遠いコンサート・ホールの彼方へ!
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ベルク:歌劇「ルル」


2003年10月11日 フランクフルト歌劇場 19時開演


指揮:Paolo Carignani
演出:Richard Jones/Annilese Miskimmon
美術:Paul Steinberg
衣装:Buki Shiff
照明:Pat Collins
コリオグラファー:Linda Dobell

ルル:Juanita Lascarro
シェーン博士/切り裂きジャック:Terje Stensvold
アルヴァ:Raymond Very
シゴルヒ:Carlos Krause
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:Martina Dike
猛獣使い/力業師:Paul Gay
画家/(黒人):Shawn Mathey
公爵:Hans-Jurgen Lazar





祝 Opernhaus des Jahres 2003、フランクフルト歌劇場!

傑出した歌手はいないのですが、隙の無いアンサンブルと秀逸な演出で最後まで緊張感溢れる演奏を繰り広げてくれました。とても、去年の12月に、詰まらない演出、聞くに堪えない歌手、野放図になっているオケ、多分曲を知らない指揮者、かつクリスマス料金という五十苦のシュレーカー「宝を掘る人達」を見せつけてくれたオペラ・ハウスとは思えない出来。なお、今回の席はパルケット 18列 左11番目、料金は45ユーロ(新国立歌劇場でいえばS席区分です)。

幕が上がると、舞台には壁が、そこには"Adult Entertainment"の文字とさまざまに呼ばれてきたルルの名前が掲げられています。そして、壁のドアがあくと、そこから猛獣使いが、しかし何処から見ても、先ほど通ってきたフランクフルトの歌舞伎町の客引きのような鮮やかな黄色のスーツを着た長身の人物、さらに壁の窓が開いて、手を出す女性、次から次への男も、女も関係なく金を渡してお客が木戸の中に入っていく。窓にはルルが。猛獣使い、中々良い声でして、一気にAdult Entaertainmentに引き込まれます。

猛獣使いの語りが終わると壁が上がり、ポーズを取るルルと画家のシーン(ルルの格好と場面はここ)。医事官かルルのかは知らないが、趣味は悪い。ルル役のLascarroですが、歌い始めは、声がちょっと硬いかなと思ったのですが、直ぐに良くなっていきました。勿論、私からみた理想的なルルであるC.シェーファーと比較すると音程が甘かったり、ごまかしているような所もありますけど(ただし他の歌手ほどではありません)、ブーレーズ盤のテレサ・ストラータスのライヴ映像ほど酷くはなかったです(彼女は最後の方の発声と音程はかなり怪しくありません?)。それに、声量はかなりあります(勿論ベルリン州立歌劇場よりもフランクフルトの方が小さくて声が通り易い音響になっているせいもあるかもしれません)。特に良かったのは、かなり調性感のある第2幕最後、脱獄に成功して自由を喜ぶ歌、思いっきり開放的に歌っていまして、こんな歌だったっけと思い直しましたし、変な話ですけど、第3幕はきつめの顔立ちもあって、金を集られて険しい表情になりながら歌うところはぴったりはまっていました(もっとも、パリを脱出してロンドンに渡った後のシーンでは、ルルの歌う部分は実質的には少なく、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢が歌の中心になってしまうのですけどね)。

画家、不可はなし。いちゃつくシーンの最中に医事官が現れ、直ちに心臓発作で倒れると場内から笑い(意外な反応)。ルルは死体を相手にウサギの真似(手で耳を作る)、死体の尻に手で尻尾を作る、靴を脱がして噛む、ポケットから煙草入れを取り出すなど、弄んでいます(とても子供っぽい)。そこに現代ドイツの警察、救急隊員、新聞記者(第3幕でも登場)が現れて、死体を運ぼうとする時、やりかけで我慢できなくなった画家がルルに襲い掛かり、周りの人々が凍りついた所で第1幕第1場幕。

第1幕第2場、いよいよシェーン博士とアルヴァが本格的に歌いだします。ブリッジするオケ部分は、ギーレン&ベルリン州立歌劇場が、固めの研ぎ澄まされた音で、セリーの論理を聞かせてやる!という演奏だったのに対して、かなり揺るやかでおおらかな表情付けで、19世紀を向いたベルクの演奏、シノーポリ&ドレスデン・シュターツカペレによる「ルル交響曲」やフェニーチェ歌劇場管弦楽団による演奏会用アリア「ワイン」を思い起こさせます。盛り上がるところはロマン派的に盛り上がり、ブーレーズやギーレンのような演奏を聞いている耳には違和感がありつつも、面白かったです。ところが、この演奏だと第3幕の骨に若干肉付けされた程度のツェルハ版だと、後ろ向きの演奏では持たせられないのですね、実にオケが詰まらなく聞こえるのです。ツェルハ版の限界でもあり、演奏の限界でもあり、まあ仕方ないでしょう。

