1田舎にて
今から、1200年ほど前の日本に、一人の男がいた。この男の身分は高く、世が世であるなら、帝になれたかもしれない男だった。しかし、時代は男を、帝にはしなかった。政治の中心にもしなかった。時代はただ彼を、世をすねた遊び人にした。しかし、この男の歌の才は抜きん出て、時の権力も黙って見過ごすことができなかった。しかし、それでも、そんな反体制の彼の歌が後世に残っているとしたら、それは、やはり、この男の身分が、普通ではなかったことを意味している。
われわれは、平安時代の物語として、『源氏物語』を知っている。しかし、われらの主人公が登場するこの物語は、まだ、それが書かれていない時代のことである。
男は田舎に領地を持っていた。成人して、その領地に狩りにいった。そこで、若く美しい娘たちを見かけた。男は、「こんな田舎にも、こんな美人がいるのか」と、物陰から、女たちを覗き見た。女たちは、姉妹のようだった。
今は寂れたこの田舎は、昔は都であったという。
美しい姉妹の姿に、男の心は乱れた──。
この時代、「心の乱れ」と言えば、「忍ぶもぢずり」である。「忍ぶもぢずり」というのは、「しのぶ摺り」、つまり、しのぶ草を擦りつけて模様をつけた布である。ちょうど、男は、その模様の、狩り衣を着ていた。これ幸いと、その衣の裾を切り取り、こんな歌を書きつけて、女たちに贈った。
「春日野の若い美人に擦り衣しのぶの乱れかぎりしれない」
その後、その女たちと、男がどうなったのか、この物語は関知しない。ただ、そのようなエピソードを、男のものとして伝えるだけである。
2春の雨
西暦784年11月、平城京は長岡京に移された。さらに十年後、都は平安京に移った。その新しい都が建設途上の頃、人家はまだ、まばらだった。都の中央を、南北に貫く大通りは、「朱雀大路」と呼ばれた。その西側は「右京」と呼ばれ、その南は低湿地で、東より開発が遅れていた──。
そんな辺鄙なところに、一人の女が住んでいた。
女は世間の人よりまさっていた。何がまさっていたかというと、姿形ではなく、内面だった。
そんな女に業平は夢中になった。女には、彼女の家に通ってくる特定の男がいたが、業平は構わず、その女を口説いた──。
やがて、思いを遂げることができた。女の家で、彼女と一夜を明かした。
業平は、翌日帰宅すると、何を思ったか、彼女に人を遣って歌を届けさせた。西暦795年、旧暦の3月1日ことであった。その日は、雨がそぼ降っていた。
「起きもせず寝もせず夜を明かしたね春の長雨今は見ている」
春の物憂い雨の日を、女と過ごした時間を反芻して過ごす。歌を贈れば、彼女もまた、同じ時間を共有できるだろう。業平には、愛とは何かがわかっていた。
3高子(たかいこ)
男は、思いを寄せた女に、海藻のひじきを届けさせた。次のような歌を添えて。
「愛あれば葎(むぐら)の宿にも眠れるね私の袖を引敷物(ひじきもの)にし」
葎の宿とは、雑草のはびこる廃屋。この歌のために、わざわざひじき藻を届けた女は、のちに、清和天皇の女御となり、「二条の后」と呼ばれる女。
このときは、まだ普通の女だった。名前を藤原高子といった。父は藤原長良。皇室に自分の娘を差し出し、政権を握るという摂関政治のために、当時の女は男たちの政治の道具であった。
けれど、業平は、それに挑戦するかのように、高子が帝の后となってからも関係を続ける。
4春の月
藤原高子は、彼女の叔母で、仁明天皇の皇后となった、藤原順子の住まいの向かい側に住んでいた。そこは、朱雀大路の東側、左京と呼ばれるところだった。
業平は、密かにその家に通った。
ある年の正月も十日を過ぎた頃、高子はそこから姿を消した。彼女がどこへ行ったか、業平にはわかっていた。しかし、とても追いかけていけるところではなかった。
高子は、帝のハーレムに入ったのだ。この言葉は強すぎるか? 体裁のいい言葉では、それを「入内」と言う。それが、この時代の女の人生における、ひとつの「上がり」であった。
