫神女の下で育ったとはいえ、養母と呼べるかは微妙…。
* 牙二郎は偽一角の子なので、本当の一角の子である角太郎とは兄弟ですらなかった。


兩親との別離時の犬士年齡・數え年齡(滿年齡)---無印は死別

 實父實母生別實父の死養父養母
親兵衞四歳(2歳6ヶ月)同日

九歳(7歳2ヶ月)*
莊助七歳(5歳9ヶ月)七歳(6歳直前)
大角五歳(3歳?)五歳(4歳?)二十歳(18歳?)十七歳(16歳?)
毛野未生十三歳(11歳後半)
道節十九歳(17歳7ヶ月)四歳(3歳?)
現八二歳(1歳?)*二歳(0歳?)十九歳(17歳9ヶ月)十九歳(17歳後半)
信乃十一歳(9歳8ヶ月)八歳(7歳3ヶ月)

小文吾二十歳(18歳7ヶ月)*十八歳(16歳後半)二十一歳(19歳3ヶ月)

* 生き別れ。
* 伏姫神女の下を離れて俗界に出てきた時の年齡。


女性關係(+子供)


里見家仕官以前里見家仕官以後
許嫁其他里見義成の娘・八姫との結婚子供
親兵衞


靜峯姫(一之姫)二男一女
莊助城之戸姫(二之姫)一男二女
大角雛衣鄙木姫(三之姫)二男二女
毛野
女田樂師旦開野として小文吾と婚約小波姫(七之姫)二男
道節
竹野姫(四之姫)三男二女
現八栞姫(六之姫)三男一女
信乃濱路濱路姫(五之姫)二男二女
小文吾
女田樂師旦開野(實は毛野)と婚約弟姫(八之姫)二男二女

乗馬と佩刀


乗馬太刀短刀
親兵衞青海波
走帆
小月像伏姫神授の懐剣
莊助
小篠落葉
大角
赤岩一角の形見の短刀
毛野

道節

現八

信乃村雨
桐一文字(大)
桐一文字(小)
小文吾

* 佩刀に関しては、道節が一時的に「村雨」を所持していたり、小文吾が一時的に「小篠・落葉(雪篠の両刀)」を所持していたりと変遷がある。詳細は「八犬伝の名刀」参照。


里見家臣としての身分


里見家仕官直後の身分對關東管領戰論功行賞後の身分
親兵衞(上總)館山城主各々月俸五百口(安房)館山城主上大夫(おもかろう)
家老の上席
各々領地一萬貫文 *
莊助家老の下、兵頭の上
城主格
小長狹城主
大角御厨城主
毛野犬懸城主
道節朝夷城主
現八神餘城主
信乃東條城主
小文吾那古城主

* 二世八犬士は城地を返し「各城の守城の頭人、大兵頭、知行五千貫」となる。


里見家での役割(1)


京への使者對關東管領戰戰後滯陣(敵地)戰後滯陣(里見領内)
親兵衞正使防禦使 *
洲崎本陣
莊助
防禦正使(行徳口)今井河原柵 *
大角防禦使 *新井城(敵城占領・三浦家)
毛野軍師五十子城(敵城占領・扇谷家)
道節防禦使(水戰)忍岡城(敵城占領・扇谷家)
現八防禦副使(國府臺)
國府臺城
信乃防禦正使(國府臺)
小文吾防禦副使(行徳口)今井河原柵 *
備考副使:蜑崎照文
石濱城(敵城占領・千葉家):登桐良干
大塚城(敵城占領・大石家):小森高宗・木曽季元
鎌倉館(敵城占領・山内家):堀内貞住

* 親兵衞は、結果的に国府台での戦闘に参加したが、事前に担当区域を指定されてはおらず、名目上の「防禦使」でしかない。
* 大角も名目上「防禦使」ではあるが、実質の役割は間諜あるいは工作員である。
* 今井河原柵での滞陣は僅か。すぐに破却して安房に戻った。


里見家での役割(2)


施餓鬼の法會京からの使者への對應東西和睦の會盟
親兵衞舩施餓鬼の頭人/十二敗將の待客使御迎(安房→武藏→安房)
莊助饗應使
大角鎌倉-新井-浦河の頭人 誓書作成
毛野假名川-高畷の頭人案内(武藏→安房)正使
道節(施行の頭人ではあるが担當區域不明)

現八國府臺-葛西-龜蟻の頭人饗應使
信乃舩施餓鬼の頭人/十二敗將の待客使
小文吾行徳-本所-深川の頭人
備考導師:丶大御迎:蜑崎照文贄使:政木大全
↓關東管領方
正使:巨田助友
贄使:小幡東震
誓書作成:巨田道灌



□ 関連 → 八犬士放浪図
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