イングリッシュ・ペイシェント

 好きなシーンがいくつかある。絶対に忘れられないシーンがいくつかある。その一つは、看護婦のジュリエット・ビノシュがカテドラルの壁画を見るシーンだ。
 看護婦とこころを通わせるインド人の中尉が、彼女をカテドラルに案内する。まだ光が入り込まない早朝。中尉は看護婦をロープにくくりつけ、看護婦を空中へつりあげる。看護婦が手にもったトーチに照らされ、壁画が浮かび上がる。そのときの驚きと喜び。それがとても美しい。ジュリエット・ビノシュの輝く顔−−トーチの白い光に照らされているだけではなく、ふいに目にすることになった美しいものに対する感動の顔−−それが輝きの本質だ。そして、その顔の輝きが、実際にある壁画の美しさを引き立てる。実際の壁画はスクリーンにちらりとしか見えないが、見えないはずの美しさが、ジュリエット・ビノシュの顔の輝きによって、より美しく再現されている。そしてまた、彼女のこのときの顔の輝きは、単に壁画の美しさに触れた感動のためだけではない。彼女にその絵をみせようとしたインド人中尉のこころを知った喜びにも支えられている。ある美しいものを見せようとして、一人の人間が別の人間のためにある努力をする−−中尉が私のために、私に絵を見せたくて一生懸命ロープを動かしてくれている−−そうしたこころを知って輝く顔。そこには絡み合った喜びがある。
 このシーンは映画のストーリーの本筋とはあまり関係がない。しかし忘れられない。それはたぶん、本筋ではないが、映画のなかの物語を巧みに暗示しているからかもしれない。看護婦の持ったトーチによって浮かび上がる絵−−ロープでつり上げられ揺れ、不安定な姿勢で見つめる絵−−それは、彼女が看護している「イギリス人の患者」の記憶のようなものだ。彼が思い出すのは、とても不安定な記憶だ。彼の回りの音やことばに刺戟されて、ふいに浮かび上がってくる断片にすぎない。その断片をつなぎあわせて、一人の人間と、彼が貫き通そうとした「愛」の姿が浮かび上がってくるのだが、それはジュリエット・ビノシュが見つめている壁画のようなものだ。不安定につり上げられ、あるときは顔のアップを見、あるときは衣装のアップを見る。あるときは手で触れられる近さで見つめ、あるときは遠くで見つめる−−そうした視線のありようが、この映画全体を貫いている。その映画全体を貫く視点を象徴しているのが、このシーンだと思った。

 他の美しいシーン、忘れられないシーンに、「イギリス人の患者」が恋をした相手、キャサリンが砂漠で「千夜一夜」(だと思う)の物語を語るシーンがある。砂漠の夜の時間つぶしに、仲間たちが一人一人隠し芸(?)をする。キャサリン(クリスティン・スコット・トーマス)は物語を朗読する。その声がとても印象的だ。砂漠の夜の、暗黒の夜の、道しるべのように、すーっと輝いている。こころを引っ張っていく。「イギリス人の患者」がこころを引っ張られるのがよくわかる。
 そのクリスティン・スコット・トーマスの、喉の付け根にある窪みも美しい。「イギリス人の患者」が強く引きつけられる部分なのだが、本当に美しい。美しく、また色っぽい。しなやかにのけぞる肉体そのものが、そこに集中している感じだ。
 ファーストシーンの絵を描く筆のアップも美しい。水分を含んだ筆が粗い紙の上を動いていく。何を描いているかわからない。そのたっぷりとした筆の動き、その線のなだらかな感じ。最後に頭の部分を塗りつぶし、あ、人間だ−−と気づくときの、その瞬間がとてもうれしかった。(絵は、マチスの「ダンス」の人間を思い起こさせたが、それが途中で「泳ぐ人」の壁画だとわかった。その結び付け方も自然で美しかった。)−−そして、この最後の頭の部分で、ふっと人間の姿が完結し、全体が記憶のなかで美しい形をとるのも映画全体のありようと非常によくあっていた。象徴的なファーストシーンだった。

 クリスマスに「イギリス人の患者」とキャサリンがセックスするシーン−−摩りガラス越しに、二人のシルエットがなんとなく感じられるシーン。あるいはジュリエット・ビノシュが「イギリス人の患者」と彼を追い詰める泥棒(ウイリアム・デフォー)の会話を廃屋の破れ目から見聞きするシーン。それらも映画の構造全体と非常にマッチしていて、映画全体に深みを与えていた。
 あらゆる存在がストレートにあらわれるのではなく、断片としてあらわれ、その断片が徐々にからみあいながら全体の時間をつくりあげていくというストーリーがあらゆる細部で具体的な表現となっている。そのために、あらゆるシーンが美しいのだと思う。
 主人公の「イギリス人の患者」が愛読しているのがヘロドトスの『歴史』というのも象徴的だ。戦争−−戦争が引き裂いた何か(たとえば愛)−−その断片をつなぎ合わせ、一つの形にしたのが「歴史」だろう。「イギリス人の患者」はヘロドトスがしたように、戦争によって切り裂かれ、断片になってしまった愛の物語を復活させることだった。物語として復活させることが自分自身を取り戻すことでもあった。

 とても綿密に構成された脚本だと思う。(原作自体が、非常に構成された小説なのかもしれないが……。)どの部分にも無理がなく、どの部分も全体と絡み合い、絡み合うたびにより美しくなっていく。映像も、たとえば火傷をした「イギリス人の患者」の顔を覆う布のマスクのようなものなど、異常と日常を強烈につなぎ合わせ、物語のなかへ観客を引っ張っていく不思議な力を持っていると思った。


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