業平は次の年の正月、梅の花のさかりに、彼が通った家を訪れた。そこは、人の住まないあばら家になっていた。彼は誰もいないその廃屋の中で、立ったり座ったりして、彼女との思い出を探した。しかし、それはもう、どこにもなかった。業平は、板張りの床に伏せて泣きに泣いた──。
やがて月は傾いて明け方近くになった。絶望の中で、彼は歌を詠む。
「月はもう昔の月じゃないのだね春も違ってぼくだけ同じ」
夜が明けていく。帰るしかない。帰り道でも彼は泣き続けた。男が泣くということが、それほど恥ずかしいことではなかった時代の話である。
5見張り
また、べつの時間の中で、業平は恋の勝利者となる。高子が住まう、叔母順子の、東の五条の屋敷へ、密かに通いつめる。もちろん、正門からは入らず、築地が破れ、さらに近所の子供たちが踏み固めたところから入っていく。人目のあるところではなかったので、しばらくの間は誰にも見つからなかったが、そのうち、その家の主、叔母順子の知れるところとなった。叔母はその築地の破れ目あたりに、見張りを置いた。業平は、出かけても、恋人に逢うことができず、そのまま帰ったが、代わりに歌を贈った。
「忍んでくわが通い路の見張り人夜が来るたび眠っておくれ」
「おばさま……」高子はその歌を順子に見せる。その歌が順子の心をも動かしたのか、業平は通ってくることを許された。
それがいつしか噂となって、やがて高子の兄たちの耳にも入った。彼らの大事な出世の道具に虫がついてはと、今度は兄たちがガードに乗り出す。「大事な出世の道具」、まさか、こんなにあからさまには意識していなかったに違いない。というか、彼らは、妹の配偶者を、自分たちが決めるということに、なんの疑問も持たなかった──。それが、その頃の貴族の「常識」だった。兄たちの名は、それぞれ、藤原国経、良経という。
6鬼
女は、さきに女御となった従姉妹に仕えていた。どうにもならない恋に、男はついに、女を盗むという形で駆け落ちする。
女の手を引いて、暗い森を行く。途中女は、草の上に降りている露を見て、「これはなんですの?」と男に訊いた。雷が鳴り、雨が激しく降ってきた。男は女を連れて、崩れかけたとある蔵へ逃げ込んだ。女をその蔵の奥に隠し、自分は入り口で弓矢を用意し、見張りに立った。その地は、鬼が出る、と言われているところだった。
男は見張りに立ったものの、心細く、早く夜が明けてくれないかと祈った。──やがて、鬼が出て、女を一口で食ってしまった。女は「キャーッ」という叫び声を上げたが、その悲鳴は、雷の音にかき消された。男が気づいた時、すでに女の姿はなかった。男は地団太踏んで悔しがり、泣いた。
「これはなに? 真珠かしらと訊いたとき露と答えて消えればよかった」
この歌もまた、難解な歌だと伝えられる。業平の歌は、「心余りてことば足りず」(『古今集』序文)と評される。
鬼とは、「大事な政治の道具」である妹を取り戻しに来た、女の兄たちであるという説もある。いずれにしろ、高子はまだただの女で、「后」とは呼ばれていない頃の話である。
7波
京に住むのがつらくなった。だから男は東(あずま)に向かう。伊勢と尾張の国境を、海沿いに歩いていく。海に目をやると、白い波が心を打つ。これを人はノスタルジーというのか──。
「過ぎてきた都の方が恋しいよ羨ましいよ波は戻れる」
8煙
あなたがいる都には、とても住んでいられない。だから私は東の方へ、新たな生活を求めていきます。ふたりの友がいっしょです。信濃の国に入ると、浅間山が見えました。白い煙が昇っていました。
「その煙あっちの人もこっちでもみんな気づくよわが恋みたい」
9ノスタルジー
男は自分のことを役立たずの無用者だと考えた。この平安の世で。もう都には住んでいられない。そうだ東の方へ行こう──。男には共が数人連れ添った。それは家来だったか。友達だったか。ハムレット王子の「学友」のように、身分は下だけれど、親友でもある友。そう、男はあの、デンマークの王子に似ていたかもしれない。
