『風の丘を越えて』

 忘れられないシーンが二つある。
 一つ目は親子三人(本当は父親と息子、再婚相手の連れ子の少女。女は死んでしまっていない)が「アリラン」を歌いながら長い道を歩くシーン。
 親子は旅芸人である。「パンソリ」を歌い、日々の暮らしを立てている。一つの町、一つの村から別の町へと向かう途中、緩やかに起伏する丘の道で、彼らは「アリラン」を歌う。
 非常にのんきな感じがする。「アリラン」の旋律に乗せ、彼らは即興で歌う。姉が歌えば、かわいい弟が太鼓ではやす。はやされながら姉の声はいきいきと広がっていく。彼らは励まし合って生きている──ということを即興で歌う。くるくると互いが互いを回るように踊りながら。
 即興で、というのは私の印象である。「アリラン」の詩を私は知らない。それが本当の詩なのかもしれないが、即興で歌いながら、日々を楽しんでいるという印象がある。父のあとを継いで姉が歌い、その歌を受けて弟が新たに歌い継ぐという関係が、そんな気持ちを起こさせるのかもしれない。
 「パンソリ」の芸で旅をめぐり、生活するのは苦しいはずである。実際、映画は、時代から取り残され、日々の暮らしもままならない状況で、それでも「パンソリ」にかける一家を描いている。しかし、どんなつらい苦しみのなかにも、喜びがある。その喜びとは、家族がともにこころを通わせ、一つのことをする喜びだ──ということを伝える美しいシーンだ。
 もう一つの忘れられないシーンは、芸の苦しさ、日々の生活の苦しさから「パンソリ」を捨て、家族を捨てた弟が、姉を見つけ出し、一緒に「パンソリ」を演じるシーンである。
 弟が父と娘を捨てたあと、父は娘に捨てられるのを恐れ、娘の目をつぶす。「おまえの声はきれいなだけで、『恨』がない。『パンソリ』には『恨』が必要だ。『恨』を身につけさせるために、おまえの目をつぶしたのだ」などということが、二人の再会までに映画では語られる。
 弟は、姉を探す過程で、父と姉のあいだに起きた事件を知っている。顔も覚えている。再会の瞬間から、彼女が姉であることがわかるが、そのことは語らない。ただ「パンソリ」をやってくれ、それにあわせて太鼓を叩きたい──と告げる。
 姉は「沈清歌」を歌う。盲目の父と、父のために人身御供になった娘の話である。父の犠牲になりながら父を愛し、再会し、未だ盲目でいる父に涙を流す。そのとき、奇跡のように父の目が見えるようになる──何か映画のなかの父と娘の関係を思わせる内容の歌だ。
 太鼓にあわせて歌いながら、姉は、太鼓の叩き手が弟であることを実感する。弟は、姉が自分が弟であると感じたことを知る。二人はしかし何も語らない。ただひたすら「沈清歌」の世界にのめりこんでいく。「パンソリ」のなかで出会い、こころを通わせる。
 「パンソリ」は朝鮮語で「場」と「声」を意味するという。二人は、このとき「場」を共有したのだといえる。
 家族の愛と憎しみ、憎しみながらも愛さずにはいられない関係。それはたぶん「場」の共有が作り出すどうしようもないものなのだ。切り離すことのできない不思議な力なのだ。
 「場」──と私は、とりあえず呼んだが、それはことばではあらわせない世界である。概念化できない力である。映画でも、それは言語化されない。映画では、その瞬間、すべてのことばが消える。「沈清歌」のことばは消え、風の音のような音楽が流れる。姉と弟の顔のアップ。涙と、頬の輝き。ことばのない旋律のをとおして、二人が過去を思い出し、つまり悲しみと苦しみを、そして悲しさや苦しさを共有したという喜び、一人で生きているのではないと実感する喜び──人間の充実を感じとる。このとき、姉は「沈清歌」の父のように、はっきりと人生を見たのだと思う。
 ことばがない、旋律だけ──のこのシーンで、私は再び「アリラン」のシーンを思い出した。旋律にあわせ、即興で自分たちの関係を歌にし、踊りながら丘を越えた日。たぶん、それと同じように、このとき二人はこころのなかで、即興の詩を歌いあげたのだ。父と姉を裏切って逃げた日、弟を失ない嘆き悲しんだ日、恨んだ日──そして、ただ再会できたこと、互いが生きていると知った喜び──それはあらゆる瞬間に同時に浮かびあがってくる。だから、ことばにはできない。だからことばにはしない。ただ「場」を共にもつだけである。「場」を共有すること、それが同時に「見る」こと、つまり理解することでもあるのだろう。
 「沈清歌」が終わり、二人は何も語らず別れる。だが、二人はいつでも出会えるのだ。「パンソリ」をとおして。それがわかったから、二人は何も語らないのだろう。
 映画のなかで何度か「恨を越える」ということが語られるが、「恨を越える」とは「パンソリ」をとおして、そのような出会いをすることだろう。そう思った。

パンちゃんの映画批評 目次
フロントページ