金色日記 Diary in Gold


12月12日(日曜日)

 『ファイト・クラブ』__デイビッド・フィンチャー監督+ブラッド・ピット+エドワード・ノートン+ヘレナ・ボナム・カーター

 かなり前から、ブラピ・ファンのミーハーどもが、見たの見んのって、ぎゃーぎゃー騒いでいて、「ネタをばらすな」とか、脅しもかけていたので、いったいどんな映画かと思ったら、後半眠気をこらえるのに苦労したよ(笑)。

 途中、「オチ」らしきものが出てくるが、それがあんまりどってことなくて、「まさか、これが『ネタをばらすな』っていう、それじゃないよな」と思いつつ、眠さをこらえて必死に見ていたが、最後までいって、どうもそれが、「ネタ」つうか、「オチ」のようであった。オーイ、座布団一枚取ってやっとくれぇー(笑)。

 まあさ、そんなもんだよ、ブラピのアタマは。

 もう少し映画批評的にいうと、(フィンチャーの)前作『ゲーム』と同工異曲。

 どーせ、ブラピ・ファンには、わかんないだろーなー、同工異曲なんてコトバ。



 拙オンライン小説『私のように美しい女__あるいは、いかにして私は火星人を愛するようになったか』(3年の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました(←イヤミ))が終わって、掲示板には、「半年ぐらいその余韻を味わってくれ」と書いた、その舌の根も乾かぬうちに、新作『業平より愛をこめて』。読んでねー()



12月14日(火曜日)

 そういや、昨日13日付の「朝日」の夕刊(西部版)に、『哲学者クロサキの、MS-DOSは思考の道具である』の著者、黒崎政男氏の、「ネットが崩す公私の境__淘汰の力働かぬメディア」ってエッセイが出ていたけど、何が言いたいのか、わからなかった。
 曰く、誰もが「著者」になりうるネット世界は、淘汰することが不可能で、「いったい何を腐敗させてしまうことになるのだろうか」。
 つうことは、この人は、ふた昔も前みたいに、「読む」ことも、「書く」ことも、それを「発表する」ことも、それなりに「淘汰」された、人々の手になる方が、少なくとも、何かは、「腐敗しない」といいたいのだろうか?
 この論調だと、そう読めるよなー。
 なんか、ちょっと昔、渡部昇一って人が、生活保護をもらって書いている「障害者」の大西巨人とかに、「障害者は淘汰されるべきだ」みたいな論調を張った「事件」を思い出した。記憶なので、正確じゃないかもしれないけど。あれは、どんな「事件」だったですかねー? 知ってる人がいたら、教えて。
 こういう「思想」は、ずーーーっと辿ると、やっぱり、ドイツのあの人に行きついちゃうのよねー。

 黒崎って「哲学者」は、いつも先端的なことに手を出して、それを「哲学」するんだけど、なんか、やっぱりズレてるって感じがしてしまう。って、感じるのは、私だけか。



 どーでもいいんだけど、たかが、妊娠したかどうかを調べに行くだけに、白バイに先導された車に乗って、報道陣にフラッシュ、パカパカたかれる人生って、自分で選んだとはいえ、ほんと気の毒。



12月15日(水曜日)

 上記↑の黒崎氏のエッセイの解釈は、やや短絡にすぎたかなと思った(HPをいろいろな見まわってね(笑))。氏は、なんら「淘汰」の過程を経ることのないスタンダードなき記述の氾濫は、何かを腐敗させてしまうことになるかも……と言っているのだ。それ以上、こうあるべき、とかは言ってない。つまり、現状認識だ。

 この「淘汰」の過程というのは、プロの書き手だと、「編集者の目」とか、「その世界におけるコード」みたいなものがあるわけだけど、しかし、ある種の「プロの書き手」のWebの文章なんか見ても、あんまり、そういう「基準」があるとも思えず(苦笑)……

 それでも、「最低限」というものがあるだろう、とか、思う今日この頃である。



 『ジャンヌ・ダルク』__リュック・ベッソン監督+ミラ・ジョボヴィッチ+ジョン・マルコヴィッチ+フェイ・ダナウェイ+ダスティン・ホフマン

 配役の、このとりあわせ↑はなんだ? と観る前、思ったが、それなりにハマッていた。とくに、フェイ・ダナウェイは、まるで中世から抜け出してきた人間のようで怖い。だってあーた、今の人間が、中世の人を見たら、「怖い!」と思うでしょ?

