ポネット

監督 ジャック・ドワイヨン 主演 ビクトワール・ティビソル、D・シルツ、マチュアス・ビューロー、カトン

和美(6月30日)
 おととい、『ポネット』を海遊館ホールで見ました。
  これだけ、人の感受性によって受け取り方がわかれる映画もあるんですね。
  私は、映画の最初、はじめてポネットが涙を流すシーンで、演技力の高さにびっ くりし、そして映画が進むにつれてそれが演技であることを忘れ、ひたすらポネット の悲しみを想い、涙しました。
  さほど映画にも詳しくなく、そして批評を書けるほどの文章力もない私だから、 純粋に物語として受け止めることができたのでしょうか。
  映画を作った人たちがどういう意図でこの映画を作ったか、それをいろいろな言 葉で批評されていて、ああ、こういうふうに違う観点から物事を考える人がいるんだ なって、すごいなと思う反面、なんとなくそういう観点でしかあの物語をとらえるこ とができない感受性をかわいそうにおもいます。
 実際、映画を作った人が『ポネット』の中で一番何を言いたかったのか、私にはわ かりません。ただ、私は、ポネットを自分自身におきかえて考えた時、本当に大切な 人を失うことの悲しさ、どうしようもない切なさ、死んでしまったことを認めたくな い気持ち、できれば帰ってきてほしいと願う心が痛いほど、胸にしみます。
 大事な人が死んでしまい、それを認めたくない時、時間がその傷を癒すほかにどん な手だてがあるでしょう。まわりから何をいわれても救われないはず。ましてや4才 の女の子ならなおさら。夢でもいい、何でもいいからその大事な人を感じたいと願う のは人間としてごく自然なことだとおもいます。
 『ひたむきで純粋な気持ちを映画は描きたかった、と言うにはあまりにも無理があ る』とおっしゃってましたが、以上の理由で私は無理があったとは思えません。
 これから私が『ポネット』について、まわりの人から感想をきかれたら、きっと 「いい映画だったよ」と言うでしょう。
 詳しいこと知らないくせにいろいろ書いてすいませんでした。 
石橋尚平(6月12日)
shohei@m4.people.or.jp
★★★★の「ポネット」を褒めます!!・・・パンちゃんと視点を異にしますが。「退屈」・・・分かります。そうでしょう。「大人の感動のダシに使うな」・・・そう言いたい気も分かります。でも私はこの映画自体が映画的で純粋なのだと思います。監督のドワイヨンはもともと緊迫した心理劇を得意とする人なんですね。だから子供を使うとどうなのかと思ったのですけど。私は冒頭に病院でギブスのついた手の指を吸うポネット・・・その後車の助手席での思い切りのアップショット。これでもう映画に入ってしまいました。実は体調悪くて眠くて退屈だったけど、その後も一貫して「子供」にアプローチしている。この「子供(たち)」がリアルに感じたからです。妙に物語を盛り上げるわけでもない。だけど映画的な何かを伝えているのがよく分かるのです。むしろお母さんの死を信じられない純真なポネットという設定がうさん臭くて余計なくらい・・・。ポネットにおまじないを教える女の子、ピストルのおもちゃで殺してという少年(ポネットに踏まれる)、ごみ箱に閉じ込められ泣くポネット・・・すべてが自然なカメラワークの元にとらえられている。お母さんは優しそうな美人でもないし、むしろ声が低かったりする・・・。ドワイヨンは映画に誠実で映画的であろうとしているから安易な期待や「子供の純真」という設定に安易に従おうとしないんではないでしょうか。純真な幼児と優しいママの最下位を期待するんだったら、「みなし子ハッチ」や「母をたずねて三千里」を観ればいいわけで。私は最後の車の後部座席(助手席ではなくて)に乗ったポネットが去った後、カメラが上方にパンし、ポネットの言葉(「楽しむことを学ぶ」)をかぶせながら、木の枝を映して白く画面がぼけていく。誰でも思いつくようなありふれたシーンの撮り方だけど、私はこの最後のシーンがなぜか忘れられません。
ひさこ(5月28日)
itym_h@riverhillsoft.co.jp
映画を見て、がっかり…。予告を観ただけで、泣きそうだったのに…。
実際観てみたら、「なに?」の連続。中には泣く人もいたけど、そんな人は、「ブラス!」を観たら、号泣して上映に差し支えるかもしれない。確かに子供なのに演技っていうかうまいよ。
