道楽者の成り行き
ホーム


1.じょにーは演奏しなかった

2月11日 ベルリン その1

2月12日 フランクフルト 晴れ
本日はベルリンへ行きますが、空港のチェックイン時間まで2時間ほど余裕があったので、荷物を中央駅のコインロッカーに預けて街中を散歩。

夜は売春婦やポン引きが多いカイザー通りも朝はさすがに静かです。渋谷と違って変な匂いがしないのは不思議と言えば不思議ですし、人っ子一人いない。日曜日ということで、ドイツにある閉店法に従ってどの店も閉まっていることがあるにしても誰もいません。考えてみれば国際的金融都市と称されるフランクフルトも人口にすれば60万人程度の街で、日本の60万人都市の中心部も日曜日の早朝なんてこんなもんでしょう。それにしても誰もいないし、マイン川からの風が冷たいです。

ドイツの都市というとどこかしら統一性や小奇麗さ感じられるものなんですが、ここフランクフルトについては、都市美観上の統一感がどことなく欠けています。それは、ドイツの他の都市に類を見ない程の摩天楼群の存在だけでなく、立ち並ぶビルのデザインも様式もスカイラインもまちまちの上に、どこか薄汚れいているからでしょう。そんなこんなでとりあえずフランクフル観光の目玉といわれる、レーマー(市庁舎)を外から眺め(「神聖ローマ帝国皇帝選挙の間」は朝早いのでオープンしていませんでした)、それから大聖堂、1848年にドイツ国民議会が開かれたパウルス教会の前をとおり、そのさいこの町がヒトラーによって「ユダヤ人の町」と罵られた過去を思い起こさせるものがありましたけど、ゲーテハウスを外から見て、マイン川の橋の上から街を眺めた後に中央駅に戻るとおよそ10時。飛行場までの時間や慣れぬ空港でのチェックインを考えると、もうそろそろ飛行場に向かったほうが良い時間になっていました。

フランクフルト飛行場は広く、当初はチェック・インする場所が見つからず右往左往しましたし、チェック・インの担当者がとても少なく(本日は日曜日)、さらに大荷物のイタリア人もいて、早めに出たのは間違いではありませんでした。もっともそれでも時間を持て余したので、とてつもなく高い日経新聞(日本円で450円)を買って、ルフトハンザの待合所にある無料のコーヒー・紅茶スタンドから紅茶を入れて時間を潰しました。


ベルリン 曇り
飛行機は約1時間でベルリンのテーゲル空港に到着。これまでみたドイツの空港の中では、同じベルリンにあるシェーネフェルト空港並に貧弱でした。多分、いずれはフランクフルトやミュンヘンのようなガラスと白い鉄骨でできた建物に生ま変わるのでしょう。

空港からホテルまではバス乗り場がわからなかったので、タクシーにしました。乗車時間にして15分、22DMと安かったです。日本でしたら成田は論外にしても羽田から都内に入るのにどれほどコストがかかるかということを考えると、物価水準の差には改めて驚くばかりです。そして日本の物価水準がまだまだ高すぎることはホテルに泊まってみても思いました。今晩の宿泊先であるホテルエクセルシール(Zoo駅の近く)は、普通にとまれば1泊240DMのシングル部屋で立地や部屋の程度からするとそれだけでも日本より安いのですが、何故か8,200円、不思議です。ベルリン国際映画祭も開催されているのですが、あまりお客さんがこないシーズンだからでしょうかねえ。ともかく荷物を預け、ついでに明日のハンブルク行きのICのチケットを取ることをホテルのコンシェルジェ(日本人がいた)に依頼してZoo駅に向かいました。最初の目的地は偶然ですけどハンブルク駅現代美術館です。

私は93年に一度ベルリンを訪れ、その際7日間も滞在していたこともあって、郊外にあるポツダム(サン・スーシ宮殿)やオリンピック・スタジアム、博物館島やタマネギ塔をはじめ主だったところには全て見物したことや時間もないので、その時には無かったり修復中だった場所を中心にめぐろうと計画していまして、まず最初に駅舎を改造して作ったこの美術館に向かいました。このハンブルク駅現代美術館のある当たり、駅で言えばSバーンのLehrter Stadtbahnhfのあたりは旧東地区かつ壁際ということもあり、93年ごろはまだ開発されておらず、ベルリン攻防戦の後も生々しい建物が残っていましたが、現在は将来のICEの発着駅を建設中でした。この新ICE発着駅ですけどこれがまたモダンというか、ベルリンの新建築物を特徴付ける鉄の骨組みに壁面をガラスで構成するという地震が無い国ならではの建物となる予定でした。そこから少し歩いてハンブルク駅現代美術館に着きました。

