[ 開発室・描画雑記(風景篇) ]


[ 結局は左上フレーム走行見本のメイキング話か!? ]

--- 電車走行キット的には「風景」とは、鉄道シーンにおける「車輛」以外のすべてを指す。
しかしながら、ここではそういった「広義の風景」の他に、踏切や信号などの鉄道構造物を除いた「狭義の風景」についても触れる。とはいえ、厳密に分けた記述をしているわけではない。その時々でどちらについて語っているか、文章のニュアンスで判断されたし。って、無責任なページだな。

●大道具

風景画を描いている時、ふと「これって鉄道趣味?」という疑問を感じることもないわけではない。
駅舎などといった鉄道構造物を描いている時はそうでもないが、山や草木、鉄道とは無関係な建築物などは、なにやら別世界であるのは否めない。おそらく、鉄道模型レイアウトの世界でも同じ感覚はあるのではなかろうか。一本一本丁寧に作ってある山の木々などを見ると「鉄道じゃないよなぁ」と思わずにはいられない。

しかし、直接鉄道とは関係ない「風景」があってこそ、鉄道シーンに豊かな物語性を付与し、奥行きを与えてくれるのだと思う。
* 風景がなくても何がしかのものを感じ取れる人は、イマジネーションが豊かなのかもしれない。おぱく堂は想像力が貧困(女性の下着を見ても、ただの布にしか見えず、何の興奮もしないほど低レベルな妄想力)なので、風景という「具体的に視覚に入ってくるもの」がなくては何かを感じることはできないのである。

鉄道模型雑誌に載っている緻密なレイアウトの写真を見ると、思わず引き込まれて見入ってしまう。それは風景の素晴らしさによるものである。役者を引き立てる舞台装置に相当するものが、車輛を引き立てる風景ということになる。風景描画とは、大道具の仕事と同じ位置にあり、裏方的ではあっても鉄道シーンを作る上で極めて重要であることは間違いない。
* 役者と大道具では仕事の内容が大きく異なる。それと同じく、風景と車輛は、同じ「描画」というには余りにも世界が異なる。独自の風景を描くことに躊躇する人がいるのも致し方のない事かもしれない。

●実在か架空か?

実在風景を描くには資料が必要である。
そんなわけで、昔は「架空風景の方が楽だなぁ」と思っていたが、色々と風景を描いていくうちに、必ずしもそうとは言えないと判ってきた。架空風景は、確かに資料不要の気楽さはあるが、自分の記憶やイメージの範囲内からしか生み出せない。資料さえあれば、実在風景の方が苦労しないこともある。

* ↑実在風景、嘉例川駅。左上フレーム走行見本 No.1330 で使っている画像。足りないのは乗客だが、それはそれで表現が難しく、このシーンでは人間不在。

一番、楽なのは「実在ベースの架空風景」であろう。
実在風景を資料としながら、描きにくそうなものを省略してしまう。資料写真に写っていない部分は想像で描いてしまう。その結果、実在風景のリアリティと架空風景の気楽さが両立する。一石二鳥な感じ(ちょっと違うが)がして、最近はこのパターンが多い。
* しかしながら「描きにくそうなものを省略」などという手抜きをしてしまうと、描画テクニックは向上しないんだなぁ…。
* 実在駅(新十津川駅)の描画工程が、左上フレーム走行見本 No.811No.811+(工程順自動切替/手動切替)にあり。

●本物風か模型風か

実在風景を描く場合、一部を削除したい時がある。
資料不足でわからない部分があるとか、現実をそのまま再現してしまうと車両が全然見えなくなるとか、スペースの都合上デフォルメしたいとか、理由はさまざまだ。そういったものは、そのままでは「実在風景」とは呼びにくい。そこで「実在風景を切り取ったセクション模型」という設定にしてしまうことで、逆にリアリティが増す。
* 背景省略により模型風としたのは No.1200No.1322 など。走行シーンが見えなくなる手前の邪魔物を省略して奥側の線路だけを再現した例は No.1315No.1358No.1384 など。
* 模型風とすることで、同時期には走っていなかった形式を同居させても不自然ではなくなるメリットもある。

●パーツ別か一体か

広義の風景に含まれる鉄道構造物。線路、駅、架線、架線柱、信号、踏切。
電車走行キットにおいて、これらは、それぞれ別パーツとなっている。それゆえに、必要なものを描き変えるだけで済むメリットがある。

