遠いコンサート・ホールの彼方へ
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2002年12月28日

2004年4月3日

シュトゥットガルト州立歌劇場

Franz Schreker

Die Gezeichneten


LeitungLothar Zagrosek

Inszenierung:Martin Kusej

SpielleitungBirgit Kadatz

Buhne:Martin Zehetgruber

KostumeHeide Kastler

Licht:Reinhard Traub

ChorMichael Alber

DramaturgieKlaus ZeheleinHans Thomalla

アドルノ公爵:Wolfhang Probst

タマーレ伯爵:Claudio Otelli

市長:Wolfgang Schone

カルロッタ:Eva-Maria Westbroek

アルヴィアーノ:Gabriel Sade

マルトゥッチャ:Margarete Joswig

ピエトロ:Heinz Gohrig

(貴族達他は多数につき省略)

シュトゥットガルト州立歌劇場管弦楽団&合唱団

10分ほどの序曲が始まり、やはりシュレーカーの最高傑作はこのオペラだよなあ、と思わせる艶やかで夢幻的な音が聞こえてくると、舞台上はそうした音楽とは若干異質な舞台が。スチールで組まれた横に移動する足場、そして、その手前の舞台に穿かれた水溜まりに、全裸で白塗りのアルヴィアーノがすでにいまして、曲にあわせて苦悶の表情を浮かべつつ身をよじり、水中から取り出した鏡をみてそれに拳を打ちつけると真っ赤な血が流れるという、こうした行為が、これこそあの「はるかな響き」そのものなんじゃないかという、美に焦がれるように盛り上がっていく旋律にあわせて行なわれるので、見る人の目を釘付けにしてしまいます。この段階で、ほぼ当夜の成功は間違いないんじゃないかと思いました。まあ、前々日にとっても酷いものを見た反動と言うこともありますけど。
 (下もすっぽんポンです)


さて、本日の演出、血やネチャネチャした感じをかなり表に出しているので、人によっては吐き気がするかもしれない、今では感じられない初演時の衝撃を再現しようという、そういう意図かと思われるものでした。
例えば、第1幕、アルヴィアーノの自宅に来た若い貴族達は、イタリアっぽい白からベージュ系のカジュアルだけど高そうないでたちなんですが、どこか赤い血で汚れいて、登場時も皆でビニール袋に入った赤い血を回し飲みしていて、それを唾と共に吐き出す。
 (ちょっと分かりづらくてすいません)


第1幕後半、家政婦(マルトゥッチャ)が登場する際には、生卵を何個も何個も割っては、白身をたらたら流しながら歌うし、第3幕でこの家政婦がピエトロに連れ去られる時には、首をナイフで掻き切られて血が出るわで、前の席の老夫婦は第一幕終了と同時にご帰宅されました。もったいない。
さて、演出上の面白さと言えば、続いては、アドルノ公爵。ドン・コルレオーネですかという感じで舞台に登場、当初は彼の座っているところが暗くて、葉巻の火と彼の苦々しげな声は聞こえるが表情は見えない。

 (アドルノ公爵は座っていた椅子にタマーレが今は座っています)


主要登場人物カルロッタは見ての通りです。キスリング、マン・レイ、モジリアーニをはじめとしたモンパルナスの画家たちの女王であったキキを意識した感じです。マン・レイの写真で見るキキというよりは、キスリングの絵に近い、若干大柄で背を高くした感じ、そして20年代風のショートカットの髪型にした感じでした。




そして第2幕後半のアトリエのシーン、すでに閑古鳥氏こと長木氏のHPでごらんになった方もいると思うのですが(現在は閉鎖されています)、舞台転換の音楽の段階から暗闇の中でフラッシュが焚かれ、異形で無理なポーズを取ったアルヴィアーノをカルロッタがカメラで写しているという設定。シュレーカーの台本では、カルロッタは画家ということになっていまして、実際レコ芸連載の「ムーサの贈り物」にもルネサンス期のしたたかな女性画家達が紹介されていましたけど、当夜は時代設定を現代に移していることや、画家では動きが少ないということを考慮して職業写真家変更でしょうが、これが曲とマッチしていましたし、二人の(歌による)会話の最中もフラッシュが焚かれると、アルヴィアーノ役と同じ風体でその時のポーズで静止した役者が舞台奥に現れ、どんどん舞台に彼女の作品が現れる(最後にはカルロッタの色である青の絵の具で塗りたくられる)という趣向でした。
 (背景にちょっとぼけていますが、写真に取られたアルヴィアーノ達がいます)


CDで聞いているともっとか細い感じの女性像を想像するのですが、当夜のカルロッタは行動的でして、一箇所、ポーズをとるのに疲れてぐったりしているアルヴィアーノを足で転がしたのが、演出的にミスマッチかとも思いましたけど、それ以外は違和感は感じませんでした。

 (上の写真同様にぐいっと首の向きを変えたり)。

 (写真撮影で疲れたアルヴィアーノは寝てしまいます)