さて、ルルに弄ばれる親子の歌唱と演技ですが、ルルに対抗しうるほど良かったです。アルヴァは、ベルリン州立歌劇場のアルヴァ役よりも声も演技も良かったですねえ、甘くてよく通る声でした。そしてシェーン博士、あまり外れた人を聞いたことが無いのですが、今回も当りで、終演後の拍手もシゴルヒ、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢に並ぶほど盛大でした。
そのシゴルヒ、どこか7月にシュトゥットガルトでみた「モーゼとアロン」のモーゼを思い起こさせる風体で、ルルを慈しみつつ欲望を持っている様をありありと歌っていました。今回の演出では、この人がどこか一番人間らしく見えまして、第3幕でのアルヴァの死に対して、慟哭をもってひときわ大きな声でアルヴァと呼びかけるシーンもありましたからねえ。

なお、背景画は、幾つものルルの肖像画なのですが、何処と無くどれもエロチックで、アメリカ風のマリリン・モンローのピン・ナップを思い起こさせます。アメリカ的物質主義と性の商品化のアレゴリーでしょうか。

画家の死のシーンは見せませんでした(ムスバッハ演出は死んでいるはずなのに飛び出してくるので不自然であった)。細かいようですけど、吐き気を催しながらしきりに手を洗うシェーン博士が、第3幕の最後を思い起こさせます。再び警察と、救急隊員と新聞記者がやってくると、ルルが衣装を着替えて現れ、意気揚々としているので、皆が凍りつくところで、幕。

続く、第1幕第3場、ここでの注目はルルの衣装です。この第1幕第3場の衣装を見て、どこかで見た記憶がありました。ルルがシェーン博士が婚約者と一緒にいるからアルヴァの作ったオペラを歌いたくないと楽屋に戻る時、劇場支配人だけでなく、数人の歌手達も戻りますが、一人は古代ローマの戦士の格好、そして古代の異教の格好、男の格好をした夫婦と思しき男女が現れたところで、ああ、彼女の格好は「サロメ」なんだと分かりました。「サロメ」はご存知の通り、ヘロデ王が継子のサロメに翻弄される、最後には兵士にサロメを殺させます。これはシェーン博士とルルの関係と同じです。さらに、衣装が、ゲッツ・フリードリヒ演出、カール・ベーム指揮の「サロメ」の映像を思い起こさせるのです。そう、その主役はテレサ・ストラータス、上記の「ルル」3幕版の初演で主役を歌った歌手なのです。演出家と美術・衣装の仕掛けたちょっとしたいたずらです(写真はここ)。

もうシェーン博士はルルに完全にいたぶられています足で絡められ、ルルに差し出された紙束にサインを迫られ、その紙束をルルが放り上げる中、劇場支配人や役者、アルヴァ、公爵だけでなく婚約者まで登場、そしてルルを抱擁してキスをするシェーン博士をみて彼女が顔を覆ったところで幕が降ります。

第2幕
部屋の敷物の熊が画家の家の白熊から黒い熊に変わり、ルルはアメリカン・カウボーイの格好をしています。エプロン姿のシェーン博士が、自分が主人のはずなのにと嘆くと、場内から笑い。ベルリン公演でもそうでしたが、ここで必ず笑いが出ます。私はエプロン姿でワインを抱えているのには笑えましたけどね。退場したルルが登場、今度は濃緑のドレスに小さな真珠の王冠のいでたちで登場。何故このようないでたちにしたのかは不明、一瞬、生誕70年周年で映画も出て、CDが大量に売り出されたギリシャ出身の女性歌手を私は思い起こしましたがねえ。階段の中ほどに立つシェーン博士の眼下で、怪しげなルルの賛美者達が、現れては消えていき、最後、階段を上って学生を追い払おうとしたシェーン博士の背中に向かってルルは銃を放ちます。ここから階下のソファまでたどり着くのはちと無理を感じましたけど、それは置いといて、アルヴァ相手に息も絶え絶えのシェーン博士は、現れたゲシュヴィッツ伯爵令嬢に面と向かって「悪魔め」と叫んで絶命。このセリフが何故ゲシュヴィッツ伯爵令嬢に向けてなのかが良く分からないのですけど、演出家は一つの解釈を最後に示してくれたように思えました。誰にとってのどのような意味で「悪魔」なのか?

とりあえず、先に進めましょう。ここで、ベルクのト書きでは、裁判から脱獄に至る映画上映となり、それに大方の演出は準じていいますけど、当劇場は、舞台セットの交換に当てるべく幕を下ろしたままでした(お金が無くてそこまで出来なかったのかもしれない)。
そして、幕が上がると看護婦の格好をしたゲシュヴィッツ伯爵令嬢やシゴルヒ、アルヴァ、力業師がたたずんでいました。思い思いに歌を歌い、シゴルヒ、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢が立ち去り、入れ替わりにルルが再登場。最初は弱弱しかったのに、ついには靴を脱いですくっと立って自由の喜びを歌います。ところで、ムスバッハ演出では直ぐにルルは靴を脱ぐのですが、当夜も靴を脱いだのは何故でしょうかねえ。
なお、ムスバッハついでに、ここでのルルの衣装はキモノでした、それを1枚だけ裸の上に羽織って、時折前を開いてアルヴァを誘惑する(残念ながら?観客からは見えない。こんな感じ