しかし、シーンに含まれる全ての要素を一から描こうとすると、複数のパーツに別れているのは実は不便である。
動作する信号や踏切はどうにもならないが、それ以外のものは一体で描いてしまった方が楽だ。A08や A02SL-Expertなどのプログラムでは、駅や架線は独立したパーツになっていない。これはプログラムの構造上の都合でもあるが、風景描画に慣れてくると、この仕様の方が使いやすかったりする。
* 線路や架線は、あらゆるプログラムでパーツとして使用するかしないかを選択可能だ。しかし、駅だけは、駅画像の有無と駅停車の有無の設定が連動していて「独立した駅画像はいらないのだが…」という要求に応えられるのは、前述のA08やA02SL-Expertだけだったりする。駅画像の有無と駅停車の有無を別設定にしておけばよかったと思うが、この部分の仕様変更は従来バージョンとのパラメータ互換性に問題が生じるため手を付けられない。まぁ、風景描画に熟練する頃には、設定方法等にも精通しているはずだから、A02SL-Expertがそういう需要をカバーしてくれると見ている。

左上フレーム走行見本においても、初期の頃は線路や架線を別にしていたが、今では、線路も架線も含めて一体として風景画にしている。
* 余談。左上フレームのプログラム A02Xは A02改だが、今では一体で描いた風景画しか使えない仕様(及びミニサイズ風景しか設定できない仕様 → 後に拡張可能な仕様に)に改造してある。ついでに言うと、ユーザーが設定しやすいようにする配慮も不要なため(自分しか使わないから)、矛盾する設定を回避する処理など省けるものは全て削除してある。その結果、A02SL-Expertに近い機能を持ちながら A01並に軽い容量(後にあれこれ拡張して A01の 1.5倍の容量にはなったが、それでも A02SL-Expertの 60%ぐらいしかない)のプログラムになっている。反面、あまりにも不親切なプログラムなため、時々開発者である自分ですら設定に苦労する欠点もあり、少々やりすぎたかもしれない。

●国内か海外か

海外の鉄道には「なんじゃ、こりゃ〜!」というものが時にある。
日本では当然すぎて疑いもしないことが、存在しなかったり否定されていたりする国があるというのは面白いことである。
* たとえば No.75 の「走行中ドア開閉」なんて日本ではありえない。まぁ、手動ドアの旧型客車が主流の時代は、日本だって動きだしてから乗り降りするのは珍しくはなかった。しかし、自動ドアなのにそれをするか、というのは驚きだ。推測するに、ふだん凸凹の未舗装道路を当り前として生きている人々にとっては、足下に注意を払うのは常識。少しぐらい列車が動いていても乗降など容易なのだろう。ちゃんと停車していてもホームと電車との隙間に落ちる人がいる日本とは、危険回避の基本が違うのだと思う。
* 異国だけでなく異性も同様。男が当然だと思って疑いもしないことが、女性にとっては「それは違うでしょ」という事だったりする。おぱく堂のような真にダンディな紳士は、男の先入観という呪縛を逃れて、そういう違いを楽しむ境地にあるわけだな。はっはっは、諸君も見習いたまえよ。

●風景か否か

左上フレーム走行見本には「風景」という言葉を否定するようなシーンがある。
面白いからやっているだけで、深い意味はない。
* 具体的に言えば、No.57(ソニン)、No.148(御神籤)、No.192(相撲の土俵)、No.223(陽明門)、No.236No.1591(能楽堂)、No.253(金鯱)、No.444(ツタンカーメン)、No.491(タロット占い)、No.644(ブルース・リー)、No.753(鶴と亀)、No.1161+(ルーレット)、No.1220(モーゼ)、No.1399(麻雀牌)、No.1461(元素周期表)などなど。厳格な鉄道ファンの目には奇異に映るに違いない。これらは「鉄道と無関係なものを、いかにして鉄道走行シーンに使うか」という、自己満足的チャレンジだったりする。

