[ 客車(特別な編成 - 特別急行/戦後/昼行) ]


* このページにある客車画像(一輛単位の客車)はすべて【留置許可】
* 昼行客車特急は、編成まるごと方向転換するので(10系化後の「かもめ」編成を除く)左右両側面あり。右行用はファイル名「〜A.gif」、左行用はファイル名「〜B.gif」にしてある。
* 床下冷房がからむもの(食堂車・展望車)の床下機器に関してはよく分からないところがあり、いささか不正確である。御了承あれ。
* 一等展望車内の椅子は窓から見えるはずだが、ソファっぽかったり、斜に配置されていたり、表現が難しいので省いてしまった。
* ドア開放画像なし。
* 以前は同居していた「青大将」客車は別ページに独立した。

●特別急行 - 東海道

マイテ39-1(冷改準備) オロフ33 オロ40(戦後形) スシ47 スハ42 スハニ32 右行→
マイテ39-1 オロフ33 オロ40 スシ47 スハ42 スハニ32  機関車 
←左行
スハニ32 スハ42 スシ47 オロ40(戦後形) オロフ33 マイテ39-1(冷改準備)
 機関車  スハニ32 スハ42 スシ47 オロ40 オロフ33 マイテ39-1
[ へいわ ]
東京-大阪間に走った戦後の復活特急編成(1949年)。35系客車を中心とした編成。
画像は編成順に並べてある(スハ42×2、オロ40×3)。機関車は電化区間がEF55、非電化区間はC59。
この「へいわ」用のマイテ39は冷房化改造前の準備状態で描画してあるが、「つばめ」に改称した翌年には冷房化されたようだ。
* EF55牽引「へいわ」の走行シーンが、左上フレーム見本 No.39No.833 にあり。


マイテ39-11 スロ60・0番台 スロ60・100番台 マシ35 スロ60・0番台 スハ44 スハニ35 右行→
マイテ39-11 スロ60・0番台 スロ60・100番台 マシ35 スロ60・0番台 * スハ44 スハニ35  機関車 
←左行
スハニ35 スハ44 スロ60・0番台 マシ35
同右→
スロ60・0番台 マイテ39-11
 機関車  スハニ35 スハ44 スロ60・0番台 * マシ35 スロ60・100番台 スロ60・0番台 マイテ39-11
[ つばめ/はと ]
1950年に「へいわ」を「つばめ」と改称。同年5月、姉妹特急「はと」登場。二等車も特別二等車(特ロ)へと変更。その他の客車も多少の変遷を経て44系へと変わった。1956年に青大将色化されるまでは、ぶどう色1号。
画像はほぼ編成順に並べてある(スハ44×3、食堂車の前にスロ60・0番台×2、食堂車の後にスロ60・100番台+スロ60・0番台×2)。機関車は電化区間が EF57〜EF58。非電化区間が C62(最初期は C59)。
* 食堂車の前後で2等車の向きが違ったとの記事を雑誌で見たことがあるので、2等車は左行右行×両側面あり。但し、2等車の向きを変えたとの説は間違いとの記事もあり、それに従うならば食堂車より前の反対側面画像(青印付)は不要ということになる。
* ぶどう色時代のつばめ客車を牽引機と組み合わせた姿は、左上フレーム走行見本 No.39No.124No.652No.818 参照。
マイテ58-2
マイテ58-2
マイテ58-2
ぶどう色時代の最後尾展望車は、マイテ39-11とマイテ58-2のみ描画。


●青大将色の客車は「客車・特別な編成 - 特別急行/青大将」ページへ。


●特別急行 - 山陽〜九州

スハフ43 スロ54 マシ49 スハ44 スハニ35 右行→
スハフ43 スロ54 マシ49 スハ44 * スハニ35 *  機関車 
←左行
スハニ35 スハ44 マシ49 スロ54 スハフ43
 機関車  スハニ35 * スハ44 * マシ49 スロ54 スハフ43
[ かもめ - 44系 ]
関門隧道を越えて九州内を走った、京都‐博多間の昼行特急。登場は1953年。
画像は編成順に並べてある(スハ44×3、食堂車の前にスロ54×1、後にスロ54×2)。機関車は C59。関門トンネルは EF10。瀬野八の後補機は D52。九州内では C57…だったかな(おい)。
* 赤い印の画像は「つばめ」編成にある画像と全く同じもの。

 
オハニ36(テールマーク付) ナロ10(座席右向) オシ17 ナハ11 ナハフ11  →京都
←博多 
オハニ36 ナロ10(座席左向)
↑同上

↑同上
ナハフ11(テールマーク付)  
 下り機関車  オハニ36 ナロ10 オシ17 ナハ11 ナハフ11  上り機関車 
[ かもめ - 10系 ]
1957年、編成まるごと方向転換する手間を省くため、椅子の向きが固定された44系三等車(スハニ35、スハ44、スハフ43)を、オハニ36、ナハ11、ナハフ11に置き換えた。なお、二等車と食堂車の10系化はもっと後。1961年10月にキハ82系気動車で置き換えられ、昼行客車特急の時代は終わった。
画像は編成順に並べてある(ナロ10×3、ナハ11×3)。二等車の位置が44系時代とは変わっているので注意。牽引機は、急ピッチで西へと電化工事が進む中、京都からはEF58、非電化区間に入って C62。
スロ54(右向座席)
スロ54(右向座席)
方向転換をやめた後も、二等車はしばらくスロ54が使われた。その時代の京都行編成に必要な右向座席画像。
* 客車特急「かもめ」の歴史は、客車の色がぶどう色1号から2号へと切り替えられた年を跨いでいる。となると、ぶどう色2号に塗られた車輛もあったかもしれない。しかし、画像はぶどう色1号のみ。
* かもめ客車を牽引機と組み合わせた姿は、左上フレーム走行見本 No.125No.202No.652 参照。

←京都 
ナハフ11(テールマーク付) ナハ11 オシ17 ナロ10 オハニ36  博多→
 反転  ナハフ11 ナハ11 オシ17 ナロ10 オハニ36  
おまけの逆側面。但し、ナロの座席の向きやテールマーク装着車は「博多行」用(右行)のみ。京都方面用は描画していない。
* 10系化後の「かもめ」は、この向きの画像を「〜A.gif」というファイル名にしてあるので注意。


●特別急行 - 東北・常磐

スハフ43 ナロ10 オシ17 スハ44 スハニ35 右行→
スハフ43 ナロ10 オシ17 スハ44 スハニ35  機関車 
←左行
スハニ35 スハ44 オシ17 ナロ10 スハフ43
 機関車  スハニ35 スハ44 オシ17 ナロ10 スハフ43
[ はつかり ]
1958年、青大将さくら廃止の余剰車をまわして登場した、東北初の特急。
画像は編成順に並べてある(スハ44×3、ナロ10×2)。機関車は、上野‐仙台(常磐線経由)がC62、仙台‐青森がC61、盛岡以北は前補機C60追加。
1960年12月、キハ81系気動車に置き換えられ、44系客車の特急時代は終わった。
* はつかり客車を牽引機と組み合わせた姿は、左上フレーム走行見本 No.40No.652No.1091 参照。
マシ35(右行用)
マシ35(左行用)
マシ35(当初)
運転開始当初の食堂車マシ35。
なお、ぶどう色・青大将色の絵と異なり、冷房改良(ディーゼル電源化)後の床下としている。

おぱく堂車輛プレート

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