道楽者の成り行き
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1.じょにーは演奏しなかった

2月11日 ベルリン その2


Arnold Schoenberg(1874-1951)
"Pierrot Lunaire" op.21


Franz Schubert(1797-1828)
"Rosamunde"

Dirigent : Kento Ngano
Deutsches Symphonie-Orchester Berlin

Meret Becker(Sprechstimme, "Perrot Lunaire")
Therese Affolter, Diter Rexroth(lesen Texte von Elfriede Jelinek)

So 11. Februar 2001
20 Uhr Philharmonie

 アバド&ベルリンpo.がベートーヴェンの交響曲&ピアノ協奏曲チクルスを持ってローマとヴィーンに出かけているので、ベルリン・ドイツ交響楽団の本拠地コンツェルト・ハウスではなく、ベルリン・フィルハーモニー・ホールでコンサートとあいなったようです。このオーケストラ、多分93年にもコンツェルト・ハウスで聞いたはずですが、その時は「放送交響楽団」という名称であったと記憶しているのですが、同じ団体だでしょうか?その時のプラグラムは、エリアフ・インバル指揮でラフマニノフの「パガニーニ・ラプソディー」とショスタコーヴィチの交響曲第5番という構成で、前者の独奏はセシル・ウーセ−彼女は今どこにいるのだろうか−、記憶ではショスタコーヴィチの交響曲第5番が素晴らしく、フランクフルト放送交響楽団との録音をさらにイキイキとしかし精密にした演奏で、第4楽章のテンポ設定などとても素晴らしいものでした。それに比してヴィーン交響楽団との録音はなんと詰まらないものだったろうかと思いつつ、ホールの入り口をはいると、当日券窓口に長蛇の列。私は、隣の予約窓口でさっさと券を受け取るとCD売り場に直行しまして物色してみると、これが全くと言っていいほど私の欲しいようなCDは見つからず、結局かっこうさんのお土産用に彼のHPに載っていないホリガー作品のCDのみを購入。続いて、多少腹が空いていたのでスタンドへ行き、ベーグルめいたパンに生ハムとチーズが挿んであった代物を頼んてみたら、これが「堅い」。といってもフランスパンの堅さがもっぱら表皮にあるのに対して、こちらは、中がパンとは思えないほど粘りと言うか密度で高くて歯で食いちぎれず、飲み物で胃に押し流すと言った方が近い食べ方をせざるを得ず、コーヒー一杯では足りずオレンジ・ジェースも追加注文してようやく処理できました。そうしているうちに、開場となってホール内に入りました。

 私の席はこんなところで、オーケストラを聞く分にはちょっと前過ぎな感もなくはないのですけど、このホールの場合はオケの位置が座席よりそうは高くない上に、かなり列ごとの段差もきついので音が頭上を越えていくことはありませんでしたがねえ...。

 1曲目はシェーンベルクの"Pierrot Lunaire"、当然ベルリン・ドイツ交響楽団のメンバーによる演奏で、彼ら自体の演奏は達者なものでした。一方、Sprechstimmeはというと、まず楽譜の前にはマイクがありまして、まああれだけ広いホールでは致し方ない措置かもしれませんが、その音量が楽器の音を掻き消すこと甚だしく、私のように比較的前の席ならともかく、後方席には楽器の音は聞こえているのだろうか?というものでしたし、何よりSprechstimmeが、私があまり好きではないサイモン・ラトル指揮ナッシュ・アンサンブルによるCD(CHANDOS CHAN 6534)の歌い方の方向をより推し進めた感じのSprechstimmeでした。ラトル盤のSprechstimmeであるJane Manningはかなり声質そものものをあざといまでに変えた歌い方でもあり、私の最も高く評価しているブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンテンポランのシェーファーのそれから10万光年以上もかけ離れてた演奏だと思っていましたが、今夜のMeret Beckerはそれに輪をかけた感じで(100億光年ぐらいかけ離れていますね)、今はどうしているか知りませんが、お絵かき唄の水森アト(どんな漢字でしたっけ?)のような声質(私はこの声質も嫌い)で延々と歌い語られ、演技されるのでした。
         
 このBekerという人(左写真参照。実物はもう少し美人)は、解説には「女優、Chanteuse(クラウン独和には載っていないぞこの単語は)、ソング・ライター−マルチ・タレント」と紹介されていました。映画女優として幾つもの映画に出ているほか、Chanteuseとしてはニナ・ハーゲン(私はアンサンブル・モデルンによるヴァイル「三文オペラ」でしかしらないが、向こうでは有名な歌手らしい)ともプロダクションを組んだことも書かれていました。因みにケント・ナガノとの共演は今回が初めてとの事ですけど、このコンサートは、正直に告白すれば、拷問でした。もっともドイツ人には大うけで、若い人が多かった、何回も舞台に呼び戻されていました。



 2曲目は、シューベルトのロザムンデ、私はフォン・オッターが参加しているアバド指揮ヨーロッパ室内o.の演奏ぐらいしか全曲を聞いたことがなく、まあ珍しいからいいかという程度で聞きはじめたのですけど、これまた...。

 このHPを訪れる人がどの程度音楽の友社の「レコード芸術」を読まれるのか疑問ですが、この3月号の特集は「2001年をリードする指揮者達」というトホホなテーマの企画記事でして、その中にケント・ナガノのインタビューも掲載されていました。その中で「今日の音楽だけが現代的ではない」として、彼は、オーストリアの女性作家エルフリーデ・イェリネックによる新しい「ロザムンデ」にシューベルトのロザムンデの音楽をつけるという企画がある旨が語っていますが、私の行ったコンサートがまさにそれでした。ただし劇はなく「朗読」だけでした。

 劇ならば身体が表現してくれるものがあり、言語がなくとも分かる部分があるのですけど、朗読はまさに「言葉」による意味内容とイントネーションが伝わらねば意味がないものなので、書かれたドイツ語を辞書利用してしか解さない身にはこれは困ったことになったと思いました。プログラムをこっそりみると、60分程度の予定と書かれていまして、アバドのCDからみて合唱と独唱の入る曲を除いて半分も「朗読」がないだろうと思っていたら、実際は半分以上が朗読で、正直に告白すれば、寝ていました(ドイツ人にも飽きた人がいて途中で拍手をし始めて周りの聴衆に制されていましたけどね)。もっとも、最後に間奏曲(だったと思う)が演奏されまして、これはナガノらしいキビキビとした推進力と透明感のある演奏で、99年のザルツブルクでのブゾーニ「ファウスト博士」や行く前に聞いたBPOとの「トゥーガリーラ交響曲」を彷彿とさせる演奏だったので、「こんなことならウンター・デン・リンデンに『エレクトラ』を観に行けばよかったと後悔せず、まさにこの演奏を聴きたかったのだから良かったのだ」と思い込もうとしながらフィルハーモニーを後にしました。


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