そして、CDを聞いているとどうやって演出するのだろうかと思わせる第3幕、地上の楽園、イリジウム島の祝祭のシーン。映画のグリーナウェイ的映像マジックでも使わないと無理なんじゃないと思ったのでしたが、まあ、やはり舞台上なので限界はありまして、特に長い序曲の間舞台を持たせるのにはちょっと苦労したかなという感じがしました。ヨーロッパの宮殿、例えばベルサイユとかにある「鏡の間」のように壁全体が鏡で覆われていて、その合間を全裸で白塗りのニンフ役たちが歩き回る、それを現代の市民たちが物珍しそうに観光客としてカメラでパチパチっていくというシーンが延々と続きまして、ちょっと退屈。そして、現代なんで地上の楽園と言えばドラッグ&セックスだろうと思ったとおり、市民たちの興奮が高まるに連れてフリー・セックスの島という感じになっていきました。ただし、シュトゥットガルト州立歌劇場合唱団にはキーロフ歌劇場合唱団がプロコフィエフの「炎の天使」で見せた根性はなく、全裸にはなりませんでした、もっともそれを期待して観に行ったわけではないのですけど。
 (この程度、下着つけたままです)


最後のシーン、ここは演出に対して私はちょっと疑問点がありまして、アルヴィアーノがタマーロを銃で撃った後(オリジナルは剣で刺し殺す)、カルロッタの間際の言葉を聞いてアルヴィアーノは発狂するのですが、当夜は、銃で自殺を試みて、それすら出来ない(メタファーは第2幕とタマーレとの会話で明らかなように彼が不能ということですな)となって最後のセリフに至るとしていましたが、私は銃で自殺を試みるシーンは必要なく、役者の表情の変化だけで十分かと思いました。
 (後ろの血まみれの人々は、乱交パーティの挙句殺された貴族たちです)


それと、安易だけど効果的なアルヴィアーノが舞台奥に向かって立ち去っていくかと思いきや、演出家は舞台上にアルヴィアーノ一人がもとの水溜り(一昔前ならばすぐに男性の子宮回帰願望だという解釈がされると思うのですが)に全裸で戻らせました。アイデアはとても良いと思うのですが、実際上の問題がありまして、舞台をそっと立ち去る人々の雑音が少なからざるあって、そのため伴奏なしの最後の独白の緊張感が若干損なわれたのが残念でした。それ以外は演出は素晴らしいものがありました。


オケは絶好調、あの豊かで繊細な、どこかマーラーの初期の交響曲を思わせる部分もあるシュレーカー・サウンドが、CDで聞かれるように劇場に広まっていて、いやあ実にいいねえと思って、休憩時間に指揮者を確認したらツァグロゼークでした、そりゃ同じだ。そして、歌手も総じて絶好調。何と言ってもアルヴィアーノ役が素晴らしかった。「現代のオペラ歌手は大変だねえ」と思わせられる上記のさまざまな演出家の要求にも応えつつ、美への渇望とたじろぎ、そして破滅への道を十分に表現していく歌唱には素晴らしいの一言です。取り分け、第2幕のカルロッタとのおどおどした、ちょっと浮ついた声での会話から、第3幕の秘密の洞窟へ案内する際の苦みばしった声、そして最後の魂が抜けてしまったような声でのアカペラ、いずれも見事でした。続くはカルロッタ、結構自信に満ちた声、さらに予想と違う演出、さらにさらにどのシーンも余裕のある美声を披露してくれまして、中でも第2幕の躍動する生に焦がれながら満たされない部分の会話の歌唱は、CDで聞くとちょっと長すぎない?と思うのですけど、演出も加わって引き込まれてしまいました。そして第3幕の事切れる直前の歌唱、何て言うのだろうか知っていながらはらはらして聴いてしまいました。一方タマーレ、シュレーカー自身は準主役級だと考えていて、実際そうですけど、他の二人の主役と比較するとちょっと落ちていました。なんしても、声が出ていない。まあ全体を壊すほどでは無かったので良かった良かった。他の脇役人、カルロッタの父である市長役はもしかしたらザルツブルクの「ルル」でシェーン博士を歌っていたのと同じ人のような感じがしましたが、彼をはじめとして、はまった演技と歌で舞台を盛り上げてくれまして、終わってみるともう一度見たいなあと思わせる舞台でした(2004年の3月4月から再演予定)。

なお、2002年12月28日の席は1階2列目の真ん中から若干右よりというベスト・ポジションでした。お値段は103ユーロ、安い!日本でもこんな舞台が普通に見れればねえ、値段だけはヴィーン国立歌劇場並なんだけど。

追記:2004年4月3日に再度見ました。今回は6列173番ど真ん中の席で79ユーロ。2002年のキャストで再演!と劇場自ら宣伝する自信の舞台は健在でした。CDはベルリン・ドイツ響ですが、シュトゥットガルトのオケの方が、確信に満ちたこなれた響きをさせていますし、CDと比較するとかなり早めのテンポを採用。序曲(正確には違いますが)だけしか比較できませんけど、ギーレンやコンロン並のテンポでぐいぐいと音楽を引っ張っていました。また、タマーレ役のOtteliですが、当夜も前半は冴えませんでしたけど、最後のシーンは格段に良くなっていて、アルヴィーノを愚弄するセリフの嘲笑ぶりも迫真物でしたし、最後のシーンの他の人々の退場も極めてスムーズかつ静かで、前回以上の満足が得られました。カルロッタ役はちょっと太ったように思えましたけど、ヤナーチェクの「マクロプロス事件」の主役も同じ時期に歌うには相当の体力が必要なんでしょう。

 
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