16 出家
紀有常(きのありつね)という男がいた。この男は、業平の妻の父だった。三代の帝に仕え、栄えていたが、時代の移り変わりとともに、没落した。だが、高潔な心と優雅な趣味は変わらなかった。貧乏を一向に気にしない。長年連れ添った妻とは、寝床を別にする年頃となっていた。ある時妻は、彼に宣言した。
「あたくし、出家します。先に尼になっている姉のもとに参ります」
反対するなどという考えは、もとより有常にはない。もともと、それほど仲睦まじいというほどの夫婦ではなかった。しかし、最後の時くらい妻の自由にさせてやりたかったし、尼としての衣類の準備もしてやりたかった。自由は尊重するとして、いざ衣類の支度の方は、貧しくてできなかった。そんな妻が不憫であった。思いあぐねて、心情を、親友への手紙にしたためる。
「……そんな次第で妻は私のもとを去っていきますが、この私はといえば、貧しくて、支度ひとつしてやれないのですよ」
末尾に歌を添える。
「指折って暮らした月日数えたらああ十年が四回あった」
親友、業平は、手紙を受け取ると、すぐに、彼の妻のための衣類、寝具などを送ってきた。次のような歌を添えて。
「年月をああ十年と四回もきっと彼女は頼りにしてた」
有常の返歌。
「すばらしい衣類はあま(天=尼)の羽衣かなるほどあなたお召しの着物」
うれしさのあまり、さらに歌を加える。
「秋が来た? それとも露がまちがえた? 私の袖はこんなに濡れてる」
テキストは、尼になりゆく女の心情を乗り越えて、男同士の友情を際立たせている。
17 無沙汰
何年も姿を見せなかった友が、桜の花のさかりに、ひょっこり訪ねて来た。家のあるじは歌で彼の無沙汰を責めた。
「すぐ散るとみんな言ってる桜花だけど無沙汰のきみを待ってた」
友はすぐに歌で切り返す。
「今日来ねば明日は雪と散っていた消えずにいても花とは言えまい」
友の名前は、もちろん、在原業平である。
18 才女
自分は才女であると、自負している女が、業平の近所に住んでいた。彼が名の知れた歌詠みであることを知っていたので、ひとつ試してみようと、歌を贈った。ちょうど白菊の花が、霜に当たって、うす紅に色付いていたので、それを折り取り、いっしょに贈った。当時はそんなふうに、白菊がほんのりと色付いているのが風流とされた。
「紅(くれない)に匂うはなあに白菊の花はそのまま雪のようだわ」
女は、そんな色付いた花を贈りながら、それは真っ白で、色なんか見えないと、歌に詠む。業平は返す。
「紅(くれない)に匂うはなんだ白菊か折った女の袖が見えるぞ」
これは、女の衣類の、「かさね」の色を言っている。軽くいなしたって感じか。
19 元妻
男は高貴なお方のもとにお仕えしていた。同じように女も、そのお方のもとで女房職にあった。二人はかつて夫婦であった。だがしだいに疎遠になった。べつに法律があるわけでなし、その頃の夫婦とはその程度のものだったのだろう。
疎遠になったとはいうものの、同じ職場であるから顔を合わす。女には男の姿が目につく。男はまるで知らんぷりしている。女は男に、歌など贈ってみる___
「雲みたい逃げていくのね私からだけど私はあなたが見える」
男から歌が返ってくる。
「雲みたい私が逃げて過ごすのはあなたのとこに居場所ないから」
見上げれば、雨雲がすばやく流れ去っている。長いレキシの一瞬のとき。女はふと、男の後ろ姿が目の前をよぎったように思った。女にはすでに、べつの男がいた。業平はそれを知っていた。しかし、これも「愛」だと、業平ならば言うだろう。しかし、女には……。
20 旧都の女
大和は古い都。さびれた田舎となった。業平はそこに住む女と深い仲になった。しかし彼の「職場」は、新都、京にある。宮仕えのために、戻って来なければならない。戻る道すがら、三月だというのに、楓が赤く色づいているのに出会った。これは、新芽が赤く色づく種類の楓であった。おもしろく思った業平は、その枝を折とって女に送り届けた。次のような歌を添えて。
「きみのため折った楓は春なのに深く色づき私みたいだ」
女からの返事は、業平が京に帰り着いた時になって届いた。
「いつのまに赤くなったのこの楓あなたの里はもう秋なのね」
女が、返事を、彼が家に帰り着くまで遅らせたのは、「あなたの里」が言いたいがためであった。また、「秋」には、「飽き」が重ねられている。つまり、こんなふうに、遊んでみたのであった。