* ↑この写真の猫は「ボバブ」で、かの有名な「たま駅長」と同じ 1999年生まれ(4月誕生の駅長より推定 2ヶ月ほど姉)だが、2013年のクリスマスイヴに 14歳で亡くなった。だから何ってわけではないが、おぱく堂が猫好きであるため、鉄道と無関係な猫シーンは No.1431 など複数ある。なお、たま駅長も 2015年に 16歳で亡くなった。猫の寿命とは、なんと短いことか。
* 風景ではなく、鉄道車両そのものが鉄道表現を逸脱した例として No.1195(盆栽)、No.1196(石)、No.1197(縄文と弥生)などがある。

●構図…

左上フレーム走行見本の 220×80px というミニサイズでは、構図の悩みは少ない。
たとえば踏切を配置すると「踏切をメインにしたシーン」にしかならない。他の要素をどこに配置すべきかといったことを悩みようがないのである。手を動かす量だけを考えれば「描画の手間は面積に比例する」ということになるが、構図を考える手間まで考えると「描画の手間は面積の3乗に比例する」といった感じか。
* 左上フレーム見本は、べらぼうな数のシーンがあるが、ミニサイズだからこそ可能だったと言える。
* 狭い範囲だけ描けばよい、というのはメリットも大きいが、時に描きたいものが描ききれないデメリットもある。この問題は、後にフレーム拡張という手法を学んだことで解決するのだが……詳細後述。

てなわけで、風景を描く上では避けて通れない「構図」について何かを語ろうとしても、何も出てこないのである。
* まぁ、こういった「美術の授業」のような真面目なネタを、おぱく堂ごとき者が語ろうというのが、そもそも烏滸がましいとも言える。一応「項目」を立ててみたが、案の定、ネタはなかったのだな。
* 自分は写真をやっていないから分からないが、鉄道写真を趣味としている人なら、構図を決めるのは慣れた話なのかもしれない。

●前景と貧乏性

走る車輛の一部を隠してしまう前景(あるいは手前追加配置物)があると、シーンの奥行感が増す……ような気がする。
線路脇の機器箱ひとつあるだけでも効果は大きいと思う。ただ、それだけのために前景画像を一枚作るのはサーバー容量の無駄使いな感じがして、躊躇してしまうのも事実だ。
* このサイトのあるプロバイダは、セクタサイズ 8KBというサーバー仕様(後に仕様変更。後述)のため、1KBしかない画像でも1枚増やすことでサーバー容量 8KB分を使ってしまう。容量の小さな画像が多数あるこのサイトでは、無駄にサーバー容量を消費しかねない。容量上限を超える契約ができないため、画像枚数を増やすことへの抵抗がある。そんなわけで「複数のシーン用の手前追加配置物を1枚の画像にまとめてシーン毎に配置位置をずらして使う」などというサーバー使用量軽減対策も行っている。1KBの画像×8枚を、8KBの画像1枚にまとめれば、サーバー使用量が 1/8に減らせるのだ。なんか、せこい話だなぁ…。
* その後「背景と前景を位置をずらして一枚の絵に描いてしまい、背景と手前追加配置物に同じ絵を指定する」という容量節約術も使うようになった。追加配置物は配置座標を設定できるので、ずらして設定すればよい。実質2枚の画像でありながら、サーバー使用量は1枚分で済むのである。
* 2017年にサーバー仕様が変わった(セクタサイズ 8KB → 0.5KB)ため、容量上限の 97%に迫っていたのが、63%まで落ちて容量に余裕ができた。セコい努力をしなくてよくなったが、今さら感が…。

↑背景と前景を一枚にまとめた例 = No.1242 の風景。前景に隠れる部分に書いてある「31」という数値は、このシーンに必要なパラメータ(この場合は車輌走行位置設定)をメモしたもの。

●頼ってしまう描画ソフトの機能

描画ソフトにあるフィルタ機能をつい多用してしまう。特に「ノイズ」は使いまくりだ。
フィルタ処理に頼るとそれなりのシーンが簡単にできてしまう。だが、それゆえに「安易にフィルタ処理に頼ることは絵の上達の妨げになる」と、CG関係の本にも書いてある。しかし、そこまで自分に厳しくなれない。
* ノイズを多用すると階調変化が大きくなり、GIFでは画像容量が重くなる。階調変化の大きな画像向きの JPG形式を使うことで容量を軽くできるが、JPGは透明化できないので背景にしか使えず、前景には階調変化の大きいものを描かないよう工夫はしている。鉄道の手前にあるはずのものでも、列車と重ならない範囲にあるものは、場合によっては背景側に描いたりする。
* ノイズ等のフィルタ使用例(山の表現)は、左上フレーム走行見本 No.668 参照。画面のほぼ全体にノイズフィルタを使った風景は No.677。ノイズも含めて複数のフィルタを重ねまくった結果が No.721No.1194。ノイズを使った表現、使わない表現の比較(木の表現)は No.897

