遠いコンサート・ホールの彼方へ
ホーム Okt.2003


2003年10月28日、31日

ベルリン・ドイツ・オペラ 19時

ショスタコーヴィチ 歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」

演奏:マリンスキー劇場

指揮:Valery Gergiev

演出:Irina Molostowa

美術:Georgi Zipin

衣装:Tatjana Noginowa

照明:Wladimir Lukassewitsch

ボリス・イズマローヴァ:Gennadi Bessubenkow(28) Sergej Alexaschkin (31)

ジノヴィ・イズマローヴァ: Juri Alexejew

カテリーナ・イズマローヴァ:Irina Loskutowa(28) Larissa Gogolewskaja(31)

セルゲイ:Oleg Balaschow(28) Leonid Sachoshajew(31)

アキィシニャ:Ljudmila Kassjanenko

神父:Michail Petrenko

警察署長:Polizeichef

詩人:Wladimir Shiwopiszew

ソーニャ:ljubow Sokolowa

年老いた囚人: Michail Kit(28) Alexander Morosow(31)

酔っ払い:Konstatin Plushnikow

(名前はドイツ語表記)




まず、2003年秋の日本公演でもあったというノイズですが、31日の公演では、ホワイト・ノイズのみならず巨大なハウリングが第1幕で2回も入る始末でした。この劇場は奥で歌われると1階席(日本風には2階席)には全く聞こえないので、増幅していたのでしょう、ちょっと興ざめ。

次に興ざめだったのは、28日の客。スポンサーであるBASFとかいう会社の招待客が1階席の正面を全て占めていて、彼らが音楽が始まってもざわついていたり、途中で鼻を啜ったり、誰かが咳をすると立て続けにすると、最悪。全員歩いてシベリア送りの刑にすべきと思った人は多かったでしょう。一方、31日の客は静かでしたが、パルケット席をはじめとして、何処もかしこも正装した人だらけで、一体どうしたのかと思いました。

もっとも、こんなことに意を解すゲルギエフではありません、最初から最後まで高い緊張度と集中力を保っていました。

当夜のプロダクションはマリンスキー劇場と新イスラエル・オペラの共同によるもので、来日公演(「カテリーナ・イズマローヴァ」も一緒に行った時)と同じく、木戸を使ったものです。28日は、第4幕の最後の最後で右サイドの木戸が中々閉まらず、音楽と同時に閉まるかと冷や冷やしてみていましたが、相変わらず大道具を動かす音が煩いものの、何回かオペラを見ると、これが普通だと思えるようになり、当時のように気にはならなくなりました。

私の席は、28日は1階の左側Loge Dの1列5番目。サントリー・ホールで言えばLAのような席。31日は、パルケット5列23番で、指揮者の真後ろ。両席とも舞台は良く見えます。28日の方は、音響的にはすこし難があったかもしれません。というのも、ピットの右手奥の音、例えばトライアングルの音が1階席を前面壁を伝わって聞こえてくるのでちょっと驚きますし、オケの音が物凄く良く聞こえる。一方、舞台に近いのにオケにマスクされて予想外に歌が聞こえ辛いという場所でした。一方31日の方は、オケの音が上に上がるので、声も比較的に良く聞こえる場所でした。

もっとも、オケが聞こえれば私は結構満足する方でして、歌がなくても面白かったのです、抜粋の組曲もありますが、それ以外の部分も全て聞き応えがあり、退屈しない。28日は、歌詞が良く聞き取れない中、劇&ヴォーカリーズ付きの巨大な交響組曲を聞きに行ったという感じです。さらに、席の関係もあり、オペラ録音のようなオケが遠いこともないド迫力でしたから、興奮してしまいました。さらに、28日は席の位置のおかげで異様に細かい部分も聞こえますし、視覚的にも奮闘する木琴奏者とか、お互い褒め称えるトランペット奏者とか、ふざけて頭を振り振り弾くコントラバス奏者達とか、何故かベルアップして吹いているオーボエ奏者とか(シコルスキーからはピアノ譜は出ていますが、まだ総譜は出版されていないので、実際の指示がどうなっているのかは知りません)、ロストロやチョンの録音では今一だったオケ部分が良く分かりました。それにしても、このテンポ感、パワー、迫力は実に凄いものでした。来年4月のコヴェント・ガーデンの公演(指揮はパッパーノ)を聴いたらがっかりするんじゃないかと、今から心配しています(幸いがっかりしませんでした)。

さて、オケは絶好調な一方、歌手。まずカテリーナ、視覚的には28日のLoskutowaの方が貴婦人然とした誇り高いが何故かセルゲイに惹かれる女性というのに向いていましたが、如何せん私の席では声が時々聞こえないし、最後の「森の中の湖」をはじめ聞こえる部分の歌が、喉を窮屈そうに発声している感じで、私には今ひとつでした。一方、31日のGogolewskajaは見た目こそ農家のおばさんの方が似合っている感じですが、席の位置もあって、声に張りと余裕があり、セルゲイとの感情の高まりや振られた嘆きなんかを声で立派に表現していました。ただ、演技があまり上手く感じられないし、ジノヴィが戻って来るシーンでは、服の紐が結べず、見ていてはらはらしてしまいました。

セルゲイは、声、演技ともに両日とも好調、31日の方がちょっとニヒルな感じを出していてソープ・ドラマよろしくヨヨヨとカテリーナが寄って行くのも分かるような歌いっぷりでした。

そして影の主役?ボリス。私は両日とも良いと思ったのですが、拍手は何となく31日の方が多かったような気がします。演技の差かもしれません。例の暴君振りといい、カテリーナのところに忍び込もうかというところのひょうきんさぶりといい、粘っこくて重々しい声から一転して変化する辺りでこの人物のいやらしさを良くあらわしてくれたと思います。

他の歌手ではやはり神父、両日の囚人役、ソーニャへの拍手が多かったです。脇とはいえ相当に重要な役ですので、歌い損なったり、聞こえなければ意味がないという最低限の役を果たすだけでなく、4名ともじっくりと聞かせてくれましたね。年老いた囚人役は、何時聞いてもじーんと来ますねえ、この役と最後の合唱があるのでこの「荒唐無稽」な作品も締まるというもんです。


もっとも、一番拍手を貰っていたのはゲルギエフでしたけど。


 「ROTER OKTOBERに捧げる」2003年10月28日に戻る

ホーム