 スーパー・モデルのミラ・ジョボは、すごい迫力。すでに演技力を身につけた女優であった。

 また、この映画は、歴史に対し、感傷的になってなくて、常に冷静な距離を置いているところが好ましいと思った。ジャンヌ・ダルクという人物像しかり。

 Millenniumにふさわしい作品である。



12月17日(金曜日)

 バレエ。遅刻の常習犯の私であるが、あまりに遅刻しすぎて、いったい何時に始まるのかわからなくなって、30分遅れでいったつもりが、間に合っていた。先生の都合で、2ヶ月ほど前から、30分遅らせて始まることになっていたのだが、その30分後が、いったい何時かわからなくなっていたのだ。チャンチャン。

 バレエの終り頃、鞄の中のピッチが鳴る。ハギオさんに決まっている。レッスンが終わったあと、駅前ロッテリアで会って、だべる。

 ハギオ「(「ファイトクラブ」の)ブラピはいい体しとったね」
 私「だけどオジサンが無理して鍛えたって体だよ」
 ハギオ「筋肉増強剤飲んどるんやろ」
 私「かもねー」

 本日のハギオさんは、トレンチコートなんか着て、「カンカン部隊」じゃなくなってた。だいたいスタイルはいいんだよねー。ただ、しゃべり方というか、しぐさがオバサンなのだ。気取ったハギオさんはハギオさんじゃないけどさ。



12月19日(日曜日

 『海の上のピアニスト』__ジュゼッペ・トルナトーレ脚本監督+エンニオ・モリコーネ音楽+アレッサンドロ・バリッコ原作+

 ティム・ロス(主演)賛江 

 トルナトーレの『ニューシネマ……』は、最後の場面で確かに感動したが、それは一過性のもので、私はこの作品をそれほど買っていなかった。というのも、臭かったからである。

 しかし今回、その「臭さ」は、完全に拭い去られていた。

 あの感動そのままに、洗練されているのである。これには、感心した。しかも、

 音楽ってものがなにか、も、わかってしまった。

 ティム。ロスがよい(指がきれいなのは当然だが、目つきもよい)。私はこの俳優がすきだ。見ていて気持ちがいい。私が俳優を評価するポイントは、外見のかっこよさではなく、知性である。演技というものを、知的に意識化しているか、である。

 このティム・ロスはまさに、そうした俳優である。ゴッホのときは、まさに、「ゴッホってこんな人だったのか」と思ったし、『世界中がアイラブ・ユー』でも、「世間知らずの金持ちの奥さまに自宅のパーティーに招かれた仮釈放中の、育ちの悪い凶悪犯」を、かつてないほど、皮肉にこなしていた。
 
 また、「マドンナのような客を軽くいなすホテルマン」というのも、ティム・ロスにしかできない役柄である。

 そういうティム。ロスが、演じる、「船の中で生まれ、そこから一歩も外に出たことのない天才ピアニスト」である。うーーーん、どーなるかなー……? で、観た感想は、予想以上、であった。

 『タイタニック』のようなストーリーは誰でも思いつく、こうした作品を思いつく、原作者アレッサンドロ・バリッコの想像力にも舌を巻いた。それを洗練された映像に変えたトルナトーレも見なおした。



12月21日(火曜日)

 げぇーーー! もう21日ぃ〜〜!



 『ランダムハーツ』___シドニー・ポラック監督+ハリソン・フォード+クリスティン・スコット・トーマス

 チラシに曰く「愛するものを飛行機事故で亡くした男と女。出会うはずのなかった二人が、運命によってランダム(偶然)に結びついた時、哀しみと、謎めいた真実に彩られたミステリーの幕が上がる」

 男=ワシントンD.C警察内務捜査班巡査部長ダッチ(ハリソン)
 女ー選挙運動中の下院議員(クリスティン)

 それぞれの妻と夫が、互いに「夫婦」として、墜落した飛行機に乗っていた……

 この設定は、ミステリーとして、十分に人を惹きつける。

 しーかーしー、だ。この男女の「ラブ・ストーリー」というか、「ラブシーン」ばっかりで、「事件」にはいっこうに手をつけられない。中盤をかなり過ぎても、まだ、いちゃついたりしている。私は気が気ではなく、

 「早く事件を調べろ! でも今から調べ始めても遅いか」と心の中で叫んでいた!

