遠いコンサート・ホールの彼方へ
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指揮:Valery Gergiev
演奏:Orchester und Chore des Marinsky Theaters
Polizeiorchester Berlin(Prokofiew)


Sergej Prokofiew
 "Kantate zum XX.Jahrestag der Oktoberrevolution op.74"

Dmitri Schostakowitsch
"Sinfonie Nr.4 c-moll op.43"


2003年10月29日(火) 午後8時 ベルリン・ドイツ・オペラ



B級映画の楽しさと、ちょっと不満な公演

プロコフィエフの「10月革命20周年記念カンタータ」。初聞き。

やたら大きい編成。混声合唱にバンダ、サイレン、さらには5台のバヤン(アコーディオン)、これが途中の数分だけしか使わないのかなと思ったが、一応最後まで何回も使われており、そこまで贅沢は許されなかったようである。

プログラムに掲載されている歌詞はしょうもない感じだったので、最初はしょうもない社会主義リアリズム路線の曲かと思ったが、途中の革命の混乱期の描写部分は、ショスタコーヴィチの交響曲第2番、3番、4番を思いこさせるような錯綜とした強烈な響き、勿論革命の音であるサイレンがそれを彩り、さらにはマイクを前に演説するレーニンまで登場。このほん数秒の演説部分のために、わざわざそっくりさんをそれらしい例の茶色の背広で片手をポケットにつっこませて登場させ、場内に大受け。最初にも書いたとおり、バヤンが使われているが、これが歌詞が無ければただの物悲しいロシア民謡(ロシア民謡で共産主義の未来についてを歌うのでギャップ大有り)。最後は勿論、コミニュズム万歳、インターナショナル万歳で終わる、と同時にブーを飛ばす人あり。これにはちょっと驚き。こんな共産主義を称揚するような曲は認めないぞといういことなのであろう。ところが、これに対して、一度舞台の袖に引っ込んだゲルギエフ、件のレーニン氏を引き連れて再登場、そしてそのレーニン氏はブーを飛ばした人に向かって右手の拳を振りかざし、さらにオケや合唱に手を振って退場、場内は拍手喝さいであった。そうベルリン=モスクワという街ぐるみの取り組みを行っているのでした、レッド・オクトーバを追跡せよ!

まあこの曲に関しては、演出も含めてB級映画に通ずる面白さを感じたというのが実情ですが、良く良く聴くと、ロシア革命を受けて亡命した後の各地の音楽、例えば、表現主義、無調、「形式主義的」な響きを取り込んでおり、プロコフィエフは政治的に能天気なのか、確信犯なのかと思う1937年、社会主義リアリズム路線大号令が出された後の作品なのでした。

CDではこの面白さは出ないだろうなあ。ロジェヴェンのCDをどこかで入手してみよう。

ショスタコーヴィチの第4交響曲

ゲルギエフ指揮マリンスキー歌劇場o.の演奏でこの曲を聞くのは、昨年夏のプロムス以来の2回目。直前のプロコフィエフの方が編成が大きかったこともあるが、ベルリン・ドイツ・オペラは舞台奥が全く響かないので、迫力的には少し物足りない。例えば、シロフォンが本当に鳴っているのか怪しいと感じる瞬間すらあった。また、金管すら残響がない。一方、ピットを塞いだ上に乗っかっている弦楽器群はやたら良く聞こえる。ほほう、ヴィオラやチェロの刻みは現実にはこう聞こえるのか、と楽譜を眺めながらが聞くならば楽しかったであろう演奏で、少々聞いたことがない音響バランスに途惑うのであった。

終演後のゲルギエフを見ると、あまり演奏に満足していない様子。さもありなん。細かいミスは数多く、タイミングのズレが各所で聞かれてあれれ?という感じであった。さらに、ゲルギエフ自身どうやら振り間違えをしたと思しきところが第3楽章であった(練習番号174から180までの長い長い同じ音形の繰り返部分。向かって左のチェロに向かってキューを出したら、右手のホルンが吹き始めたとか、私も数えていたわけではないが幾らなんでも同じ部分が長すぎて、コンサート・マスターと合図してようやく練習番号180に持って行った感じ。それでも崩壊もせず、あまり違和感を感じさせなかったのはさすが手馴れた作品を手兵が演奏したというところか。

もう一つ私として違和感を抱いたのが第1楽章練習番号78から数えて8小節目〜16小節の部分。直前の弦楽器による遁走曲(練習番号63から)がプレストで1拍164、次のギアチェンジは練習番号80でさらに速い1拍183、つまり、この間全くテンポは落ちないのだが、ゲルギエフは当該部分のfffpからクレッシェンドする部分を3回とも、テンポを急激に落とした。プロムスでも確かにそうしていたが、今日のほうが明らかに落差が大きかった。新しい楽譜でも見つかったのだろうか?私はここは一気に駆け抜けた方が良いと思うのだが。

もっとも、第3楽章の長い長いコーダ、昨日の客とは打って変わって静かに集中力を持った客ばかりだったこともあり(昨日は場面や音楽的緊張感に鈍感な馬鹿者が数多くいた)、誰も物音を立てない。最後の音が消えて、ゲルギエフが腕を振り下ろし切って、楽団員が楽器を下ろしてようやく拍手。色々問題はありつつも、このコーダをはじめとして弱音の緊張感は他の指揮者・団体の演奏では聴くことが叶わない、ゲルギエフのライヴだけの音であり、それが聴けたことには満足している。ただ、会場とオケを変更して欲しいと思う。オケがBPOで会場がせめてシャウシュピール・ハウスかアムステルダムのコンセルトヘボウだったらと思わずにはいられないのであった。


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