もうひとつ多用しているのは「エアブラシ」ツール。
特に「木」や「雲」は、これに頼りっぱなしだ。
車輛画像では、車体のラッピングを描く時や、流線形の先頭部分ぐらいにしか使わないエアブラシだが、風景ではこの他にも使えることは多く、一度手にするとやめられない。
* エアブラシツールは筆圧感知ペンタブレットが必要でマウスでは使えない。ペンタブレットについては「描画雑記(車輛篇2)」参照。
* どこにどんなツールを使っているかという、おぱく堂流の描画工程は、左上フレーム走行見本 No.345 参照。

描画ソフトの機能に頼ることで、ある程度の画像クオリティは確保できるわけだが、逆にそれに頼るがために、似たような表現ばかりになりがちかもしれない。
* などと言いつつ、似たような風景が複数あっても気にせず、左上の鉄道シーンの数を増やし続けるだろうとは思う。おぱく堂とは言行不一致な男である。
* この文章を書いた後、ノイズフィルタもエアブラシツールも使わない描画スタイルにも挑戦しはじめた。左上フレーム走行見本 No.550No.554 参照。その結果として、描画時間短縮と画像容量軽減というメリットが得られた。しかし、限界もあるようで、このスタイルでどんな風景でも表現できるかと言えば、現状の自分の描画力では無理。……ちなみに、No.596 に「ノイズフィルタもエアブラシツールも使わない描画」の作業工程あり。
* No.597 で、「範囲選択 → 塗りつぶし」「鉛筆」「エアブラシ」それぞれのツールのみを使って描画した風景を比較してみた。ひとつの方法だけで描くというのは極端だが、シングルモルト・ウィスキーみたいなもの。通常は複数の方法を組み合わせる、ブレンド・ウィスキー的手法を使う。
* 上記同様、各描画ツールを使った「雲の表現」の比較が No.1108 にあり。

●見れども見えず - 1

左上フレーム走行見本には都会のシーンが少ない。
早い話が「建造物」を描くのが苦手だからである。実在ベースのものはまだ資料写真のとおりに描けばいいが、架空風景における建造物はうまくイメージできない。つまりは建造物に関する知識や観察眼が不足しているわけだ。
* たとえば何も見ずに「踏切」の絵を描いてみるとよい。意外と描けないはずだ。普段見なれているものでも、いざ描画するとなると形状を正しく記憶できていないことに気付く。建造物だって普段いくらでも見ているはずなのに、描画に行き詰まる理由はこれだ。
* その後「駅舎」という建造物のシーンは増えた。建築の知識はあいかわらずないが、資料写真を見て描くには楽しいテーマで、ハマってしまっている。 No.630No.640No.710No.855 など。但し、駅によっては、左上フレームは狭すぎる。ゆえに、縮尺の異なる規格で描くことも増えた。No.775(TB規格)や No.920(2/3 TK)、No.907(TrainGif規格)など。
* 都会のシーンに全く挑戦していないというわけではなく、資料さえあれば描けないことはない。No.1199 等参照。

もっとも、観察眼なるものは一朝一夕に身に付くものでもなく、高い意識なり蓄積なりが必要なのであろう。修行の道は遠い……って、いつから修行になったんだ!?
* 観察対象への愛が欠如していると観察眼は身に付かない。おぱく堂は女性に対する観察眼がめちゃくちゃあるのだが、これは愛ゆえである。なに、ただの女好きだろ?

