"Danbury, Conn., 1874〜1954" | |
ホーム |
Translations Before Essays
Essays Before A Sonata
3.オルコット家
もし音声記録機(dictagraph)がブロンソン・オルコットの時代に完成していたとしても、彼は今でも偉大な著述家として知られていただろう。実際そうなのだが、彼はコンコードの偉大な語り手として認められている。「偉大な洞察力」とソローは言い、「偉大な代弁者、大いなる講演者、しかし彼の娘達たちは、いつも何かしているのに(though -always DOIN' somethin')、少女である」とサム・ステイプルスは言う。しかし、オルコット親方は常にその内において何事かを成している人だった。内にある大言壮語は、外において彼を美しい言葉を話す者とし、活き活きとして、抑えられず、予感に満ちたものとして彼は哲学に没入した。彼にとって一種の超越的な仕事、そしてその利益は彼の家族よりもむしろ彼の内なる人を養う(支える)ものであった。明らかに、形而上学よりもむしろ精神的物理学(spritual physics)への深い興味は、彼が宣託を歌う際に彼の声に一種の催眠的な甘美さを与えるのであった。内における尊大なまでの自己主張と外における真摯な善意との間の混ぜ合わさった態度。しかし、彼は、彼が観ている哲学的世界のよりよい影響の中で彼が成し得ることを施したい一心で真摯さと親切心を心がけた。実際に、父と娘には強烈な教師的な性質があった。ルイーザ・メイは家庭的美徳の教訓を明らかにする機会を滅多に見逃さなかった。反復の力はオルコット家にとって例証に当っての極当然の手段であった。父オルコットは、学校で教えている間、学生が無作法に振舞った時は、神聖なる教師である神が、彼の地上における子供たちが不道徳であった時に嘆くのを示すために、自らを叱りつけた。いかに罪が罪なき人々を巻き込むかを示すために、悪事を働いた少年の隣りの席の少年が非常にしばしば罰を蒙った。そして娘オルコットは彼女の物語(世界)の周りで立ち回ることを好んだので、物語の方を道徳的指針に擦りつけ、そしてしばしば道徳が物語を威嚇した。しかし、父オルコットの激しく、扱いにくく、空想的な資質によって、そこには頑強さと勇敢さがあった、とも我々はそのように少なくとも考えたがる。その当時、ヤンキー・ボーイ(父オルコットのこと)は不屈さを獲得したに違いない、目的地がコネティカットからカロライナくらい離れて、車ではいけないような所だった時も、学校で教える機会が提供されれば、彼の教えを広め、言明することで彼の哲学的利益を稼ぐべく、快活に旅をしながら。彼が彼の理想を上手く説得した時、これは明らかにそれほど明白なことではない。オルコットの人生での出来事は、理論、ポピュラーではない理論を確たるすることに役立った。彼の理論とは、観念的によく知られていないような所を彷徨うのに慣れた人は、より低い道徳的な行動をすぐさま求められるような機会に際して、賢く、強い人であるというものだ。深く考える精神が、活発な客観的精神より行動能力があることはしばしば明らかである。エマソン博士は言う、「聖職者であるトーマス・ウェントウォース・ヒギソン(後の北軍大佐)が、逃亡奴隷を助けるためにボストンの裁判所に突撃をかけた際、彼の随行者である温和な理想主義者であるオルコットを裁判所のドアのところで振り返ってみたら、彼が手に鞭をもっていた、という記録は知られてよいことである」。たとえ彼がそれで生計を立て得なかったとしても、彼の理想主義は幾ばくかの実体を伴った徳であったように見える。
その娘は、父を模範として受け入れない。彼女は女性性の中に彼女の父の資質を殆ど持っていないようである。彼女は、家族を支えると共に、数多くのアメリカの若者たちの生活を豊かにし、健康的な感情で多くの小さな精神を育んだ。彼女は健康的なニュー・イングランドの子供時代を回想させる言葉による映像を残した。それは中高年の子供たちによって愛情を持って開かれる本の上の映像、心情と潜在的な意識を向上させる映像、そして何よりも我々が認める以上に今日の中高年に差し掛かったアメリカに必要とされる映像なのだ。
コンコード村それ自体には、全てのコンコードに集った神々の高みと根本に置かれた共通の徳の一つを思い起こさせる。ブロード・アーチ通りを下り、かつての預言的な美を伴った禁欲主義の砦であるエマソンの住んだ白い家を通り過ぎると、今でも楡の木に覆われたオルコットの家に辿り着く。それは質素ながらもコンコードの共通の徳の美しい証人として今でも立っているかのようである。過去は現在も生きているという意識、老牧師館の苔やウォールデンのヒッコリーの木は遥か昔の話ではないという意識を生み出すようである。"Marches"の家がある。家族の試練と幸福が全てにわたって広がっており、極めて単純な方法で、「持たざるものの幸せ」について語っている。その家の中いたるところに、今の世こそ必要とされる事柄の思い出が横たわっている。自動化され、ありふれて、刹那的な楽しみによって、刺激よりもむしろ弱められた最近の想像的才能に対してより必要とされる多くのレッスン、それは、独力で自らが成さなくてはならない幸せな子供のより良い喜びのために想像力が成し得る事柄の思い出が。ソフィア・ソローがオルコット家の子供たちに与えた小さく古いスピネットがあり、そしてそれでベスは古いスコットランド民謡とともにベートーヴェンの交響曲第5番を弾いたのだ。
オーチャード・ハウスには極平凡な美がある。一種のその古風な絵のような美しさの下に横たわる精神的な逞しさ。一種のニュー・イングランドの屋敷にある共通の三幅対、その色調は我々に語るのだ、清教徒的厳格さの内に美的な何かしらが織り交ぜられていたに違いないということを。理想の自己犠牲的な側面、エトルリアのヴィラやゴシックの大聖堂よりも完全なる真に近いという深い感情や強い意識を沸き起こすようなもの。コンコードの空の下、その周囲の全てに、熱狂する人にも冷淡に見る人それぞれに十分に、生来の希望を反映した、超越的で心情的な人の信頼のメロディーが流れ、共同体の事柄そして共同体市民への共通の関心、コンコードの詩人たちが常に奏でている調べは、ベートーヴェン的な気高さを持って、そして願わくば我々が言えんことを、激しさと忍耐強さを持って、無限の空間に向かって打ち鳴らされているのだ。
我々は、ブロンソン・オルコットの哲学的恍惚の追随を意図しない、彼の真髄が如何に彼の世界における彼の眼差しが、次の世界において実践的であるかを示すという仮定を取らない限りは。そして、我々はオルコットの音楽的素描を、楡の木の下のあの家の思い出、一日の終わりに歌われたスコットランド民謡や家庭での賛美歌といった事柄以外の何物とも和解させようとは思わない、それを捉えようという試みがあるかもしれないが、我々は上記においてそれを示唆することを試みた。それ、あの共通の感情の何事か、それは、決して絶望に取って代わられないという希望の強さであり、、万事が言われ、成される時においてすら、コンコードとその超越主義者達の如何なる主題とも同様に典型的な主題である、共通の魂の強さへの確信なのだ。
目次に戻る
ホーソーン へ
ソロー へ
"Danbury, Conn., 1874〜1954"に戻る
ホーム