ファーゴ

 この映画で一番印象に残ったのは、早朝、女の警察署長に電話がかかってくるシーンだ。わざわざ署長に電話してくるくらいだから、事件である。普通は(普通の映画なら)、飛び起きて、現場へ駆けつけるはずである。
 ところが、この映画では、一緒にベッドにいる夫が、
 事件か? すぐに行くのか?」
 と、訪ねるところからはじまり、
 「朝ごはん食べていけよ、卵焼いてやるよ」
 「いいわよ」
 「卵焼いてやるよ」
 と、ぐずぐすした会話がつづくのだ。そして実際、眠そうな顔をして夫婦で食事をし、妻が出かけていく。夫はそのあとも食卓に座って皿の上のものを食っている……。

 とても奇妙だが、とても重要なシーンだと思った。これまでの「刑事物」あるいは「殺人物」には決して登場しなかったシーンであり、ここにこの映画の新しい視点があると思った。
 殺人にも日常がある、それがこの映画のテーマであり、その象徴的シーンが、捜査に出かける前、夫婦で朝食をとるシーンなのだ。
 女警察署長は妊娠している。食事は非常に大切である。そう知っているからこそ、夫は出かけていく妻を気遣い、卵を焼く。夫が気遣ってくれているとわかるからこそ、妻は夫が焼いた卵を食べてから捜査に出かける。なんでもないようなシーンだが、ここには確実な愛が描かれている。日常の愛が描かれている。

 日常−−このありふれた世界の象徴が、妊娠している署長である。
 妊娠している署長は、映画に特別な制限を与える。
 妊婦は走れない、過激な行動ができない。その署長が捜査をするのだから、殺人事件の犯人とのやりとりは、アーノルド・シュワルツネッガーやシルベスタ・スタローンのような具合にはいかない。日々繰り返される日常のリズムのなかでしか展開されない。
 そして、この日常のリズムでしか展開されない(制作する側からいえば展開しない)と法則が全編に貫かれているために、この映画はユニークなものになっている。
 犯人追跡のためによその町へ出かけても、女署長はランチの心配をする。おいしいか、値段は手頃か。そして、テレビで彼女を見たという大学の同級生に会い、デートを迫られもすれば、その男の話が嘘だったことも知る。(嘘をついて、署長に言い寄っていたのだ。)
 犯人は犯人で、車の運転でもめ、何を食べるかでもめ、女をどうするか(セックスをどうするか)なども真剣に考える。
 この映画の事件は、義理の父から金をだまし取るために、夫が妻の誘拐を犯人に頼むことから始まるのだが、その妻と夫、夫婦と妻の父とのやりとり、身代金をどうするかといったことも、非常に日常的というか、卑近的な視点で描かれている。
 身代金は犯人の指示に従い自分で持っていくという夫に、これは自分の金だからお前なんかにまかせない、と言い張る義父とか……。
 そうした描写の積み重ねで、人間の愚かさも優しさも浮かび上がる。
 そうしたシーンのなかでの秀逸は娼婦の描写である。犯人とセックスした二人の娼婦を、署長が尋問する。尋問、というより、質問かもしれない。犯人はどんな男だったか聞く。
 「ひとりはおかしな顔をしていた」というようなことを娼婦はしゃべるのだが、そのときの娼婦の、田舎っぽい赤ら顔が非常に健康的でいい。しゃべりかたも悪びれたふうもなく、健康的なところがいい。娼婦は娼婦で生活しており、これが自分たちの日常なのだと自覚し、そこから足を踏み外さない−−その不思議な力強さが見ていて気持ちがいい。頭が少し足りないような感じが、おかしくて、それでいて、奇妙な尊厳さもある。生きている、日常生活をきちんとしている、という感じが、じかに伝わってくる。
 そして、その娼婦たちが好きになってしまう。会ってみたいと思ってしまう。そんな感じだ。

 娼婦だけではない。犯人も、愚かなことを考えた夫も、金にがめつい義父も、女署長もその夫も、全員を好きになってしまう。気がおけない人間に思えてくる。これは、とてもいい感じだ。
 事件を解決したあと、女署長と夫がベッドに入っている。夫は画家である。切手のコンクールで絵が採用されたと話している。ただし、彼の作品は三セントかなにかの切ってであり、ライバルの画家の絵は二十セントか何かの絵である。三セントの切ってなど誰もつかわない、という夫に対し、女が言う。
 「消費税が上がればみんなが必要とする。みんなが使うわよ。」
 何でもない会話、単なるなぐさめの会話にも聞こえるが、違う。
 ここには日常への限りない愛がある。
 すべてのものにそれぞれの存在価値があり、その価値には上下はない。それぞれがすべて生きている。生きて自分と社会とを結んでいる。社会は、その結びつきで営まれている。どの結びつきもなおざりにしてはいけない。どの日常も大切にしなければならない。そうした愛が込められている。
 そのメッセージが、声高にではなく、ユーモアのなかで静かに伝わってくる映画だった。


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