●見れども見えず - 2

資料写真を見て描いたにもかかわらず、間違ってた、というシーンもある。
たとえば「四枚窓の駅舎を、どういうわけか二枚窓に描いていた」なんていう例。これは数年、間違いに気づかなかった。当然、こっそりと修正済みなわけだが、己の目がこれほどの節穴だったのかと愕然とした。

* 窓数を間違えていたのは No.630 である。細長の四枚窓で、一見二枚窓かと思うような幅しかなかったのが勘違いの原因。2013年に間違いに気づいたが、220pxというフレーム幅の制約から超細長窓にデフォルメせざるをえなかった。しかし、やっぱり不自然なので 2014年にデフォルメ解除の再修正。駅舎幅が広がった分、フレーム幅を 230pxまで微妙に拡張した。
* 以前は、右上フレームの目盛とおぱく堂顔を合わせて一枚画像(容量節約のため)にしてあった。左上走行フレームの横拡張に合わせて右上の目盛を移動させる必要があるのだが、そのために、おぱく堂顔が完全に隠れる +110px(=330px)以上のフレーム拡張しかできなかった。その後、目盛とおぱく堂顔を別画像に分離して、330px以下のフレーム拡張がようやく可能になった。2013年時点でちゃんとした修正ができなかったのは、そういった事情が絡んでいたためだ。
* 修正ついでに、プラットフォーム上の屋根が錆びていた姿から、塗り直した後に変更。それに連動して、公衆電話ボックスの三角屋根の色も変更しただけで、これは間違いを直したわけではない。

目を開いていてもこのざまなのだから、目を閉じていても見える「心眼」を身につけるまで、修行の道ははるかに遠い。
* この「資料を見ていたのに」というのは風景に限った話ではなく、鉄道車両の絵でもよくある。いや、まぁ、よくあってはいかんのだが。

●220×80pxを超えて

左上フレーム走行見本のミニサイズでは描ききれないシーンはどうしているか?
(A) 諦めてその範囲だけ描く。
(B) デフォルメして、無理矢理その範囲に収める。→ リアリティに難。
(C) 描きたい範囲が収まるように、縮尺を変える。→ TK規格から逸脱。
(D) 描きたい範囲を複数のシーンに分割。
(E) 描きたい範囲を描いて、奇数日偶数日などで表示範囲を変える。
(F) 描きたい範囲を描いて、画面スクロールさせる。
(G) 描きたい範囲を描いて、フレーム寸法を拡張する。
* たとえば (A) は No.322、(B) は No.89、(C) は No.773、(D) は No.1303No.1304、(E) は No.119、(F) は No.526 など色々ある。

当初は (G) のフレーム拡張という手法を知らなかったのであれこれ工夫していたわけだが、知って以降に作ったシーンはほぼ (G) である。
* フレーム拡張を知る以前に作ったシーンのいくつかは、フレーム拡張版に改造している。
* (E) と (F) だったシーンは、風景画像を描き足すことなく、そのまま (G) に改造することができる。たとえば No.1251 は、パラメータ設定を少し変えることで《 一時的 cookie 》使用によるフレーム拡張バージョン No.1251+ を追加した。同様の例は No.800No.800- 等、いくつかある。
* 一方、(A) だった No.280 は、本来描きたかった範囲まで描き足して、《 一時的 cookie 》使用によるフレーム拡張バージョン No.280+No.280- を作った。風景の一部は描画済だし、風景資料も既にあるため、描き足す手間はそれほどではない。
* たいていは《 一時的 cookie 》使用によるフレーム拡張バージョンとしての追加だが、No.907 のように、220×80pxの標準サイズのシーンを残さず、フレーム拡張シーンだけに改造したものもある。

但し、走行シーンだけを考えた場合は有効なフレーム拡張だが、サイトデザインを包括的に考えると、フレームがガチャガチャとサイズ変更してしまうというのは時に目障りである。特に縦方向の拡張はこの本文フレームにも影響するので、微妙な不快さはどうしても避けられない。これはジレンマである。
* この種の不快度 MAX なのは、No.1367No.1371No.1425+ だろう。当然、これらのシーンはランダムでは絶対に出てこないようにしてある。

ついでに言うと、逆に 220×80pxでは寸法が大きすぎて描き切れなかった、なんていうシーンもあることはある。
* 具体的に言えば No.1316 である。


----とかかんとか有益きわまりない話(?)をダラダラと書いてみた。

しかし「感動を伴うほどの物語性」をシーンに付与するには何が必要なのか、正直言って、よく分からん。最も重要なことが分からんというのも何だが、風景描画の数をこなすうちに何か見えてくるかも知れず、見えてこないかもしれん。結局のところ、自分としては、他人がどう思うかを余り気にせずに、自分好みの鉄道シーンを作り続けるのみだ。


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