駅舎を利用した美術館というとパリのオルセー美術館が直ちに挙げられます。外から見るとオルセー美術館は昔本当に駅として利用されたのかと疑わせるほど装飾とバラ窓めいた時計が美しいのですけど、ハンブルク駅現代美術館の方は装飾もほとんどない白いお屋敷という感じで、これまた「駅だったの?」という外観の建物でした。
木の扉を開けるとやはり駅だったことをうかがわせるかのように中央駅舎を利用した天井の高い広い空間が現れましたが、どうもおかしい。そこの床にはビニールシートや鉄の足場が整理されて置かれていて、いくらなんでもアートしていない、と思ったら展示物の入れ替えで事実上閉館。もっとも、一部の作品は無料で見れるということで、向かって右側の棟に向かいますと、そこには日本長期信用銀行をつぶした高橋氏がコレクションしていたと言われるアンゼルム・キーファー「世界智への道:ヘルマン会戦」の大きい方(縦340cm×横350cm)が展示されているではありませんか。この作品、高橋コレクションが日本から流出する直前に佐倉の川村美術館での大々的なキーファ展(軒並みこの絵と同じかあるいは巨大なキーファの絵11点を一度にお目にかかれる機会など日本のみならず世界のどこででも最後だったでしょうねえ)で見ましたが、こんなところで再会するとは思ってもいませんでしたので、余計に感慨深いものがありました。まあ「世界智」とは到底無縁な高橋氏が持っているよりは、ここハンブルク駅現代美術館にある方がこの絵にとっては相応しいでしょう。ほかにウォーホールもありましたが、何の感銘も受けませんでした。ポップ・アートの宿命でしょう、消費されて、「はいおしまい」。

展示物が少なかったということもありますが、予定時間2時間に対して1時間弱で見終わってしまった(キーファーの絵以外は何もないに等しい)ので、ベルリン散策ということでフリードリッヒ通り駅まで歩くことにしました。
曲がる道を間違えてフリードリッヒ駅には到達できず、帝国議事堂裏手に出てしまうコースを歩くことになりましたが、噂では聞いていた、ベルリンなかんずく東側の再開発の規模の凄まじさを実感しました。後で訪れたポツダム広場周辺だけでなく、古いビルの建て直しや道路の掘り返し、新しいモニュメントの設置を控えて整備されている公園、植え替えを待つ樹木、お化粧直し中のブランデンブルク門、新しい政府関係庁舎の建設etc.、本当に町中ひっくり返していると言う言葉がふさわしい。かつて何もなかったブランデンブルク門の東側には超高級ホテル・アドロンやコメルツ・バンクの支店が建ち、国会議事堂の上にはガラスのドームが増設され(前回行ったときは議事堂内に模型が展示されていただけ)、ポツダム広場は遠目からも鉄とガラスの構築物で覆われていることが窺えました。この鉄とガラスこそ、ミース・ファン・デル・ローエがシカゴで最初に立てた高層建築物でその建設可能性を実証し、「黄金の20年代」におけるバウハウスの20世紀建築物への最大の貢献なんですね。ヴィーンのオットーワーグナーやゼゼッション・シューレの建築物が装飾の範疇からは根本的に抜け出せなかったように、そしてディ・スティルも幾何学的な構成を主としていながら素材についてはそれほど多くの貢献をなさなかったのとは大きく異なっていると思います(もっとも集合住宅ならばディ・スティルも面白いですけど)。

そんなこんなを考えながらブランデンブルク門側のインビスで軽く食事をとってからポツダム広場に歩いて向かいました。途中まだいくつもの区画に分かれた広大な空き地があって将来の建築物の姿が大きくカラーの絵で図示されていて、その中には将来ユダヤ人記念公園となる場所もありました。首都ベルリンのど真ん中にそんなものを造るとは、皇居の中に朝鮮からの強制労働者の記念碑を作るようなもんで、ポーズだと言い切る人もいますが、大戦中のユダヤ人問題はドイツにとっては依然として相当深刻な問題だなあと実感はするものの、一方でトーマス・マンの言うように、ワーグナーではなくゲーテのドイツの中にすらその問題は潜んでいるかまでは私には分かりかねました。

