カミングスは作曲家である CUMMINGS IST
DER KOMPONIST
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ESA-PEKKA SALONEN (b.1958)

    


コンサート・ホールで聞こえてくる周囲の人々の会話には結構面白いものがあって、最近では、芥川のエローラ交響曲の初演を新宿コマ劇場で聞いたご高齢のお二人による、

    「『三人の会(芥川、黛、團)』はいい奴から死んだ」


発言には、若杉のつまらない「軍隊」の演奏を取りやめてでも話の続きを聞きたかったもんです。同じように、土曜日の夕方、元麻布は仙台坂のとあるウェイティング・バーにいると、色々な話題が周囲から聞こえてきます。遅れましたが、どうも、St.Ivesです。

おや、向こうの窓側のテーブルから、私の悪口が聞こえてきましたねえ、そう言えば、タワー池袋で物色していたらFCLAのとある人(結構書いている人ですよ)は誰も買えないようなレコードやCDしか話題にしないという会話が聞こえたことがあり、思わず苦笑してしまいましたが、私が遡上にあがるとは。ちょっと耳をすましてみましょうか。

A:「St.Ivesは20世紀音楽部屋(注:Niftyserve内FCLASの一つの部屋)で偉そうなことを色々書いていやがるが、実は泰西名曲ばかりしか聞いてねえな。だから「私は作曲家だ」(注:FCLAでの当ページの名称)で過去の指揮者の作品ばかり取り上がりやがるんだ。」

B:「クレンペラーは兎も角、パレーとは余りに意外。常日頃の言動からしてギーレンやエトヴェシュを取り上げると想定していた」

C:「あるいは、シノーポリ。きっとあのシリーズは最終回にながーいシノーポリ論を持ってくるつもりなんだよ」

A:「ギーレンなんざ多分聴いちゃいねえ、インターコードのCDもベートーヴェンの英雄と田園だけ聞いてディスク・ユニオンに流しているだろうし、エトヴェシュに至っちゃあ作品すら聴いたことがないと俺は睨んでるね。シノーポリは4年ほど前にクラコンが在った頃に何か書くとかほざいていたが、多分書かない、いや書けねえだろ。ほら、St.Ivesは「和解のレクイエム」の作曲家達を取り上げたことがあったが、結局途中で放棄しているしな。そういうやつなのさ」

B:「シノーポリは比較検討すべき音源それ自体が存在しない以上、そもそも取り上げることそれ自体が無理なのではないか?」

C:「エトヴェシュは去年(1996年)秋吉台で聞いたって書いてたよ」

A:「エトヴェシュはそれが初めてだろ、シノーポリは知らんね」

うーむ、「和解のレクイエム」の場合は、バーナード・ランズのCDが手に入らず結局そのまま止めてしまったんで、反論できないんですけど、エトヴェシュは10年ほど前に国内盤で「チャイニーズ・オペラ」という作品集がでていて、数多くとは言えないまでも一応聴いたことがあるんですが。しかし、秋吉台で売っていた最新CDを買い損ねたのは今となっては痛手ですね、あんまり高かったんで東京に戻って買おうと思ったのですが、いまだ見つけられません。一方、シノーポリは、「おいおい、イツの時代の作品だ?」としかファンの私ですら思えない「ルー・ザロメ」しか聴いたことがないんで、取り上げようがないです。ギーレンは、おっと会話の続きを聞かないと、おや向こうのおじさんも耳をすましているぞ。

A:「いいか、どうせ取り上げるんなら、若手。若手をとりあげねえといかん。エトヴェシュなんざもう若手じゃねえし、ギーレンに至ってはじじいだ」

B:「では、誰を貴君は挙げるのかね」

A:「サロネン」

ほほう、サロネンですか。確か、かっこうさん(注:FCLASの常連さん)の「ジュネーブ通信」(勝手に命名)によるとフランス4誌のグランド・スラムをかっさらったレブエルタス作品集や、マーラーの交響曲第3番など評判になったCDもありますが、いかんせん日本ではその知名度・人気は残念ながら今一つ。1997年5月東京におけるラトルVSヤンソンスVSサロネンでは、最下位の入りだったのではないでしょうか。えっ、曲目に問題があった、その意見は却下します。まあ、私の好きなリゲティをおいといたとしても、ストラヴィンスキーやラヴェルなどで実に素晴らしい演奏を繰り広げてくれただけに、とても残念な話です。おっと、驚きの声が聞こえてきましたねえ。