 結果。チラシに書かれたことは嘘っ八。「ミステリー」は皆無だった。

 やー、もう、完全に「ハーレクィン」の映画化。

 作中にも出演していたシドニー・ポラックは、『アイズ・ワイド・シャット』からもそのセックス狂ぶりを伺わせたが、完全に頭やられてしまったみたい。 合掌。
 


12月23日(木曜日)

 ひぇ〜〜、もう23日ぃ〜〜?



 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』__ブレア・ウィッチ・プロジェクト上映委員会

 「全然怖くない」とミーハー界の噂であった。しかしミーハーの言うことだから……と、高を括っていたら、やっぱり怖くなかった。

 なんで欧米人は魔女を異常に怖がるのか? 当然、「魔女狩り」をしたからだ。合掌。


12月24日(金曜日)

 12月18日は、ブラピの誕生日だと、ミーハーどもが騒いでおったが、実は、私の母の誕生日でもあった。そして、今日は、父親の誕生日である。だからどうというわけでもないが。思い出さざるを得ないような日付だなー……と。べつに何にもしないが。



 ネットスケープ社のHPで、コミュニケーター4.7のCD+Bookというのを、20日に注文したら、もう来てしまった。アメリカからだぜー……。なんか、郵便じゃないみたいだった。海外宅配便というのか? 明細書には、10ドルとしか書いてない。送料は? たしか、サイトには、14ドルとか、書いてあったような気がするが……。すげぇ世の中になったものである。

 これで、ダウンロードの煩わしさから解放される。



 雑事に追われ、チョー忙しい。



 バレエのレッスン場の窓から、りっぱな虹が見えた。



12月25日(土曜日)

 どーでもよいことながら、うちの父親の誕生日は、今日でした。アーメン。



 『ゴースト・ドッグ(GHOST DOG___THE WAY OF THE SAMURAI)』___ジム・ジャームッシュ脚本・監督+フォレスト・ウィティカー as Ghost Dog

 パリまで観に行きたいなー……と思っていたら、映画の方が来てしまいました。

 ジャームッシュは、自分の「文体」を持った「作家」で、ハリウッドの動きや、その他の映画界の傾向とかとは、まったく関係ない映画作りをしている。

 私と同じ年の生まれで、常にインパイアされる作家である。

 今回も、「HAGAKURE」を読むニューヨークの殺し屋が、陰影に富んでスタイリッシュであった。『RONIN』のお飾りの武士道とは違って、武士道というものが、ちゃんと理解されていた。しかも、ラップや、老齢化したイタリアン・マフィアたちにまみれて。

 非カタルシスというか、異化のしかたも参考になる。武士道の精神を生きる殺し屋を描きながら、カタルシスを持ち込まないところが洗練されている。

 これまで私は、フォレスト・ウティカーという俳優を、すきではなかった。なんか演技が臭いような気がして。しかし、今回、その考えはまったく変わった。ジャームッシュは、ウティカーの本質を引き出して見せてくれたようだ。黒人の大男であるウティカーは、日本ではすでに死に絶えた武士道に、なんとふさわしいことか。

 そして、彼が車のデッキに差し込むCDのなんと美しいことか。また、彼の使う、赤外線の照準付、サイレンサー付の銃のなんと、しなやかなことか。

 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」

 The way of the SAMURAI is Death.

 この言葉が、今まで、どんな映画でも見たことのないニューヨークの、薄暗く、禁欲的な空に響く……。



 いやー、この日本の古典と、現代のニューヨークの混ざり具合は、参考になったー!

 手書き風のタイトル・クレジットも、かわいい文字だなーと思っていたら、本人の手書きをベースにしているそうである。



 私自身は、高校生の時に、三島由紀夫の『葉隠れ入門』を読み、山本常朝の『葉隠れ』も買ったと思うが、なんか言葉が難しくて、やはり、三島さんの「入門書」がちょうどよかった。

 どーゆー高校生だー? って、やっぱ、ジャームッシュと似たようなこと考えてたんじゃないの?



12月27日(月曜日)

 親のうちへ移動しますゆえ、当サイトの更新は、今年はこれが最後です。みなさん、よいお年を! 来年もよろしくね!

 一応、年賀状の「原画」をアップしておきます。もしなんでしたら、あまったハガキにプリント・アウトして、私からの年賀状とさせてください。これを持ってるといいことあるかも……ぬぁんて。

 ほんじゃねー!

 



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