第3幕、先にも書いたとおり、若干オケは冴えないし、ベルリンのオケに比べてノリが今ひとつでした。また、歌手も多くなり凹んでいた歌手もいまして、特に第1幕でも少し懸念していた公爵が結構なパートを歌うにもかかわらず問題でして、音符を見たのだろうかと思うほど、殆ど朗誦状態の上に声が出ていない。まあ歌手を揃えるのは大変です。
行きの飛行機の中で読んだべンヤミンの「パサージュ論」が取り扱うパリのアルヴァ亭。背景には、白い頂を抱く三つの山に寝そべる半裸状態の女性の絵。1ヶ月半ほど前に行った目にはすぐに分かりましたよ、これらの山々がユングフラウ、メンヒ、アイガーのアルプス山々であり、そして、この女性こそ欲望の対象ユングフラウ鉄道の株式であり、ルルの肖像なのです。人々の持つユングフラウ株は青い紙切れかと思ったのですが、紙切れになったと人々が振っているのをオペラグラスでよく見ると、表には同じ絵が書かれていました、実に細かい。
面白いのは、ルルと公爵、ルルとシゴルヒ、ルルと力業師、ルルとゲシュヴィッツ伯爵令嬢のやり取りを、例のボーイがすべて見聞きしているということです。確かに、最後に唐突に着替えを了承するのも変な話なので、全てを知った上で、彼女の賛美者として共犯の役割を担ったということでしょうか。最後は、会場に来ていた破産した人々、召使達も電話に取り付いて必死に売り抜けようとして失敗しその場で項垂れていましたが、彼等の前で、ルルと衣装を交換したボーイがキチガイのように笑いながらクルクルと回っているうちに幕。それにしても最後の公爵のセリフももごもごしていて何を言っているのかさっぱり分からなかった。

再び幕が開くと、中央の少し高いところに背中を観客に見せたソファーが置かれ、その下に首輪をつけたアルヴァ(何故か、外れるのに、必ず同じ場所に戻って自分で首輪をつける。ヒモという意味だけでなく、精神的にもおかしくなっている感を出そうとしたのかな?)。ルルが教授を連れて登場、ルルのいでたちは、たちんぼの売春婦そのもの、オレンジ色の下着そのもの服、赤い超ミニ・スカート、光沢のある黒の上っ張りに、高いオレンジのブーツ、赤茶色に染めたロングの髪(一応モノクロですけど、ご参考まで)。ただ目が、これまでの挑戦的で力の入った目から、かなり翳りのある目に変わっていまして、教授が帰り、入れ替わりにゲシュヴィッツ伯爵令嬢が登場し(このとき、アルヴァとシゴルヒが、ウェーと叫ぶ<分かる気もする>)、第3幕第1場に登場した背景がのルルの絵を持ってくると、半ば涙目でそんなもの見たくないと舞台右手で肩を落として佇んでいました。

そして、二人目の客、何と白人!ベルクのト書きではアフリカの王子で黒人だったはずですが、政治的な正しさを考えて変更されたようです(昨年11月、ベルリン・コミッシェ・オーパーでのプロコフィエフ「三つのオレンジへの恋」に出てくる魔女も「黒い」肌であったのを「青い」肌に変えて歌っていました。明らかに人種差別的な扱いですからねえ。そもそも「ルル」の補筆完成をシェーンベルクが断った理由の一つに、先の第3幕第1場での銀行家を罵倒する文句の中にユダヤ人を侮辱するような発言があったからなのですから、当時の意識と今の意識では違うので、こうした修正は止むを得ないでしょう。因みに、第3幕の罵倒シーンは、全然聞き取れず、修正されていたかどうかは分かりませんでした)。

最後の客によるルルの殺害、そしてゲシュヴィッツ伯爵令嬢を刺した後、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢は、私のルル、私の天使、と切々と歌っていますと、この時、プロローグに登場した壁が上から降りてきまして、さらに扉が開くと、猛獣使いが再登場、そして続々と帰る客を見送っています。その客達というのは、アルヴァでありシェーン博士であり、画家であり、とまさに登場人物たち総出。最後に、壁の一部を覆っていたカーテンが開くと、劇場窓口係から今日の上がりを受け取っているのは、何とスカーフにサングラス、ベージュのレインコート姿のルル。彼女が扉から出てくると、木戸の前で歌い終わったゲシュヴィッツ伯爵令嬢は必死の形相でルルに追いすがろうとするのですが、猛獣使いに後ろから止めらてしまいルルとは違う方に走り去ります。そして、猛獣使いも舞台から去ると同時に、最後の二つの和音がなり暗転。思わずホホーと感嘆の声を上げてしまう凄いシーンでした。これは一本取られたという感じで、色々な解釈が可能なシーン、何故ゲシュヴィッツ伯爵令嬢が、客であるシェーン博士に悪魔と呼ばれたのか?あるいはパサージュ論よりもパサージュ論が言いたいことが分かり易いのではないか?

ともかく"Adult Entertainment"を楽しんだことだけは間違いないのでした。


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