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アルディッティ弦楽四重奏団の20世紀マラソン

2000年5月27日 13時00分 タケミツ・メモリアル・ホール


演奏
アルディッティ弦楽四重奏団

プログラム

第1区間(13:00〜14:00)
ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための3つの小品 (1914)
ヴェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章 op.5 (1909)
ファーニホウ:弦楽四重奏曲第3番 (1986-87)
ベルク:弦楽四重奏曲 op.3 (1910-24)

第2区間(15:00〜16:00)
バルトーク:弦楽四重奏曲第3番 (1927)
リゲティ:弦楽四重奏曲第2番 (1968)
クルターク:弦楽四重奏曲第2番「セルヴァンスキー追悼の短いオフィチウム」 op.28 (1988-89)
クセナキス:「テトラス」 (1983)

第3区間(17:00〜18:00)
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」 (1923)
リーム:弦楽四重奏曲第10番 (1997)
アンドリーセン:「死に向かって」 (1990)

第4区間(19:00〜20:00)
シュニトケ:弦楽四重奏曲第2番 (1980)
細川俊夫:「沈黙の花」 (1998)
西村朗:弦楽四重奏曲第2番 (1992)



満足した前半
不満が残る後半

第1区間
  ストラヴィンスキーとヴェーベルンはご挨拶といったところで、(特にストラヴィンスキーは)気楽に聴けました。ただ、ストラヴィンスキーの音が鳴りはじめてチェロの音が反射して上や後方からも聞こえて来たのには閉口しましたけど。
  3曲目のファーニホウは、まさか実演でも(多分)CD並の演奏を繰り広げてくれるとは思ってもいず、後から思うと、当日の演奏のピークの1つとなっていました。不思議なことに、家でCDを聴くよりも各奏者の音が分離して聞こえたように感じたのは、演奏の様子を見ながら音を追えたからかもしれません。もっとも、聴いていると直ぐに迷子になって相対的に音の少ないチェロの音を追いかけていかざるを得ませんでしたし、果たして楽譜の音が鳴っていたかについては、家で楽譜を見ながらCDを聴いていても皆目見当がつかない状況なので、当日も全く分かりませんでした(楽譜通りに完璧に演奏しているかは、作曲家本人でも判別不可能だと思うんですがねえ。ファーニホウの弦楽四重奏曲の楽譜は、64分や128分音符だらけで、中には256分音符何かも混じっているし、臨奇記号と臨時音が所狭しと並んでいて、デジタル的にfffからpppへ(あるいはその逆)がざらという、作曲家が見た目の面白さを狙っているかのような音符と記号で埋め尽くされた真黒な譜面です)。
 ベルクは、音に本当はもうちょっと色気というかつややかさが欲しいのですけど、それを彼らに求めてもしょうがなく、その点を除けばがっちりとしたいい演奏でした。

第2区間
  まずバルトーク。全体的に演奏が雑然としていて、音も軟く、テンポも遅いときて、こりゃひどかったです。ベルクではがっちりした演奏を聴かせてくれたのに、何故バルトークとなると、4番も含めて、かくも詰まらない柔弱な演奏になるのか?不思議な話です。ともかく、今年1月のロータスSQのコンサートの方がはるかに緊密でスピード感、迫力ともにある演奏でした。
  続くリゲティは一転して精妙な演奏(楽譜指定とおり最初に10秒近い休拍を実行していました)。ラサールSQや彼らの2度目の録音には存在する、静謐さや浮遊感には乏しかったのは残念ですけれども、全くもって雑な演奏であったバルトークの後でもあり、細かく動く音の粒も揃っていましたし各奏者の線の絡まり具合も良好で、この演奏には大変満足しました。
  クルタークは、ふっと聞えるセルヴァンスキーのメロディーと微細な音響(ヴェーベルンの引用も含まれる)が交錯する、静謐で箱庭的な美しさを感じさせてくれる演奏でした。
  リゲティ、クルタークと中々よい演奏が続いたのですが、この区間、あるいは当日のコンサートを通じたピークは最後のクセナキスにありました。何とも形容しがたいグリッサンドやノイジーな響きが強烈にぶつかりあって盛り上がっていく様は、CDで聴いていた以上のもので、本当に凄かったです。

