デビル

     監督・アラン・J・パーカー、主演・ハリソン・フォード、ブラッド・ピット

 IRAの実働隊長が主人公という非常にユニークな映画だ。しかし、脚本がひどい。ひどすぎる。(映像も、ブラッド・ピットの涙を除けば見るべきものがない。)
 出だしは緊迫感がある。IRAを支援しているという理由で、少年(八歳のとき主人公)の目の前で、父親が射殺される。このことが原因で少年はIRAに入る。
 時間が流れ、青年になった主人公がテロを指揮している。ある人物を狙う。だが、それは罠だ。発砲し、銃撃戦が始まるとすぐ軍隊がかけつける。だれかが情報を流しているらしいのだ。
 かろうじて射殺も逮捕もまぬがれた青年はアイルランドを離れ、ニューヨークへ行く。武器を調達するためだ。その手引きを判事がする。隠れ家に刑事の家を斡旋する。刑事はもちろん青年がテロリストとは知らない。
 このあたりの展開はなかなかスピードもあり、緊迫感がある。ブラッド・ピットの少し暗い顔と、間のぬけたハリソン・フォードの組み合わせも絶妙だ。
 しかし、おもしろいのはここまでだ。あとが退屈である。
 片方が犯罪者であり、他方が警官であり、そして片方が相手の身分を知っており、他方がそれを知らずに一緒に生きているという緊迫した関係がまったくない。身分がばれそうになる、という危険な場面がまったくない。大金を隠すところを、青年は警官の娘に見られるが、それも一向にはらはらしない。警官の娘が単に幼いというだけではなく、幼さゆえにもつ利発さの片鱗のようなものが描かれていないからである。他の家庭のシーンも、単なるホームドラマの描写に終わってしまっている。
 まぬけな、というか、平凡な、というか、堅物でありながら、犯罪者(といっても軽犯罪者)に対して、奇妙にやさしい警官の日常が描かれるだけである。泥棒、という通報で追いかけ逮捕してみれば、コンドームを買うのが恥ずかしくて万引きした少年だったり、という、とんでもないエピソードがあるだけだ。このエピソードは、彼の相棒が、逃げる車上荒らしを背後から射殺するというエピソードと対をなし、さらには、その相棒を嘘をついて弁護すべきか、あるいはあくまで法を守る人間として生きるかという警官の葛藤へとつながっていくのだが、何ともしまりがない。
 警官のエピソードと、テロリストのエピソード(たとえば、船の修理をしながら、つい遊んでしまうシーン)が、まったく分離してしまっているからである。
 まったく分離してしまっているからこそ、テロリストと関係する一味が刑事の家に泥棒に入り、そのことから警官が青年の素性に疑問を持つようになる変化が、まるで、とってつけたように感じられるのだ。
 ハリソン・フォードのようなばかが、なぜ、突然、青年の素性に疑問を持つのか。なぜ、自分の家に強盗が入ったからといって、そして、その強盗が貴金属を狙った形跡がないからといって、青年を怪しむようになるのか。強盗は、家に入ったばかりかもしれないのに。その上、妻が殺されそうになったのを青年が助けてくれたというのに。
 なぜ、「ありがとう、ほんとうに助かった。お礼をしたいから一緒に飲もう、一緒に食事をしよう」というような展開にならないのか。とても変だ。
 突然、独自に青年の正体を暴こうと判事の家に乗り込んだり、正体がわかってからもたった一人でテロリストに立ち向かっていったり、という行動の原理がまったくわからない。街の泥棒を追いかけているような警官が、しかも二十何年間に四発ぐらいしか銃を発射したことのない警官が、ひとりで国際手配されているテロリストを追いかけるなんてありえるはずがない。
 警官の家庭、警官の日常を描いてきた部分と、後半では、すべてが水と油の世界である。
 この矛盾をなんとかするために、この映画は「男の友情」というものを、唐突に出してくる。警官は青年を死なせたくない。その思いゆえに、青年をFBIやイギリスの機関に追わせることをしない。彼らが青年を射殺するまえに、何とか逮捕し、命を守ろうと思い立つ。
 こんなばかげた話はない。片方はテロリストである。彼は自分の主張のために他人を殺すことを何とも思っていないばかりか、他人を殺すことが必要であると考えているのである。そうした男が「友情」の説得で降伏するはずがない。そんな単純なことを思いつかないところが警官のばかさかげんがよく出ているといえばいえるのかもしれないが、映画を見ている方としては、「こりゃあいったい、何をやっているんだ」と開いた口がふさがらない。
 とってつけたような、最期の握手、二人の男の涙など、コメディー映画だったのか、と思ってしまう。
 脚本がともかくひどすぎる。いったい誰が書いたのだ。意欲的に様々な人間像に挑戦しているブラッド・ピットもこんな映画に出るようではだめだ。ちゃんと脚本を読んで、映画を選びなさい、といいたくなる。青い目からこぼれる涙とか、銃を構えたときの透明な目の輝きとか、ときおりのぞく輝かしい笑顔とか、ストーリーとは関係なく、ほう、と人を引き込む魅力を持っているのだから、それを大切にすべきだろう。こんなクズ映画で浪費しては、それこそ「男が廃る」というものだろう。


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