一行は道に迷った。地理に詳しい者がいないので。三河の国の八橋というところに着いた。そこを八橋と言うのは、ナレーターは語る、川が蜘蛛の脚のように分かれ、その分かれた川に八つの橋が架かっていたのでそのように言う。川のほとりに下りたって、そこで弁当を食べよう。沢のほとりの木の陰で、一行が開くのは、乾飯(かれい)。飯を蒸し乾燥させた携帯食だ。それを頬張りながら、川の方を見やると、みごとなかきつばたが咲いていた。男は乾飯を口に運ぶ手をふと休め、その凛とした紫色の花に見惚れる。お供の誰かが言った。
「かきつばたという言葉を句の上に置いて、歌を詠んでみてよ」
さっそく男は挑戦する。
「からころも、きなれたような、つまのこし、はるばるきたよ、たびからたびへ」
お供の者たちはその歌を聞いて泣いた。乾飯が涙でふやけてしまった。
彼らはさらに旅を続け、駿河の国に着いた。東海道の難所として知られる宇津の山。原始林が彼らに襲いかかる。細く険しく暗い道。蔦や楓が生い茂る。なんでこんな目に? 一行は都を発ったことを後悔した。すると向こうから人がやってくるではないか。信じられない思いに目を凝らすと、それは修行者であった。寺に住まわず諸国を旅し、その旅の辛さを修行として自らに科している僧だ。こうした辛い山道を歩けば、仏の道はいっそう極まる。修行者は見れば普通のなりをした人々が山道を歩いていたので不思議に思い、「このようなところにどうしておいでなさいます?」と声をかけた。業平たちが近づいてみると、その修行者は都で見知った顔であった。世間は狭い。
「都へ向かわれるのか? でしたら、今文を書きまするゆえ、届けてくださらぬか?」
暗い山道の途中で、男は人を待たせておいて手紙を書く。
「ここ駿河宇津の峠に差しかかる夢うつつにも会えないあなた」
富士の山が見えた。ついでにそのことも書いておこう。五月の末だと言うのに、あの山には雪が積もっている。
「富士山は時のない山いつ見ても鹿の子模様に雪が残るよ」
きみは富士山を見たことがなかったね。富士山というのはね、京で言うなら比叡の山を、二十ばかり重ねた高さの山なのさ。そして形は、海水をかけて塩を作る砂山のように、きれいな円錐形で天辺が白くなっている。彼女はついぞ、私の夢には現われなかった。それは、彼女が私のことなど、思っていないことの証拠だ。古代の人はこのように考えた。手紙は誰に宛てられたのか。物語はそれを明らかにはしていない
一行はさらに進んでいった。武蔵の国と下総の国とのあいだに、大きな川が流れていた。その川の名前は「すみだ川」といったが、それが今の「隅田川」かどうか、さだかではない。なにしろ千年の間には、川も流れを変える。一行はその川のほとりに、かたまりになって腰を下ろし、思いにふける。彼らの前に、時間は膨大な量として存在していたが、千年前の人々はそれに気づかなかった。彼らはただ、自分たちが過ぎてきた距離だけを思った。なんて遠くまで来てしまったんだ──。
「はよ、お舟にお乗りなされ」渡し守の声がする。「日も暮れかかっています」
急かされて彼らは舟に乗る。メランコリーという名の靄が彼らを包む。都に残してきたいとしい人を思う。千年ののち、都はその位置を変える。彼らのいるところこそが都なのだ。しかし、彼らはそれを知らない。ただ水の上の白い鳥が水の中に首を突っ込み、魚を獲っては食べているのを見ている。鴫(しぎ)の大きさで、嘴と脚が赤い。京では見かけぬ鳥。
「この鳥の名前は?」
渡し守は答える。
「これがみやこ鳥でさあ」
「そんな名を持っているならみやこ鳥答えておくれあの人のこと」
舟の中の一行は、彼のその歌を聞いて、泣きに泣いた。古今集、新撰和歌集、古今六帖は、この歌を業平の歌として記録している。われわれが彼らの涙を「見る」のは、その文字の上でである。