フランス人ってホント子供の頃から、恋愛にたけてるのね〜。って思うし…。
私は、星1つ。安い値段で観たから、良いけど1800円だったら私は「金返せ!」状態かも…。
「ブラス!」の項目で、沖縄の件を目にしました。あまりの事に言葉を失いました。酷すぎる…。配給会社に言ってやりたい。本当に酷すぎる。
なるべくなら映画を愛する人が、映画に携わって欲しいです。
パンちゃん(★)(4月30日)
 涙が出ました。退屈で。そして、ばからしくて、また、怒りで。
 この映画はいったい誰に見てもらいたいと思い、作ったのだろうか。
 4歳の子供だろうか。しかし、ここに描かれている4歳の少女の心理と笑顔で生きなければならないという哲学は、4歳の子供にはわからないのではないだろうか。天国のママに会いたいという気持ちそのものも4歳の子供にはたぶんわからないだろう。この映画で描かれている他の子供たちの心理(母親が死んだ子供の悲しみを見て、慰めようとする気持ちと同時に、いじめてしまえ、もっと悲しませてやれ、という交錯した気持ち)が普通なのであり、そうした普通の心理状態にある子供たちに、ポネットの気持ちなどわかるわけがない。変な子、という印象しか与えないだろう。
 大人に見てもらいたいと思い、作ったのだろうか。4歳の少女の純粋な気持ちを伝えたかったのだろうか。もしそうであるなら、最後の母との再会のシーンはひどすぎる。実際にはありえないことをありえたかのように描き、これが4歳の少女の見た「現実」だ、というのはひどすぎる。死者が蘇らないことは、大人は十分に知っている。少女が母親の幻影を見るかもしれないということもわかる。しかし、その幻影によって4歳の少女が笑顔で生きることが大切だと教えられるということは、あまりにも大人の観客をばかにしている。そんなふうにあって欲しいと願う大人の欲望が描かれているだけで、少女の心理など、そこには描かれていない。
 笑顔で生きなければならない、というのは、様々な苦労を生きてきた大人の哲学である。絶対に子供の哲学ではない。子供は悲しければ泣き、うれしければ笑う。怖ければおびえる。現実とぴったり重なり合って、離れることができないからこそ子供なのだ。
 途中に、様々な子供たちによってとらえられた大人の世界、独身だとか、愛人だとか、ボーイフレンドだとかの言葉がでてくるが、それは子供たちが直接知っている「大人の現実」というものであり、その視点は子供の背丈そのままで、どこまでも子供の見たままのいい加減なものであるからこそおもしろい。わからない現実をわからないまま、覚えたての言葉で描写する。子供は現実から離れることができないから、そんなふうにしか世界と触れ合えないものだ。
 そうした子供に、かってに大人の哲学を押しつけて、いったいどういうつもりなのだろうか。
 一方で子供の世界を正確に描き、その一方で、大人の哲学を子供におしつけ、一方的に押しつけた大人の哲学に感動しろ、と強要する映画----なんとまあ、ばからしい作品であることか。
 何もわからず、大人の一方的な哲学を演じさせられた主役の少女がかわいそうでなりません。
 自分の感動のために、子供をだしに使うな。
もっともっと怒った文章はこちら
とかげ王(★★)(2月8日)
lizard@osk2.3web.ne.jp
http://www2.osk.3web.ne.jp/~lizard/
この映画には随分期待しましたが、ちょっとがっかりでした。
確かに主役の少女の演技には目を見張るものがありましたが。
不必要にだらだらと長いシーンが目立ったし、最後の母親が登場するシーンに至っては、「なんで死者に生きることを教えられなあかんねん!」って突っ込みたくなった。
どんな結末が待ち受けてるのかと期待してたんですが、あれじゃぁあんまりですよ。予告をみて、筋書きを頭の中で勝手に作っちゃったのがいけなかったんでしょうけどね。
しかし、子供同士の会話やキスシーンの過激さには笑っちゃいました。
フランス人の筋金入りのスケベなわけが、よく分かりました(笑)。
pinochang(1月21日)
pinochang@hotmail.com
アラー、びっくりよ。なんか子供ちゃんが演技上手いのよ。隣の席で姉ちゃんが泣いていたものね。名前忘れちゃったけど、あの子かわいいわぁ。話も、次元が高すぎるわけでもない、低すぎるわけでもない。わかりやすくて○。
pinoは★★★と半分。