業平より愛をこめて2 From Narihira with


10 希望

 男はあてどなくさまよい、武蔵の国に辿り着いた。そこで、その土地の女を好きになった。その女の父は、娘の相手にはべつの男をと考えていた。しかし母親は、その男を気に入った。その男こそ、彼女が待っていた「婿」だった。というのも、母親は都で権勢をほこる藤原氏の流れを汲むもの。地方官であった父親についてこの土地へ来たものの、この土地の男といっしょになり、そこに居着いてしまっていた。思えば……。それは若げの過ちだった。もっと見る目があったらと悔やまれた。地味な地方の生活に嫌気がさした。ただひとつの望みは、自分の娘だった。その娘が、高貴な男といっしょになってくれたら……。
 母親は娘の恋人に歌を贈る。その土地は、入間郡は「みよし野の里」といった。

 「みよし野のたのむの雁もひたすらにあなた思って鳴いていますよ」

 これは「たのも(田の面)」と「頼む(たよりにする)」をかけている。
 未来の婿は歌を返す。

 「わたくしを思って鳴いてるその雁を忘れるなんてとてもできない

 こんなふうに、母親までしゃしゃり出て見初めた男をゲットする。そんなことが、都以外の土地でも多くあったということである。


11 テキスト

 男は、あづまへ行ったそうである。旅の途上で、友だちたちに、こんな歌を書き送ったそうである。

 「忘れるな間は遠く離れてもめぐりあえるよ空の月見よ」

 この歌は、『拾遺集』に橘某の作とある。橘某は947年から957年にかけて、駿河守であった人である。一方わが業平は、825年に生まれて880年に死んでいる。つまり二人の間には、百年の時の隔たりがある。『伊勢物語』は長い歴史の間に、何度も書き直され、書き足されて、現在の形になったと言われるが、「この段はもっとも遅い時期に挿入された」と、『新 日本古典文学大系』(岩波書店)「伊勢物語」の注釈者、秋山虔(けん)氏は言う。
 だからなんなのさ? なんだろう?


12野焼き

 男は人の娘を盗んだ。盗んだなんて人聞きの悪い。ただ恋仲になり、駆け落ちしただけなのに、この時代、娘は親の所有物であるこの時代には、「盗んだ」と表現された。
 男は女を連れて武蔵野に逃げ込んだ。追っ手が彼らを追う。彼らは草むらに隠れる。しかし男は捕まってしまう。「この野には盗人がおるぞ」言って追っ手は、野に火を放とうとする。窮地に追い込まれた女は歌を詠んで訴える。

 「武蔵野を今日焼かないで草の中彼がいるから私もいるの」
 
 結局、男とともに、女も捕らえられた。

 この歌の、「武蔵野」の部分を「春日野」に置き換えた歌が、都で流行った「元歌」であるらしい。この歌から、われわれは何を読み取るのか? 野焼きという古代の農耕行事と、ままならぬ自由恋愛か。


13共犯者

 武蔵に男は住みついた。その土地で、新しい恋人ができたので、都にいる女に手紙を送った。「ありのままにいえば、合わせる顔がありません。かといって、知らん顔も、心苦しいのです」そう書いて、封筒の表には、「武蔵鐙(むさしあぶみ)」と記した。
 武蔵の国は、馬に乗る時に使う、「鐙(あぶみ)」の産地だった。それにちなんだ歌で、「さだめなくたくさんかける武蔵鐙どうしたことか道を違(たが)えた」という古歌があった。
 つまり、その言葉を見れば、「互いに道を違えた」という事実がすぐに了解されるのだった。
 その手紙を最後に、男からの消息は途絶えた。女は男に、歌を送りつけた。

 「武蔵鐙とはいうけれど頼ってる聞くのもつらい聞かないのもね」

 そんな女の言葉に、男は耐えがたい気持ちがした。その気持ちを歌で伝える。

 「いえばブーいわねば恨む武蔵鐙こんなときかな死にたくなるのは」

 男と女はべつべつの道を歩き始めてしまった。しかし、そこには、ひとつの言葉で感情のやりとりをできる共犯者めいたなにものかがあった。もういっしょになることはないという絶望さえも、共有してしまうという関係。


14田舎女

 男はみちのくに辿り着いた。ひどい田舎である。都から来た男は、珍しい。土地の女が熱をあげた。歌を作って男に贈る。

 「なまじっか恋に焦がれて死ぬよりもおらあ蚕になりたいだべし」

 短い命の蚕は夫婦仲がいいと言われる。男はその歌を見て、顔ばかりか、歌までも田舎臭い女だと思った。しかし、一途な気持ちはかわいいとも思った。それで、その女の家に泊まりに行った。夜明けまでにはまだ間があったが、男は早々に退散しようと思った。女はまたもや歌を詠んでみせる。

 「夜が明けたら覚悟しとけよくされどり(鶏)おめえ鳴くから彼氏かえるべ」

 その歌を聞いて辟易した男は、「私は都へ帰らなければならないのです」と女に告げ、しかたなく返し歌を贈る。

 「栗原のあねはの松が人ならばいっしょに行こうと言えるのだけど」

 「栗原のあねは」というのは、このみちのくの国の地名であった。この歌の真意は、「あなたが人並みの女の人であったら、都へいっしょにいきませんか? と誘うところなのだが」という意味だった。しかし女は、その意味がわからず、「おらのことを思っとってくれただね」と喜んでいたそうだ(合掌)。


15認識

 おなじみちのくで、男は、どうってことのない身分の男の妻と知り合った。そのどこか洗練された身のこなしは、田舎者の妻には似つかわしくなかった。それで男はつぎのような歌を贈った。

 「しのぶ山の忍んで通う道がほしい奥に隠した心が見たい」

 女は、その歌を読んで、なんてすてきな人かしらと思ったが、こんな田舎者の女ではどうしようもないと、あえて歌は返さなかった。それがせめてもの、女の矜持であったろうか。
 歌を返さないことによって、かえって深く結ばれる心というものもある。



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