第3区間
  ヤナーチェクは、バルトーク同様に詰まらない演奏でした。どこかで、彼らはヤナーチェクは退屈で演奏しないという発言をしていたように記憶していたので、全く弾きなれていないだろうから期待はしておらず、その期待しない程度の演奏でした。
  一方、初めて耳にするリームの10番は、演奏は奮闘しているのはよく分かるのですけど、曲自体があまり面白くありませんでした。弱音のピチカートに終始する1楽章はともかく、所々で民謡調の曲が浮かび上がって変化をつけてくれるものの、延々と狂気乱舞状態(コル・レーニョだらけ)で推移する2楽章は、結局ダラダラと音を垂れ流しているだけで、いい加減に飽きて来るものでした。最後の3楽章は、曲の詰まらなさや、これまでの区間の疲れが出てしまったのか寝てしまい、記憶は殆どありません。この曲で彼らは相当体力を消耗しただろうと思うと、取上げてくれなくても良かったのにと後から思いましたが。
  続くアンドリーセンもまたしょうもない作品でした。解説を読むと、ビ・バップ調の明るい曲調がどれくらい奇妙に変容していくのかと期待させるものなのですが、リズムも音形も全曲を通して全くといっていいほど変化せず、音色も多少くすんだ程度で終わり、「それだけ?」と呆気に取られてしまう詰まらない作品でした。なお、アンドリーセンご本人は、アルディッティに舞台に引っ張りあげてもらって、うれしそうに全奏者と握手して一緒にお辞儀していました。

第4区間
  今回の演奏会で第2区間に並ぶ楽しみな区間でしたが、結論から言えば「期待はずれ」。やはり11曲、休みを挿みながらとはいえ3時間に渡って難曲を演奏した後では、さすがのアルディッティでも十分な演奏は無理でしょう。
  1曲目のシュニトケは、全体に横浜でのコンサートと比較して雑な演奏になっており、特に2楽章は、音が鳴らないは、アクセントをまともに付けられないは、と最悪の出来でしたし、3楽章、4楽章のハーモニクスも精妙さに欠けていて、横浜での感じたような聖歌か民謡かのメロディーがふわっと上がってくる際の感動は覚えませんでした。
  続く細川は、CDを聴くと、前半の強烈なアタックやピチカートや吹き荒ぶ一陣の風のようなフレーズが印象的な私好みの曲なのですが、本日の演奏では、全くもってその当りの表現が弱く、弱音でのトレモロの効果も減殺されていたほか、後半は緊張感も全く保たれず、前半の鈍い演奏とあいまって実に退屈な時間となっていました(ピチカートの鈍さについては、リゲティでは問題なかったので、残響過多のホールのせいではないでしょう)。CDを聴いて大期待をして臨んだので、とてもがっかりな演奏でしたが、細川は、舞台へ自力で攀じ登り、にこやかに全奏者と握手して何度もお辞儀していました。うーむ、ドナウエッシンゲンのライヴ録音と大分様子が違うってもいいのだろうか?
  トリの西村。大阪でのロータスSQ(5月13日)の演奏と違って、今夜の演奏を私は楽しめませんでした。まず、モットーのように何度も曲中に現われる稲妻のような音形が、冒頭こそまだしも強烈な切れをもって演奏されていたものの、その後は現われるたびに奏者のタイミングがずれたり、音がまともに出ていなかったり、切れがなかったりと冴えません。さらに楽しみにしていた第2楽章のホケットも、てんでバラバラで、リズミックな掛け合いの面白さもなく、倍音での「虹」も現われず、強弱のメリハリも弱いのでコーダへ向かって推進力を伴って盛り上がっていき方が中と半端で、この曲の凄さも美しさも皆目ない演奏でした。本当に演奏者立ちは燃え尽きてヨロヨロとゴールに倒れこんでいくのをかろうじて踏みとどまって何とか作品の体を成しているように演奏している感じで、マラソンならばそれでもいいのですが、音楽作品の場合にはそれでは困るわけです。西村も細川同様に会場に来ており、終演後、にこりともせずゆっくりと舞台脇の階段を上がって、アルディッティと握手しただけで、来た時同様ににこりともせずにさっさと席に戻って行きました。

 こうしてみると、仮に今日のような連続演奏会をするにしても、第1区間と第2区間、第3区間と第4区間とをそれぞれ纏めた2部構成にして、第1部と第2部の間に数時間の休憩を置き、後半も万全の体調で演奏に臨めるようにして欲しかったなあと思いました。

 とはいえ、素晴らしかった第2区間をはじめとして、前半は十分満足いくコンサートでした。また、演奏に不満足であった後半も、詰まらない作品が多かった第3区間や、彼ら以外あまり取上げないだろう傑作群の第4区間も、実際のホールでどのように聞こえるかが確認できる機会を与えてくれたという意味では、良い企画でした(でも、第4区間は彼らならばもっと素晴らしい演奏ができるだろうにと思うと残念至極です)。