スウィート・ヒアアフター


 雪は不思議だ。すっぽりと大地を包むと、世界は銀世界になる。まばゆい美しさが目を居抜き、その輝きに隠されたものが見えなくなる。しかし、表面に張りつくように積もった冷たい雪の場合、ずいぶん事情が違う。版画のように、黒と白が拮抗し、深い緊張感が生まれる。
 この映画は、その緊張感をとてもよくとらえている。雪の下に存在する大地、樹木などのうごめきを深く感じさせる。その拮抗の奥には、とても暴力的な自然の力が眠っている。それが一瞬、牙をむく。スクールバスがスリップする。凍った湖の上へ、するすると滑って行く。止まらない。止まったとき、氷がじわりと割れ始める。白い氷の裂け目から、黒い黒い水があふれる。生き物のように黄色いバスを飲み込んで行く。−−このとき、確かに水は生きているのだ。厚い氷の底で死んだようにしているが、実は、いつでも自己主張しようと、ひっそりと息をひそめているに過ぎない。
 死んでいるように、あるいは眠っているように見えながら、実は、その静謐さの奥で生々しく命がうごめいている−−というのは、自然だけに限らない。人間関係においても、そうしたことはありうるのだ。
 カナダの小さな町−−その町でスクールバスが湖に転落する。多くの児童が死亡する。賠償訴訟のため、弁護士が情報を集め始める。それにつれて、町の人間関係が少しずつあばかれてゆく。不倫があり、嫉妬がうずまいている。警戒心と対抗心が拮抗している。そうしたものを、心の奥に隠したまま、人々は訴訟のために団結しようとする。団結させようと弁護士は苦心する……。
 訴訟で勝利しようとする最後の一瞬、訴訟で決め手となる証言をするはずの少女が、法廷で嘘をつく。たった一人生き残った少女が、嘘をつく。「バスはスピードを出しすぎていた。そのためブレーキが効かず、湖に転落した。」
 少女はなぜ嘘をついたのか。
 少女は、実は父親と近親相姦の関係にあった。少女は事故によって下半身が不随になった。退院した少女を待っていたのは、王女様のようなベッドとパソコン。両親は彼女を大切に大切に扱う。その扱いは、近親相姦のときの「大切」な感じとは違った扱い方である。−−なぜ? 少女にはわからない。ただ、感じるのだ。自分がスポイルされている。自分が利用されている、と。訴訟に勝利すれば、莫大な金額が入って来る。家族はそれで安泰だ。そうした安泰さのために自分自身が、自分の下半身不随が利用されていると感じる。
 だから少女は嘘をつく。牙をむく。叫び声をあげる。自分が単に他人に利用される人間であることを拒否する。その凶暴さに、私は目を奪われ、心を奪われ、思わずうっとりしてしまう。そこには、とんでもない命の輝きがある。血潮の熱さと美しさがある。美しいと呼ぶだけでは足りない力がある。それは、バスを飲み込んだ黒い黒い水のような深い輝きを持っている。
 少女が嘘をついていることは、弁護士にも父にもわかる。だが、弁護士はどうすることもできない。彼の仕事は、証言を集めて回ることだけだ。少女の嘘を問い詰める権利は弁護士にはない。「なぜ、娘さんは嘘をついたのか。」少女の父に問いかけるが、父は答えることができない。彼には娘が自分に反抗していることがわかるからだ。自分たちが娘の障害を利用して金を手に入れようとしていることに反抗していることがわかるからだ。そして、もし、そのことを詰問するなら、近親相姦の事実が明らかにされるだろうと予想できるからだ。少女の黒い命を「黒い」と呼ぶとき、自分のなかの「黒い」命が暴かれることを知っている。だから、父はどうすることもできない。ただ、ひっそりとあきらめる。表面的な静謐を装う。
 もし、ここで少女を詰問すれば、たぶん父親の近親相姦だけが明るみにでるのではなく、町の人間関係そのものがあばかれてしまうのだ。不倫も嫉妬も敵愾心も。訴訟にかかわった全員が、そのことを知っている。だから、ひっそりとした「事故以前」の町へかえって行く……。
 思えば、弁護士自身にも暗い血が流れている。彼には薬中毒の娘がいる。彼女との関係はうまく行っていない。互いに傷つけあって、生きていることを確かめている。傷つけることで初めて相手の存在を知っているのだ。あるいは、傷つけることで、相手に自己の存在を主張し、刻印している。
 これは不気味な結末ともいえる。しかし、「癒し」とは、本来そうしたものではないのか。残酷に傷つけあい、血を流しあい、相手も苦しんでいるということを知って生きること、あるいは、血を流す命が残っていることを知り、それを確かめるようにして生きること−−それも一つの「癒し」の形である。「癒し」は血を流さないことにはたどりつけない世界なのかもしれない。
 こうした深い哲学、どちらかというと目を背けたくなるような哲学を、この映画は雪の景色そのままに、ひっそりと、しかし、そこに息づきつづけるものの形をくっきりと浮かび上がらせている。

  
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