道楽者の成り行き
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4.ROTER OKTOBERに捧げる






 2003年10月29日

ベルリン 曇り時々雨

今日も昼前に起床。シャルロッテンブルク近辺に出かけることにする、といっても寒風が吹いているので城や庭園は見ずに、ネフェルティティの胸像をはじめとするアマルナ美術で有名なエジプト博物館とブレーハン美術館のミュシャ(ムハ)展を見に行く。途中、以前は独立した市の名残であるシャルロッテンブルク市庁舎のラート・ケラーで昼食。ベルリン名物という塩漬けへリングのりんごとヨーグルト和えというのを頼む。不味くはないが、上手くもない。ただ、寒いのに冷たい食べ物だったのには閉口した。

エジプト博物館も10年振りの訪問。結構展示が充実していて、記憶とは大分違う気がする。ただし、当時と同じで英語の解説が殆どなくて困る。売り物のネフェルティティの胸像は入り口入って直ぐの所にある。解説にあるとおり現代風の美女である。

一方、通りを渡ったところにあるブレーハン美術館は今回が初めての訪問。アール・デコの器や家具の展示を主とし、それに特別展を組み合わせる格好で、今回は「ミュシャ」の展覧会。彼のポスターなど数十点が一同に会している。有名な「十二宮」や「四季シリーズ」、そして彼を一躍時の人にしたサラ・ベルナール(フランスの19世紀から20世紀にかけての大女優)の幾つものポスター、またクレヨン画、油絵なども展示されていた。どこからこんな装飾的な絵を生み出したのか、それはヴィーン分離派やパリの他のユアール・ヌーヴォーの画家や装飾家にも言えるが、不思議である。展示の最後にはバイオグラフィーがあった。実は絵は知っているが生涯は全く知らなかったので、興味深かった。大体、1938年まで生きていて、ナチス・ドイツのチェコ侵攻に伴う第一次逮捕目標の一人であったこと、時に78歳、そして結局釈放されたが、その時の心労で2週間後に亡くなったことは全くしらなかった。そう言えば、彼の墓が、「高い城」にチャペックやクーベリック(父)をはじめとするチェコの偉人たちの中央に葬られているのを10年間のプラハ訪問時に見たのを思い出した。

寒いのでペンションに戻り、しばらく休んでからチェーン・レストランの「マレード」で夕食。日本語のメニューがあった。

本日は、ゲルギエフ指揮マリスンキー歌劇場管弦楽団他によるコンサート。

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