さびれた土地に住む才覚のある女を、業平は永久に忘れない。
21 こころ
深く愛しあった男女がいた。自分たち以外の者は目に入らなかった。それがどうしたことか、女の方が、些細なことで男に嫌気がさし、家を出ていこうとした。出ていく際に、障子に次のような歌を書いた。
「出ていけば軽い女と言われるわ世間の人は見えてないから」
女の書き残した歌を読んで、男は途方に暮れた。まったく寝耳に水だった。あんなに愛しあっていたのに……。いったい彼女は、おれのどこが気に入らなかったのだ? 男は泣きに泣いた。女を探しにいこうとしたが、果たしてどこへ行けばいいのか。外に出ては、あっちを見たりこっちを見たりうろうろしていた。しかたなく、家の中に戻って歌を詠んだ。歌を詠むことは、精神分析にかかるようなものでもある。
「愛してたなのに彼女は出ていったこの年月は無意味な時間?」
そしてただぼんやりと家の中に座っていた。またこんなふうな歌も口をついて出た。
「あの人は今も私を思ってる? 面影だけがますます見える」
しばらくして、女が歌を送ってよこした。
「どうしてる? 忘れる草の種だけはどうぞ心に蒔かないでいて」
「忘れる草」とは、萱草(かんぞう)と呼ばれるユリ科の花のことである。古代の人々は、つらいことを忘れるために、その黄赤の花を植えたり、下着の紐につけたりした。
男は歌を返す。
「忘れ草ぼくが植えたと聞いたならそれこそぼくの愛と知るはず」
二人は以前にもまして愛しあうようになった。男はこんなふうに自分の気持ちを吐露した。
「忘れたという疑いが前よりもぼくの心を悲しくさせる」
女の返事。
「中空(なかぞら)に浮かんだ雲が消えるよう居場所がないわ疑われては」
そうやって、歌で互いの気持ちを伝えあっているうちに、こころはべつの方向へ動いていった。愛が消えたというわけではないが、こころはもっと複雑な動き方をする。
やがて二人は別々に所帯を持ち、しだいに疎遠になってしまった。
その男が、業平だというわけではない。ただ業平は書く、われわれが「近代の自意識」と呼ぶ人のこころの不可思議さを。
22 時間
その昔、だんだんに会うこともなくなった男女がいた。しかし、忘れ去ることもできなくて、女の方がこんな歌を男に贈った。
「怨んでるだけどあなたが恋しいの悔しいけれど告白するわ」
自分も同じ思いだと、男は歌を返した。
「契り合い心ひとつを交わしま(島)の水はわれても『あはむとぞ思ふ』」
880年に死んだ業平がパロった、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」という歌を作った崇徳院が生まれるのは、約240年後の、1119年である。
そのように、二人の仲は復活し、こんな歌のやりとりもした。
「秋の夜の千夜(ちよ)を一夜(ひとよ)に置き換えて八千夜(やちよ)も寝れば飽きるのかしら?」
「秋の夜の千夜を一夜にたとえても言い尽くせずに朝来るだろう」
歌を介して、男女の仲はますます深まっていった。『伊勢物語』もまた、業平の死後、75年を経て成立する。時間は、男女の睦言の片鱗さえも記憶していない。
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ボルヘスの選んだ、世界名作66作のリストに、当然のことながら、プルーストは入っていない。それと呼応するかのように、わが国の文学からも、『源氏物語』は入っていない。代りに入っているのが、『伊勢物語』である。
当然のことながらと言ったのは、良家の生まれながら、文学的資質としては、無頼の庶民派であるボルヘスが、貴族的なものに関心を示さないのは、当然のことだと思ったのだ。
ナイフとナイフで渡り合う男たちがたむろするバーがある街、ブエノスアイレス生まれのこの作家の選んだ作品群を見ると、猥雑、シンプル、アナーキー、という言葉が浮かんで来る。
「上流の気取った生活、退屈すぎる毎日ぃ〜♪」と、夏木マリも歌っている。((C)『絹の靴下』)
上流の生まれながら、時代のせいで、非主流へと流れていく反逆の貴族業平は、いかにもボルヘス好みの男ではないか。
「業平は心余りて言足りず仮名序は言うがそれは勲章」