秘密と嘘

 一人の女性(白人)の前に、娘だと名乗る女性(黒人)があらわれる。
 その出会いの描写が印象に残る。カフェ。二人は横に並んでお茶を飲み、話す。背後には、だれもいないテーブル。広い空間。その背後に入り口。通りの様子が、ガラスの扉越しにうかがえるが、人が入ってくる気配はない。
 人は普通、向き合って話す。目を見つめ合って話す。だが二人は向き合いたくない。少なくとも母親の方は向き合いたくない。どうしていいかわからないのだ。何を話していいかからないのだ。彼女は自分の過去とだけ向き合っている。というか、過去の一番重苦しい部分に背を向け、目をそらしている。過去を見つめたくないというのが、彼女の過去に対する見つめ方である。
 その感じが、非常に象徴的に表現された場面だった。
 若いときに過ちで(たぶん彼女だけの過ちではないだろう。けっして語りたくない過ちのために)出産した。そして養子に出してしまった。それは誰にも語ることのできない秘密なのである。
 母親にとって、それは「空白」のままにしておきたい過去である。「空白」であるかぎりは、なんとか平穏に生きていける。
 だが、「過去」から、忘れようとしていた娘があらわれる。それも懐かしい思い出ではなく、けっして思い出したくない出来事とともに。だからこそ、母親は、娘に「父」がどんな人間だったかを語らない。
 「空白」のまま、その「空白」の衝撃を受け止めている。「空白」であることの衝撃に打ちのめされている。

 次に二人が会うとき、二人は、向き合って話す。相手を見つめる。向き合った顔を通して、相手の背後、話し相手がたどってきた過去を見つめる。
 どんなふうに両親に愛されてきたか、どんなふうに生きてきたかを訪ね、答える。そのとき「空白」だった部分が、少しずつ埋まっていく。生きる可能性、生きられたかもしれない可能性として、埋まっていく。それぞれの「空白」は「空白」のままとして、二人は共有できる「空間・時間」を作りはじめるのだといってもいい。
 無残な「空白」、虚無というべき部分から、生まれかわり、生きはじめる。
 その変化を母親役のブレンダ・ブレッシンが生き生きと演じている。
 彼女にはもう一人娘がいる。その娘の父親はいない。母親を捨てて逃げたのだ。そのために母は娘に負い目を感じている。娘の行動にびくびくしている。自分を愛してくれているだろうか。ちゃんと生きているだろうか。娘を愛しながら、どう愛をつたえていいかわからず、どう見守るべきかもわからず……。
 それが、突然あらわれた「娘」によってかわっていく。「娘」は「母」を愛している。それは彼女にとってのはじめての愛だった。「娘」は彼女を愛してくれたはじめての人間だった。本当は恨まれ、憎まれてもいいはずの人間なのに、「母」をとがめず、「母」を愛してくれている。
 その充実感のために、「母」は突然輝きはじめる。一緒にくらしている娘にびくびくしなくなる。自分の人生を(過去からあらわれた「娘」との人生を)一生懸命生きはじめる。
 「過去」と「未来」をひっくるめて、「現在」を輝かしく生きはじめる。
 ブレンダ・ブレッシンが随所で見せる笑顔に幸福な気持ちになる。

 三度目の大きな出会いは、「娘」と「母」の家族との出会い。
 「母」は「娘」を、彼女の家族に引き合わせようとする。「娘」の妹、「娘」の義理の兄(「母」の弟)、義理の兄の妻、妹の恋人……。
 最初は「母」と「娘」の関係を語らないつもりだった。秘密にしておくつもりだった。仕事場で知り合った友達という嘘を押し通すつもりだった。
 ところが、「母」は本当のことを語りたくなってしまう。みんなで小さなテーブルを囲み、向き合って話しているうちに、語りたくなってしまう。秘密と嘘を押し通せなくなってしまう。(本当は、もっと様々なことが起きるのだから、こう、ストーリーを省略してしまうと、少し誤解を招くかもしれないが……)
 みんなと向き合い、それぞれの背後にそれぞれの過去を見、「母」は、たぶん、自分の充実、今生きている喜びが、「過去」を秘密にし、「現実」を嘘でかためたままでは中途半端なものになると感じたのだと思う。
 その切実な不安、こころの葛藤が、食事のシーンの気配りの描写などに、くっきりと出ていて、ブレッダ・ブレッシンの演技を見ていると、はらはらどきどきしてしまった。
 ついには、「母」は「過去」を語ってしまう。それは「現在」を語るということでもある。そこから「家族」のいざこざが始まる。「過去」に驚き、それぞれの「秘密」と「嘘」に驚き、激しい波瀾がある。
 波瀾と、そのハッピーエンドの顛末は省略するが、最後の美しいシーンについて、書いておこう。
 家族は和解する。最後のシーンで、二人の娘は、母の家の庭にあるがらくた置き場(物置)を見つめている。母も、そばでそれを見つめている。もう使えなくなった椅子やテーブルなどのがらくた。物置も屋根も破れれば窓も壊れている。何もかもが壊れているのに、そこにあるものを懐かしく見つめる三人。
 秘密と嘘がなくなったとき、過去は、それがどんな形になっていようとただ美しく、懐かしい。いとおしい気持ちでじっと見つめることができる。
 その、過去を見つめる三人の目の、おだやかな輝きが、いつまでも胸に残る映画だ。


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