さて、93年に来た時には地上には何もなかったポツダム広場に差し掛かるとポツダム駅があらわれ、これがミース・ファン・デル・ローエの建てた新美術館へのオマージュめいた建物であり、その向こうに巨大なガラス・ドームのソニー・センター、そしてレンゾ・ピアノ主導のもとで世界中の著名な建築家(日本からは磯崎新)が参加して建てられたビル群、その奥にはカラヤン・サーカスを建てたハンス・シャウロンへのオマージュのごとき黄色い壁の国立図書館があらわれてきました。まあ、東京でも見かける光景といえばそれまでですが、土地に対する個別の権利の強いわが国と、ゾーン制によって当局主導で開発制限を行うドイツでは、再開発後の建物の統一感の違いがもろに出た感じです。なお、ポツダム広場再開発の詳細については、「レンゾ・ピアノ 航海日誌」(TOTO出版、4571円)に詳しく図入りで載っています。ポツダム再開発にあたってバレンボイム指揮で巨大なクレーン数機がバレーをした話とか、ミラノでのアバド指揮によるノーノの「プロメテオ」上演ためのセットなどについても書かれているので、建築に興味がない人にもお奨めです。

ポツダム再開発地区をぶらついた後、ベルリン・フィルハーモニー・ホールの方へ歩き、文化フォーラムに行きました。この文化フォーラムも93年には確か無かった建物で、現在閉館中のボーテ博物館(東)とダーレム美術館(西)の収蔵作品を統合したものだと言えばわかりやすいでしょうか。主として中世からルネサンス、バロックまでの作品を収蔵しており、個人的には目玉作品は、ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」、自画像をはじめとしたレンブラントの多くの作品、ルーカス・クラナッハの「アダムとイヴ」、そしてフェルメールの「真珠の首飾りをする女」と「ワインを飲む女」と思っています。

「ネーデルラントの諺」の実物をみるのは初めてだったので、隅から隅まで隈なく見てしまいましたが、謎めいた絵です。日経新聞とTV東京で取り上げていましたので、いくつかの諺の意味は覚えていて鑑賞の助けにはなりましたけど、例えば絵の中央上方の立ち上がった二匹のラッコ(ような動物)はどんな寓意をもっているのか、崖の上の三人の旅人は?とかみていて全く飽きないものでした。一方、フェルメール、首飾りの方はこれまた去年7月に大阪に来た3枚のうち一枚(実はみれなかったフランクフルトのシュテーデル美術館に「建築技師」がありました)で、あの時と違って静かにたった一人でまじかでゆっくりと見れました、外国の美術館のいいところです。やはりこの空気の描き方は彼独特のもので、引き込まれるばかりです。そういえば、ナチスの空将であったゲーリングのコレクションの中に多数のフェルメールの贋作があったのですけど、これが写真製版でみても全然空気の描き方や人物の造型が違っていて、ゲーリングというのも見る目がない人だと思いましたけどね、と駆け足で文化フォーラムを周り、続いて新美術館に向かいました。なお、この文化フォーラムの裏手には「新エジプト博物館」が建設中で、将来的には現在シャルロッテンブルクにあるエジプト美術館(ネフェルティティの彫像で有名。93年に見たときはあまり美人だと思わなかったのだが...)と東の収蔵作品を合体させて展示するそうです。いやはや首都移転にともなう官公庁庁舎・交通インフラの整備だけでなく文化施設までポンポン新造するとは、「世界(に冠たる)都市」を目指す意気込みたるや恐れ入りました、という感じです。

新美術館は前回もみたので完全な時間潰しです。前回には見当たらなかった天井を流れる電光掲示板もまた美術作品で、多くの人が眺めながら声をだして読んでいましたが、これが結構遅い。アルファベットが縦に流れているので、彼らには判読が難しいようです(そういえばオルセー美術館には幾つもの日本語表示があって、「エレベーター」という表示も縦書きだったんですけど、二つの「−」が横棒のままだったので、ふと日本通のシラク大統領に「画竜点睛を欠く」という諺を書き送ろうかと思いましたね)。縦書きに慣れている日本人である私はスラスラと英語の方は読めました。でも内容はシュールで意味不明な文章でして、「まあ現代美術ですな」のみが感想として残りましたけど。

地下に降りてざっと回りましたが、期待していたピカソ・コレクション(つい数ヶ月前にピカソのモデル<愛人>から100点ほど寄贈された)は展示されておらず(前回93年2月には大々的なピカソ展をしていました)、とある画商のコレクションと常設展のみでした。とはいえエルンストとクレーは相変わらず充実していました。ただ疲れていたので椅子に座って寝てしまい、目が覚めると親に連れてこられたドイツ人の少女に不思議そうに眺められていました。ちと歩きすぎました。


ようやく開場時間になったのでフィルハーモニー・ホールに向かいました。本日はケント・ナガノ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(のメンバー)によるシェーンベルク:ピエロ・リュネールとシューベルト:ロザムンデという奇妙な組み合わせのコンサートです。




「2月10日 フランクフルト その2」へ戻る
「2月11日 ベルリン その2」へ進む
「じょにーは演奏しなかった」目次へ