C:「サロネンって、作曲家だったの!○○知らなかったあ」

B:「小生も初耳である」

A:「おいおい、『○○知らなかったあ』なんて幼稚園児じゃねえんだから、自分の名前じゃなくて人称代名詞ぐらい使えよ、それにサロネンの振ったCDの解説書読んだこと無いのかい、これだから困るねえ。向こうじゃエサ・ペッカ・サラステと音楽集団を組んで色々とやっているんだぜ。最近も、母国フィンランドのレーベル『フィンランディア』から作品集が出たんだしさあ。ちゃんとチェックしとかねえと、企画貧乏の音友がやるだろう『読者の選ぶ私だけの名曲』に応募できねえぜ、まあ専門家のくせにラフマニノフの交響曲を推薦するやっこさんももいるぐれえだから、サロネンくらい見落としといても問題無えかもしれんけどな」

そうそう、確かに出ていました、こんなCDでしたか。


ESA-PEKKA SALONEN (b.1958)  COMPOSER

1.MIMO II オーボエとオーケストラのための(1992年)
2.YTA I  アルト・フルートのための(1982年)
3.YTA II  ピアノのための(1985年)
4.YTA III チェロのための(1986年)
5.アルト・サクソフォン協奏曲 (1980-81/83年)
6.FLOOF ソプラノと5人の奏者のための(テクストはスタニスラフ・レム)
     (1988/90)
FINLNDIA 4509-95607-2


このうちサロネン自身が指揮している曲は、1曲目、5曲目(いずれもフィンランド放送交響楽団)で後はソロ作品でしたっけ。続きを聞かないと。

B:「その作風たるや如何」

A:「オーボエ協奏曲は、一聴するとメシアンか武満かと思わせる聴きやすさだな。これが、10年前に作曲されたアルト・サクソフォン協奏曲ときちゃあ、点描的なところや現代音楽的な不安げな響きやハチャメチャな響きもある曲ときたもんだ。まあ、オーボエ協奏曲の方は30歳になるかならねえ頃だし、1980年代初頭といやあ、ズブズブに腐ったメロディアスな曲や、折衷様式が一般に流行る前で、『先生達』の作風を真似する必要もあったんだろって」

まあ、ズブズブに腐ったメロディアスな現代曲は私も嫌いですが、それはともかくサロネンのアルト・サクソフォン協奏曲と、オーボエ協奏曲と彼が呼んでいる「MIMO II」とは作風的にそう離れているとは感じないんですがねえ、確かにオーボエ協奏曲、出だしは武満の後期の作品かと思う響きが随所に現れてきますが、それと比較したところでアルトサクソフォン協奏曲がそう滅茶苦茶に複雑な響きとは思えません。耳障りではない豊かな響きの作品だと思いますよ。

B:「どちらの作品が真の姿なのか。いかんせん、聴いたことがない故に判断のしようがないのもまた事実であるが」

C:「ほかにないの、サロネンの曲は、○○もじゃなかった、私もききたーい」

A:「FLOOFというのがちっとは面白い曲だな、まあ、これもベリオのセクェンツァIIIやブーレーズのルー・マルトーの前には月とスッポン、暖簾に腕押し、馬の耳に念仏だな」

暖簾に腕押し、馬の耳に念仏の意味はよくわからないんですが、ルー・マルトーと比較して月とスッポンはちょっと言い過ぎじゃないんですかねえ、変な江戸言葉を使っている方?確かに奇妙な発声が多いことからセクェンツァIIIと比較したい気分も分かるんですけど、FLOOFはベリオで言えばソプラノとハープとチェロのための室内楽の方が雰囲気的には近いでしょう。それにアルトサクソフォン協奏曲を点描的と言うならば、FLOOFの方がまだ点描的な部分もあるんですけど。いずれにせよ、作品集では一番面白い作品でした。おや、向こう
のおじさんがバーテンダーに何か言っていますねえ、そうですかバーテンダーの名前はジェイクと言うんですか、知らなかった。おじさんは帰るようですね、三人の会話はまだ続いているようですが、私もそろそろここを退散するといたしましょうか、サントリー・ホールに向かわないといけないし。

C:「そう言えば、最初にサロネンはサラステと組んで音楽集団を作ったって言ってたけど、名前はなんていうの?」

A:「Avanti!


99/05/15(土)17:00〜17:55